「
汲み続け いずれ枯れるか 湯の泉 今は気にせず 湯の中に浮き」、「つながりと 広がり望む 生き物に 絶滅危惧種 あるは自然か」、「人気者 人の気を惹く 何かあり そのサムシング いずれナシング」、「人気(ひとけ)なき 場所を好むや 人気者 ひとりきりにて 鏡覗くや」
今日の写真は2月下旬から3月上旬の間に四条大宮のバス停で撮った。見かけるたびに撮ろうと思っていたので正確な撮影日時は必要でない。数年前にも同様の写真を投稿した気もするが、遠景の全景を載せるのは初めてだ。冬場に街路樹は葉を落とし、絡まる蔦は目立つ。外套のように見えて微笑ましいが、街路樹の葉が茂ると暑苦しい。街路樹を剪定する市の職員ないし業者はどう考えているのだろう。この近くには同様に蔦に寄生されている街路樹が南側に一本あるが、筆者は以前は自転車、最近はバスで通りすがりに一瞥するだけで、剪定者も含めてたいていの人は気にしていないだろう。この街路樹が冬場に蔦のセーターを着せられて心地よいかどうかはわからないが、街路樹は葉をつける枝にまで侵入されなければあまり気にしないのではないか。この眺めで思い出すのは衣服を来た飼い犬だ。ペットを大事にするあまり、またお洒落な犬に見せたいために、さまざまな犬用の衣服がある。毛並みがほとんどない犬では寒さ避けになりそうな気はするが、冬場でないのに毛の長い犬が身の半分もすっぽりとくるまれているのを見かけると、犬は文句は言わないが、内心大いに迷惑がっているのではないかと筆者は思う。そこでさらに思うのは人間のことだ。人間は熱帯地方でない限り、裸のままでは皮膚が傷がつきやすく、また冬場は寒さを凌げない。それで他の動物と違って衣服を着るようになった。これは動物としてはかなり不便ではないか。なぜヒトがそのように進化したのか、研究で明らかにされているのだろうか。赤ちゃんは裸で生まれ、すぐに布にくるまれる。そうした布ないし衣服はたいていは他人が作り、また無料ではないので、人間は他の者と交渉、関係を持たねば生きては行けない。猿のように衣服を着なくても生活出来る社会を築くほうが面倒なことに巻き込まれる確率は減るはずであるのに、人間の肌はあまりに薄くて柔らかく、体温調節のために衣服を必要とする。そこで人間独自の多様な文化が開花することになった。そう考えると人間の存在意義は他の動物にはないそうした文化ということになる。犬にいくら衣服を着せようが、犬はそれを生活するのに欠かせないものとはしない。つまり人間は犬に衣服を着せて人間の文化の多彩化にわずかに寄与してはいるが、犬はその押しつけによって独自の文化の必要性に目覚めることは今後もあり得ない。街路樹に絡まる蔦は街路樹がなければ成長は望めず、その意味で街路樹に寄生しているが、たくさんある街路樹のごくわずかがセーターで包まれているように見える眺めは自然の共生の一例として面白い。
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