今日はほかにたくさんの文章を書いたため、ブログ用に予定していたことを書く時間がなくなった。そのためまたこのカテゴリーにする。紛らわしいが、うえのタイトルの日づけは以下にある紫色の文章を書いた日を示す。

今書くこの黒字はつまり今で、本日分の最下段に小さく日づけが出ている。前のこのカテゴリーで書いたかどうか記憶にないが、5年前の日記を改めて読んでみると、自分の興味の変遷と現在位置がよくわかり、今後の進むべき未知も同時に思い浮かぶ。昨夜も書いたように中年以降の10年などあっと言う間に過ぎ去るが、こうして5年前のことを振り返ると、それなりにいろいろ変化があったことを知る。おそらく若い頃より変化しているのかもしれない。だが、それらの変化をそうとは感じないようになっている。また、中年以降の変化とは周りに死ぬ人が増えることでもあって、さびしくなる一方であるので、あまり変化がない方がよいのにという思いが常に働いているかもしれず、それもあってなおさら変化を変化と感じないのかもしれない。また、変化というものの捉え方も若い頃とは違って来ることもある。よく筆者はザッパの曲の歌詞をそのまま引用して友人に「何かいいことあるか?」とか「変わったことあるか?」と電話で尋ねていたものだが、後者は特に口癖になって、「かーらころあ-かー」という呪文のように口振りが変化した。するといつも決まったように相手は「変わったことない方がええ」と言うのであったが、実際それは確かかもしれない。中年は人生の安定期で、変わったことと言えば病気とか失業とかろくなことはないのが相場であるからだ。だが、筆者の言う「かーらころ」は「何か面白いこと」の意味であり、「面白くなければ人生ではない」主義が言わせる言葉なのだ。それを周りの人もよく知っていてなお「変わったことない方がええ」と漫才のように応えるのだが、それはつまり「たいして面白いことないけれどまあまあ」という意味で、それを最初から筆者はわかっていてなお「かーらころあ-かー」と口にするのであった。今日はそのちょっとした「かーらころ」を自分で作った。何事も面白いことは自分で作らなければならない。自分ひとりで面白い時間を作ることか出来れば人間は恐いものなしではないか。

今日は大雨で、せっかく満開になった桜も全く台なしで、さすがの嵐山もほとんど観光客は歩いていなかったが、そんな誰も見ない桜をひとり占めして面白がってやろうと、雨をついて散歩に出た。わか家から数分と歩かないところに桜の木がいっぱいある林や公園がある。まるで自分の庭同然だ。だが、花の季節は観光客が多く、ほとんど足は向かない。であるので、今日などは絶好の日和であった。雨の日に歩くのがいやなのは、ズボン裾がずぶ濡れになることや、よく靴底がひび割れしていて水が入って来るからだが、新しく買った靴があるのでそれで足元は問題なかった。本当は長靴がいいのだが、今時長靴を履く人があるのだろうか。昔は大人もよく履いていたが、今ではすっかり見なくなった。あの格好悪い様子がそれなりに面白格好いいのだが。便利だが置き場所に困るので廃れたのかもしれない。それに都会では泥をはねる場所が極端に少なくなった。桜の林はまだ土がいっぱいで、緑の若草がたくさん生えて、そこに桜の花びらがたくさん積もって面白楽しい光景を作り出していた。また、大きな水溜まりの淵には散った花びらが大量に溜まっていて、それをたくさん掬って持って帰り、瓶か何かに詰めて写真を撮ってやろうかと考えたが、自然のままにしておくのがよいかと思い直した。ふと見ると、20年ほど前によく写生した姿のよい桜の老木が、去年は確かまだあったはずなのに、今年は切り株もすっかり失せて地面が少し盛り上がり、周りとは違って高い空が丸見えの広々とした場所になっていた。他の桜もこの20数年でえらく幹が太って風格が出たのはいいが、あちこち枝が伐られ、横に広がった姿から縦長に変化している。そんな不格好な枝振りに花を咲かせているのはわびしい。すぐ近くにあったはずの大きな柳の木がなくなったことは先日書いたが、人間よりも一見長生きするような木も案外と命の長さはわからず、枯れ始めると早いようだ。そんなことを思いながら、雨が激しくなるまで林の中に佇んでいたが、雨の中の満開の桜もまた乙なもので、ふと雨に因む思い出の曲を今日は採り上げようかと思ったりもした。誰もいない桜林が雨に濡れてとてもきれいなことに気がつき、家に戻ってカメラを取り、すぐに元の場所に戻って写真を2、3枚撮ったが、フィルム・カメラでしかも新しく入れたばかりなので、現像に出すのはおそらく3か月ほど先になるだろう。もしうまく写っていればこのページに掲げるつもりでいる。その頃にはどんな文章をこのブログに埋めているだろう。きっと変化があまりなさそうでいてあるのかもしれない。「面白くなければ人生ではない」と言うのであれば、ブログも飽きればさっさとやめることになるだろう。自分が退屈してしまえばきっと他人はその何倍もそうであるに違いなく、そんなものを続けても意味がない。ここから言えることは、ジョン・レノンの曲にもあるように、「落ち込んでいる時は誰も愛しはしない」であって、やるからには積極的に前向きにということだ。筆者がザッパから学んだことの最も大きなことはそれであった気がする。
●2001年9月16日(日)朝昨日の続きを書く。伏見人形を販売する土産物屋のちょうど前で、2年前の11月3日の文化の日の夜にリュック・ベッソン監督が立っているのを見かけた。声をかけて少し話をし、ちょうどカメラを持っていたのでふたりで写真に収まった。リュック・ベッソンのもじゃもじゃ頭と髭、それに小太りした体格にざっくりとしたえび茶のコートという姿はまるで熊のようで、「あらえびす」の呼び名にふさわしい印象があった。そういう独特の風貌の外国人が珍しい物を携えてやって来るということで、やがて日本では商売の神のえびすへと変化して行ったが、それを思えば、新京極の商店街アーケードが何とも国際的で面白いではないか。数か月前、その土産物店のすぐ前あたりの寺の扉が常時開け放たれ、和泉式部の大きな墓が夜でもよく見えるようにとライト・アップされるようになった。そういう京都の歴史の重みやプライドがごく身近に感じられる様子は好ましい。何年か前、マンハッタンにわずかの期間住んだことのある人から「大山さんも、きっとマンハッタンに行けばびっくりしていろいろと感化を受けるはず」と言われたことがある。都会はどこでもたいして変わらないと思うし、ましてや京都のような歴史のないマンハッタンのこと、摩天楼がどうのと言ったところで最初からさほど興味はない。世界最先端の場所と言うが、その最先端にも当然及ばないジャンルがある。流行最前線をいつも気にして生きるというのは、本人は格好よさのつもりで、若さの誇示でもあるのだろう。マンハッタンに行けないからひがんでいるのではない。マンハッタンに実際に立って、自分を何か優れた一角の人物と錯覚しなければ生きて行けないようなアホらしい神経は、形だけのコスモポリタンであって、コンプレックスの裏返しの最たるものだ。本当のコスモポリタン的思想があれば、マンハッタン経験ごときで自惚れる必要はない。外来のものを歓迎するというのはえびす信仰からして、昔から日本の優れた特性ではあったろう。ただし現代のように時代の変化が加速化すると、文化の熟成よりむしろ単なる混乱状態が続き、昔の良質のものまで駆逐して平気ということになりかねない。それは自分で自分の足元を崩しにかかることにもつながり、その一種の破壊行為は速度は緩慢ではあっても、どこかでイスラム原理主義の破壊行為に潜む何かと似ている気もする。経済発展があってこそ国家基盤が充実するという見方が真実とばかりとは限らないし、一方で国家をどう捉えるかも人によって考えが違う。マンハッタンのシンボルがテロによって崩壊した事実は痛ましいが、憎悪という心が人からなくならない限り、同じようなトラブルは永遠に形を変えて続く。