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●天理に行く、その1
数と 国語と会話 学べよ子 わがまま抑え いじけず一途」、「面倒を 面白がるや 頑張り屋 嫌なことでも やれば学びに」、「気がかりを ひとつ減らして 深呼吸 次に行こうか 憩いを目指し」、「下調べ せずに出かけて まごつけど 意外新鮮 潜心対処」●天理に行く、その1_b0419387_01221476.jpg 今月2日に初めて天理市に出かけた。最大の理由は天理大学の図書館で調べものをすることで、コロナ禍が始まる1,2年から行こうと思っていた。関西では同図書館にのみ所蔵される美術品競売目録が500冊ほどあることをネットで知ったからだ。京都の老舗古美術店が発刊していて、筆者は古本市で探した目当ての号を30冊ほど持っている。その号数を紙片に記し、それ以外の全冊の内容を確認し、望む情報を載せる号を探し当て、該当ページを複写する。その作業に少しは家内が役立つと思い、一緒に出かけた。カメラは半ば壊れたことを半ば知りながらオリンパスのCAMEDIAを持参した。結果は先月11日に京都市京セラ美術館の「東山キューブ」のテラスを撮ったのと同じように、明るい場所では露出過多でほとんど真っ白に写り、画像加工でわずかに色を取り戻した。筆者が今も使っている画像加工ソフトは1997年製で、画像を色分解してその特定の色ごとに変化させることは出来ない。それはともかく、白黒にしたほうがわかりやすい写真はそうした。また白黒の昔の写真のようでは、天理大学や天理教に対する筆者の昔の印象が蘇りやすい気がする。先日投稿したように、前述の「東山キューブ」の写真を撮った後、同美術館本館での京都市立芸術大学の美術部の卒業生の作品展があって、そこに天理教信者の子として育った女子学生の大型絵本的な作品があった。彼女はレオタード姿でのチアガールの練習など、天理教のさまざまな催しに参加しことなどを作画とともに告白していたが、信者の娘ゆえに一時期チアガールになることが強制であったのかどうか、そのことは不明としても集団の長年の習わしに若者が素直にしたがい、文句を言わないことは常識とされることはよくある。その集団が宗教となると学校以上で、強制の度合いは大きい。信仰を共有するからには当然で、その最少単位が家族だ。その家族像が今は、あるいは昔からか、実にさまざまだ。筆者が知るある家族は夫が妻や子ども全員に軍隊長のように命令し、それにしたがわなければ泥の中にでも押し倒す。そういう躾をされた子はやがて同じことをわが子にするだろうか。しなくても恨みの捌け口をどこかで求める。また豪華な車に乗る生活をしているある親は、成人間近な息子が中央市場で働き、1本1万円の松茸を平気で盗んで来ることを礼賛する。そのどちらの常識外れの家族も特定の宗教の信者でないが、常にそうではないことはあり得ず、熱心な信者でも心が歪んだ人はいるだろう。また他者の信仰の度合いは外部からはわからず、信者でありながらとんでもない悪党もいると思ったほうがよい。
●天理に行く、その1_b0419387_01224938.jpg
 筆者の小学生時代、1960年代前半のことだが、創価学会の信者であるお婆さんが聖教新聞持参で毎週わが家にやって来て、母に入信を口説いた。母がそのお婆さんとどのように知り合ったのか知らないが、お婆さんは20代半ばの母が子どもを3人抱えて生きていることに同情し、創価学会の信者になればそういう暮らしから救われるとしきりに言っていたことは記憶にある。お婆さんが帰った後、母はその新聞を開かず、笑顔で「信心すれば生活が楽になるとか言うけどな。創価学会の一番の偉いさんを崇拝することはヒトラーや北朝鮮の金日成を称えるのと同じで、お母さんは大嫌いなんや」と言っていた。幼ない筆者はその母の態度、姿勢に大きな影響を受けたことは間違いない。これは信者からすれば蒙昧から救わねばならない憐れな人、あるいは攻撃すべき敵だ。創価学会の信者とはその後も何人かと出会い、入信を勧められ、断ると、「あんたの親や子はさぞかし立派なんやろうな」と嫌味の言葉を投げられた。それを聞けば誰でも学会員を心の貧しい、ひねくれた、したがって話をしたくない人たちと思うだろう。またそういう人らであるので、仲間が集まって学会を大きくしていったと想像されても仕方がない。大阪に住んでいた頃、ある地域に特に学会員が多く住み、彼らの中の商人が経営する店を繁盛させるために、学会員でない同じ業種の店では買わないことを続け、やがて同店がつぶれたという話を聞いた。噂であったので本当はどうか知らないが、学会員が協力し合い、そのことを自分たちの幸福と平和のために必要と思えば、商売仇の店が商売をやめるまでに追い込むことに良心が痛まず、むしろ勝利の乾杯をするだろう。それの大きなことが宗教戦争だ。信じる組織に肩入れし過ぎるあまり、またそのことを真理であると思うあまり、同じ人間でありながら、思想の違う者を排斥し、そのことで相手が死んでも、自分たちが信じる神から罰を受けたと考える。どの宗教にもそういうところがある。最近読んだ遠藤周作の小説に、ある夫婦が神前結婚式をした際、高齢の神主による祝詞を馬鹿らしく思ったという下りがあった。遠藤はカトリック信者で、神道を宗教とはみなさなかったのだろう。それはいいとして、小説の中にわざわざ神道を登場させ、その祝詞を無意味と登場人物に言わせることには悪意を感じる。遠藤にそのつもりはなかったとしても、そのように読者に感じさせることはまずい。宗教自慢、深い信仰を創作物でするのはいいが、宗教比較をして一方を貶めると、しょせんもう一方もその程度かと読者に思われかねない。信仰する宗教を褒めるのはよくても、他の宗教を嘲笑しては批判を受ける。場合によっては信者から殺されることはフランスの漫画がイスラム批判をした例から明らかだ。こういう話を筆者がここでするまでもなく、誰でも思い当たり、宗教アレルギーに陥る人もいるだろう。
●天理に行く、その1_b0419387_01231302.jpg
 話を戻す。同じものを売る店がふたつあって、特定の宗教の信者が同じ信者の店で買うのは仲間意識から当然だろう。ただしそのことが拡大するとデマがはびこり、信者でない店は遠からず被害を受ける。集団による身贔屓はさらにさまざまな団体、社会にあることは、宗教やスポーツ、出身地や最終卒業学校などを思い出せばわかるように、誰もがどこかに所属する。アウトサイダーは例外だが、それでも出自を問題にすると何らかの集団に含まれ、本人も無意識にしてもそのことを思い、囚われもする。アウトサイダーの生き方は芸術家かホームレスといった極端な人種に限られ、一方でたいていの人は地元自治会に所属し、ごく普通の人間であることを主張ないし意識して生きる。筆者はその辺りに関してはそう装っているだけで、アウトサイダー的に何事も見物してやろうという冷めた意識が強い。さて、天理教の存在を筆者が知ったのは小学生で、地域に木造平屋建ての天理教の教会があった。それは目立たないものの、京都の松尾や嵯峨にも同じたたずまいで存在し、天理教の施設であることを示すために玄関横に木製の縦長看板を掲げている。また襟に天理教の文字を白く染め抜いた黒の法被を着た人が街角を掃いている光景を見たことがあるが、ここ2,30年は気づかない。清掃は神道や仏教の基本的行動であり、大本教などの新興宗教がそれを率先することは、信心しない人々に対して好印象を与える。さて、筆者が最初に強く天理教を意識したのは中学生になってからだ。近くの銭湯で筆者より5,6歳年長の坊主頭で凛々しく、真面目で賢そうな兄さんと親しくなって会うたびに話をした。その兄さんがある日、天理大学に入ったと言った。家族が天理教の信者であることをその時知ったが、やがて大学に入ってから忙しくなったのか、銭湯に顔を見せなくなった。大阪市内から近鉄に乗って天理に行くことは知っていたが、大学まで2時間ほどかかるのではないかなど、大変さを想像しながら、その兄さんが天理大学に入ったことを聞いて筆者は天理を何となく清潔に感じた。次に筆者が天理教とのわずかなつながりを知るのは家内と交際してからだ。家内の両親は満州で成功し、使用人を雇って大邸宅暮らしをしていたが、戦争の雲行きが怪しいことを察知し、いち早く一家は日本に引き上げた。ところが莫大な金額を日本の列車内で盗まれ、大阪に着いた時は無一文で、仕方なしに天下茶屋に今もあるそこそこ大きな2階建ての天理教の教会に転がり込んだ。両親のどちらかの縁戚がその教会を運営していたのだ。そこで家内が生まれた。7,8年前に筆者は家内を連れてその教会の前を歩いたが、家内は嫌がった。両親のどん底暮らしを再確認したくないのだ。だが昭和20年代はどの家庭も貧しかった。その教会で暮らしていた時、泥棒が入り、咄嗟に機転を利かせた家内の母は事件に遭遇せずにやり過ごすことが出来たと聞く。
●天理に行く、その1_b0419387_01233268.jpg 国が貧しいと泥棒が増えるのは現在を見てもわかる。それはさておき、その教会の前の狭い道で生後100日ほどの家内が撮影された名刺より小さい白黒写真がある。それは筆者にとって人生で最も美しい写真だ。赤ん坊の家内は日本人形のように前髪を額で短く切り揃え、後頭部は刈り上げだ。そして微笑んでいる。その顔は現在の家内と全く同じと言ってよく、人間は100日で完成することをつくづく思う。昔ある女性の5,6歳の白黒写真を見せられたことがある。同世代が4人ほど横並びに写り、その中でその女性は一番野生的かつ美しく、筆者はそういう子どもを初めて見た気がして、その写真をほしいと懇願した。だが彼女の大切なものだ。筆者はその女性のことを思い出すたびに彼女が家の近所でたまたま大人に撮ってもらったそのスナップ写真の格好と表情を思い出し、ぞくぞくする。5,6歳で女性はすっかり一人前で、男が何であるかを知っている。男と女しかいない人間界と言われるが、女が男を動かしている。男は偉そうに自分で何事も決めて実行しているつもりでいるが、男のすることは高が知れている。話を戻して、筆者にとっての次の天理教との出会いはやはり家内だ。大阪市内の同じ設計会社で勤務していた時に筆者は家内と交際を始めた。やがて一緒に暮らしたいと筆者は思うようになったが、それと同時に会社を辞めて自分の絵の能力だけで食べて行くことを夢想した。毎日スーツを着て通勤し、高収入を得ていた暮らしから一転、ほとんど無収入の暮らしに入る。そういう男にどの親が娘を預けるだろう。それでもやがて筆者は常識の手続きを踏み、交際続行の果てに結婚したいことを家内の父に伝えに出かけた。家内の家族全員が反対で、筆者は仕方なしに駈け落ちすることにし、その最初の行動を取ったが、家内の居場所がわかってしまい、実家に連れ戻された。そして1年近くは会わず、電話もしないままに、家内の友人女性数名の手助けを得て現状を伝えあった。その会わなかった期間に家内は親類や親から天理教のありがたい話を1日かけて聞きに行くことを命じられ、家内は妹とふたりで初めて天理市内に行き、「おやさとやかた」と呼ばれる建物で話を聞いた。そのことを後年何度か耳にしながら、筆者は天理に行く機会がなかった。ところが前述のように、天理大学附属図書館にぜひとも調べねばならない本が500冊ほどある。それで家内と天理に行くことに決めたが、コロナ禍が始まり、そのことをほとんど忘れた。思い出したのは2月11日に京都京セラ美術館で見た京都市芸卒業展で天理教信者に育てられた学生の作品を見てからのことと言ってよい。今日の4枚の写真の説明は明日に回す。最初の写真は上下とも近鉄天理駅から西に延びる長い商店街の最初の辺りで、上が駅方面を振り返ったところ、下が天理教の神殿のある東向きで、右下隅に家内が写り込んだ。
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by uuuzen | 2023-03-25 23:59 | ●新・嵐山だより
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