「
蓄積の 度合い見えぬや ネット界 短文よくて 長文無視す」、「読めぬ字を 覚えて書けず 不便なし 文書くことの 絶えてなくなり」、「読めぬ字が あって困らず 恥でなし 知って自慢の 愚かさ知れば」、「感じよき 文に漢字は 少なきと 時に思うは 幹事の務め」

先月12日、ついに漢字ミュージアムに家内と訪れた。この施設は八坂神社のすぐ近くの四条通りに面していた中学校の跡地に出来た。場所は一等地だ。2016年の開館で、筆者はすぐに行く気になれなかった。漢字検定に関して黒い噂、そして事件が報じられ、やがてトップが逮捕、懲役刑を受けたからだ。そこには政治家も絡み、純粋に漢字を多く知りたいと思って漢字検定試験を受ける人たちから集めた巨額を理事長が勝手に使った。よくある話だ。またかという程度の反応をたいていの人は示す。同じことはたとえば自治会でもある。使途不明や無駄な支出、他人と手を組んで利益をお互い陰で得るといったことは必ずある。表沙汰にならないだけの話だ。筆者は昔自治会長を引き受けた時、当然のことながら1円たりとも自分の懐に入れなかった。それは周囲から表向きは立派と感心されても、陰では煙たがられる。筆者が自治会長を辞めると、いつの間にか元のようにおおざっぱな支出報告になった。ボランティアとはいえ、時間をそれなりに費やしての役割であるから、ある程度の旨味がなければやっておれないとの考えが幅を利かせる。たとえば新年度の自治会長が副会長や会計と連れ立って会議と称し、酒盛りをして3万円の領収書を提出する。領収書には「喫茶代」とただし書きがあるが、それでは1500円で済む。そういう自分勝手な出費の会議を招集する会長は40歳ほどで、筆者のような高齢者にない図太い神経をしている。自治会に入りたくない人の気持ちはわかるが、一方で入っている若手は年寄りは引っ込めとばかりにやりたい放題だ。日本の劣化はあらゆるところで実感する。漢字検定は英検に倣って作られた。そこに目をつけたかつての理事長は勘がきわめて鋭い。京都の人間であることは知っていたが、今回この投稿のためにWIKIPEDIAを調べていろいろなことがわかった。まず、漢検を創立して全国規模にし、莫大な収益を上げた人物は阪急桂駅西口にビルを所有していて、そこに入っているさまざまな業種の中に漢字塾があることに目をつけた。その貸しビルの名前は「oak」で1971年の開業だ。その当時からその赤いネオンの3文字は電車に乗っていてよく目についた。夜は辺り一帯は真っ暗で、そのネオンのあるエレベーター塔の壁面は周囲のどの建物よりも高く、その3文字のみが輝いていた。その時代は長く続き、ついに数年前にネオンは撤去された。同じロゴは建物上部にもあって、それはまだあると思う。去年同ビル前を歩くと1階は洒落たパン・レストランになっていて、よほど入ろうかと思いながら別の店に行った。

夜に梅田から帰って来ると、その赤いネオンが見えると桂であることを知ったが、安堵したという感じではない。むしろ何のビルかということが長年気になっていた。先ほどようやく貸しビルであることを知り、またそのビルを皮切りに所有者の男性が漢検を思いつき、四半世紀の間に日本漢字能力検定協会は文部省の認定を受け、漢字ブームを日本全国に引き起こした。1995年の年末から「今年の漢字」を清水寺の舞台で大きな紙に揮毫されるようになったのは漢検の働きかけによる。そうした全国ニュースになる風物詩を考え出したのが漢検の理事かどうかは定かでないが、実業家として類稀な能力があったと言ってよく、30年ほどの間に上り詰めるところまで行き、そしてその後2009年に漢検協会事件が発覚、懲役刑を受け、勲章の剥奪も経て、息子ともども名誉職はすべて退いたようだ。前述の桂駅西口の「oakビル」は現在誰の所有か知らないが、エレベーター塔のネオンが外されたことは他人の手にわたったのだろうか。それはともかく、筆者が長年見つめて来たその3文字の赤いネオンが消えるまでの間、筆者は時間がぴたりと止まったように平凡に貧乏暮らしを続け、一方で商売の勘の鋭い人物は日本を動かし、莫大な収入を私的に使うなど、好き放題の人生を送った。晩節を汚したが、漢検、漢字ブームは残り、祇園の一等地にそのミュージアムが建てられた。これは功績として認めるべきで、筆者のようにみんなから集めたお金は1円たりとも正直かつ無駄に使わないという考えの者は何ひとつ大きなことが出来ないことを実証する。無茶を平気でやりながら、何か後世に残るものを作るのが大物の証だ。暗闇に赤く輝く「oak」のネオンを電車の中から確認して来たことを筆者は思い出しながら、意外なところで漢検がつながっていたことに社会の狭さを思いもする。さて、漢検は「準」のつく級を含みながら10級から1級まである。筆者のこのブログは準2級程度の漢字を使っている。筆者の語彙数は該当年齢のそれよりは少し上の程度と思うが、使う漢字は限られている。つまり筆者はあまり漢字を知らない。それで漢検を受けるつもりは全くないし、自分の能力に見合う級がわかっても生活は何ら変わらない。元来筆者は資格なるものが嫌いだ。それを得る機会がこれまでありはしたが、受験ないし申請しなかった。家内の次兄は資格取得が大好きで、10いくつは持っている。だがそれらを使って収入を得たことはほとんどない。資格取得が趣味である人はいる。それが生きる励みになっている。収入につながらなくても、難易度の高い資格試験を受ける人は、学ぶことが純粋に好きなのだ。あるいはそういう自分を確認するのが好きで、次々に難しい試験に挑戦する。それらの資格は社会で実際に使われないので無駄かと言えば、個人を救っている点でそうではない。無駄を言えばこの世すべてがそうだ。

以前にも書いたが、筆者が大嫌いなTV番組に「東大王」という名称であったか、クイズ番組がある。東大生がどうでもいいようなひねくったクイズを解答し、さすがと言われる。東大を出て雑学の物知りとなり、半ばスター扱いで高収入を得る。国はそういう彼らを作るために大学に援助しているのではない。AIがさらに進歩すれば、人間が解答するクイズ番組はなくなるだろう。それにAIにそういうクイズの答えを出させることは無駄の中でも最大だ。クイズの正解が多いから賢いというアホな考えを捨てない限り、やがて国は亡びる。漢字ミュージアムでは「漢字クイズラリー」なるものがあって、そのパンフレットには3人の若い男性の上半身の写真が掲げられる。彼らがクイズを作成したのだ。筆者は彼らが誰か知らないが、家内はTVのクイズ番組などの人気者と言う。それを聞いて嫌な気分になった。というのはこの全10問のクイズは非常に難しく、筆者は3つほどしか答えられず、家内はゼロであった。たぶん漢検の1級に属するクイズが含まれる。10問正解者は1万人にひとりほど思うが、この施設に何度も訪れている漢字ファン、さらに漢字クイズ好きにとっては挑戦のし甲斐があるだろう。最もわかりやすい問題を紹介する。小学1年生で習う漢字のみで書くことの出来る都道府県を3つ挙げよ。ふたつはほとんどすべての人が即座にわかる。次にこれは2階に通じるエレベーター・ホールの壁4面にびっしりと埋め尽くされる漢字のうち、「恙」をどう読むかと問うものだ。かなり年配者でなければこの言葉を使わない。次に、「ふくらはぎ」を漢字でどう書くかという問題は筆者はわらなかった。そして全くのちんぷんかんぷん、一生かかってもわからない問題が2,3あって、それらでかなり時間を費やしながら最後の10問目は面白かった。4つのうちふたつは筆者はすぐにわかった。どれも2字熟語を当てるものだ。最初の問題は、最初の漢字が偏と旁で出来ていて、旁が「羊」、2字目は最初の漢字の偏と同じ字が入る。2問目は逆に2字目の偏が「火」で、最初の文字と2字目の旁が同じ漢字。3問目は2字目のまだれ(广)のみ示され、最初の文字とそのまだれの下に入る漢字が同じ。4問目は最初の漢字は「ナ」のみ示され、その下に入る文字と2字目が同じ。これら4つの2字熟語は正解がわかるとなんだそうかと誰でも思うが、即座に4つともわかる人は漢字検定1級の能力とは限らず、案外小学生でもわかる者には簡単にわかる。またすぐにわかるから賢いというのでもない。漢字に対する特殊な才能に少々長けているだけのことで、こういうクイズは学校に入試に絶対に出ない。ただし、たまにこういうクイズに頭をひねるのはよい。筆者はこれら4問を「風風の湯」で85Mさんに示すと拒否反応を示された。もうじっくりと考えることが苦痛になっているのだろう。

会場は多くの外国人もいた。西洋人の男性がいて、漢字に詳しいらしく、係員と話していた。先の4つの2字熟語のような問題を解くことをその男性はきっと好むだろう。偏と旁の組み立て、その他漢字は部分が入れ替わりで意味が変わり、アルファベットにない面白さがある。1階の最初のコーナーは変体仮名で自分の名前を一字ずつハンコを押して行くもので、変体仮名に興味を持つわずかなきっかけになるだろう。1階も2階もどこから見てもよく、じっくりと見れば1時間では足りない。筆者らは先の10問のクイズ場所を順に探して解くのに必死で、そのほかの展示をほとんど見なかった。清水寺管主による最新の今年の漢字はロシアのウクライナ侵攻に因んで「戦」で、それが未表装で1階正面に掲げられ、残る95年以降の27点は2階の隅の部屋に一堂に展示されていた。世相の推移を伝えるとはいえ、数年経てばなぜその漢字が選ばれたのはほとんどの人は忘れる。ただし95年の「震」は生々しい。阪神大震災を伝える一方、漢検の理事長がやがて逮捕されることを何となく暗示してもいるようで、あまりいい漢字でない。それを言えば98年の「毒」や2004年の「災」もだが、「災」は2018年にも使われた。また「金」が2000年、2012年、2016年、2021年の4回も登場し、オリンピックの金メダルがらみではあるものの、拝金主義を連想させもし、あまりいい気分ではない。これらの漢字をざっと見ると、世の中は半分かそれ以上は嫌なことに思える。そして2005年の「愛」を見ると、何となく白々しい。筆者は「明」や「陽」、「素」の字が好きだが、それらは選ばれないだろう。次に、これはかつての理事かどうか知らないが、漢検の数人が中国、韓国と漢字の交流を行なっていることを示す集合写真があった。それが漢検を中国や韓国でも実施すればどうかとの運動のためであるのかどうか、漢字による交流が中国や韓国とあることは歓迎すべきだ。筆者は中国の簡体字や台湾や韓国で使われている旧漢字の現状を紹介するコーナーがあっていいと思ったが、図書室には漢字関連の本が4500冊あるとのことだ。そこで時間を潰せばアジア諸国で使われる漢字の違いがわかるかもしれない。またこれは間近に行ってよく確認しなかったが、1階北東角に祇園祭の鉾の実物大模型が一つ展示されている。それの屋根が2階を貫き、今日の3枚目の上の写真の奧に覗いている。これは漢検とは関係のない展示だが、すぐ近くの八坂神社のお祭りを館内の最も同神社に近い場所で紹介するのはよい。帰り際に気づいたが、1階では実際に山鉾の巡行に使われる染織品が展示され、皆川泰蔵のエジプト文様を織った「見送り」が間近で見られた。このコーナーはたぶん無料で入れると思う。定期的に「漢字クイズラリー」は内容が変わると思うので、この施設は暇つぶしに最適だ。一度は行ってみるとよい。

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