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●『アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHOL KYOTO』
ほしき アクアラングで 潜る人 海に倦まずも 陸で干されて」、「バズり人 三十分の 命かな 誰でも一度 注目を浴び」、「有名に あやかる作の ポップさは パロディのほか オマージュもあり」、「京都には ポップもありと ビール飲み ホップの苦味 今日も吐息す」●『アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHOL KYOTO』_d0053294_18374723.jpg 昨日の続き。市立芸大の美術課の卒展を見た後、「東山キューブ」の入場口に戻った。筆者はスマホを持たず、ここ数年は時計も持たないので時間がわからないが、入場口に時刻表示があり、30分前に着いた。2時間待ちとは大変な盛況で、お洒落な身なりの若者が続々と会場に入って行く。どの美術展でも会期の前半は空き気味で、最終日に近づくにつれて混雑する。筆者は本展にあまり関心がなく、見ないでおこうかと思ったが、その理由のひとつは1974年に神戸の確かそごう百貨店で開催されたウォーホル展を見たことと、彼の作品はその後も各地で見る機会があり、また写真図版で見ても感動はさして差がないと思ったからだ。74年展の図録は買わなかったが、会場の雰囲気はよく覚えている。灘の酒の籠樽がひとつ置かれていて、初日のオープニングでその酒が振る舞われたのだろう。またウォーホルが撮ったエンパイア・ステート・ビルや眠る男の顔の、全部見れば10時間以上は要するクローズアップ映像がいくつかの壁面にて上映中で、筆者は各画面を数分しか見なかったが、同展ではそれらのフィルム作品が最も印象的であった。今はYouTubeで見られるかもしれないが、展覧会場のしかも雑然とした空間のあちこちでそれら白黒フィルムを眺めるのは、版画や絵画だけの展示とは違ってインスタレーション的な面白みがあった。百貨店の催し会場であるだけになおさらどこか安っぽく、その分ウォーホルの存在が身近に感じられた。実際当時の彼の人気は現在ほどではなく、作品価格も数十億円にはとうてい届かなかったはずだ。ところが人気とは不思議なもので、一旦火が点くと大火事のごとく燃え広がる。そのようにして毎週毎月毎年多くの有名人、有名な事件が起こるが、ほとんどはすぐに忘れられる。ウォーホルの場合、作品が高額になり始めるとその流通をうまく操った、あるいは人々の流行への憧れを冷静に見つめながら次の手を打ち、価格が暴落しない域にまで高めることに成功した。そこには20世紀の映画やTVなどのマス・メディアの特質を知悉したウォーホルのいわば着眼と生き残りの術があって、美術とは別の次元の人々の本能に訴える何かを本能的に熟知していた。それは一言すれば、誰もが知る人気者、言い変えれば人気商品のアウラを利用することだ。そこにはディズニーランドを愛する人に典型的に見られる幻想の運命共同体への絶対的信頼がある。そこには幸福感が前提にあり、またそれは決して裏切らないという信頼が同居する。そういう流行礼賛文化を20世紀のアメリカは確立し、その代表がウォーホルということだ。
●『アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHOL KYOTO』_d0053294_18381065.jpg 筆者がウォーホルの作品を知る以前の中学生、美術の先生は授業で生徒全員にいずれ使わせる粘土やその他、業者が売り込みに持参して来た造形材料を筆者に与え、「大山君、これで何か作ってみて」と何度か言われたことがある。うちの1点に、直径25センチほどの皿があって、表面全体に塗られて乾燥した釉薬を、尖ったもので剥ぎ落とし、そうして表現した絵皿を業者に窯で焼いてもらう試作品があった。筆者はその皿の左にこビートルの映画『ヘルプ!』で黒いTシャツ姿で微笑むポール・マッカートニーの上半身を陰影のコントラストを強調して彫り、空いた右側にどこまで細部が表現可能かを確認する意味で、針先でビートルズの曲目をびっしりと刻んだが、焼き上がった緑色の皿は右側の文字の細部は釉薬が溶け出して半ば潰れていた。また今なら画像加工ソフトで簡単に出来るが、当時はゼロックスの複写はまだなく、ポールのカラー写真を白黒に置き換え、その明暗を強調することはそれなりの能力は必要で、そうして明暗がくっきりとしたポールの笑顔はウォーホルによるマリリン・モンローなどの有名人の顔を正方形の大きな画面にシルクスクリーン版画で表現したことと同じで、13歳の筆者はウォーホルと時代感覚と絵画表現の本質まで共有していた。これは以前に書いたが、10代半ばで筆者は最初に描いた油彩画はF6サイズで、それを縦向きにして3,40本の瓶を5、6段に分けて並べる棚を描いた。周囲に幅1センチほどの赤い枠を描き、棚の背景は水色、瓶は茶色でどれも同じ形をしている。なぜそんな絵を描いたのか記憶にないが、その後ウォーホルの似た作品を知って何となく恥ずかしい思いがした。言いたいことはこうだ。60年代の日本はアメリカ文化の浸透によって、ウォーホルの作品を違和感なく受け入れられるようになっていて、そのことは子どもにまで及んでいた。そこにはディズニーの影響を受けた手塚治虫の漫画があり、その後雨後のタケノコのように出て来た漫画の黄金時代がある。その当時、筆者の中学生の美術の先生は生徒全員に数枚の板を配り、自由に何かを作らせたことがあった。筆者の作ったのは今も手元にあるが、状差しだ。中心となる横長の表側に大きな横長楕円に赤塚不二夫の「おそ松くん」の笑顔を収めて彫り、赤を背景に全体を着色した後、わずかにあまった断片で状差しを壁の釘に引っかけるための同じく横長楕円の吊り具を作り、それを2本の青いタコ糸を何重にも撚って本体とつないだ。先生はその作品も感心しなかったろう。だがそれもイコンの「おそ松くん」を描いた点でウォーホルの作に通じていた。ウォーホルの作品が筆者世代に受け入れられたのはごく自然で、そこには美術と生活との一体化があり、流行を画する有名な聖像が生活の中に大きな場所を占めるようになっていた。
●『アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHOL KYOTO』_d0053294_18391379.jpg
 茨木にあった国立国際美術館の目立つ壁にウォーホルのマリリンの肖像の版画が10点ほど横並びに長らく展示されていた。ウォーホルは同作を初め、多くの映画人やミュージシャンなどの有名人を作品にし、シルクスクリーン技法の特質を使って色をさまざまに変えたが、作品化されたのは物故者に限らず、現存の人物像の採用が多かったのではないか。そうした現存の人物はウォーホルの同種の作の人気の高まりに反応し、肖像権の侵害を訴える気持ちより先に自分の肖像が同じように表現されることを望んだ。ウォーホルはそうした肖像版画を60年代から受注し、相手をポラロイド・カメラで撮影し、ほぼ1メートル角に決めた同じサイズの数色刷りのシルクスクリーン版画1枚を2万5000ドルに設定し、年間200万ドルを売り上げた。工場での流れ作業で、ウォーホルの絵画の才能は、カメラ撮影した肖像写真を平板な数色の色面に変えることに発揮された。それは浮世絵の原画画家に通ずる才能とも言える。筆者のように時間給に直して100円でもいいと思っているようでは駄目で、時間給にして数10万円を堂々と相手に言える人物でなければ世界的名声は得られない。高くふっかけて相手が値切ったり難色を示したりすれば無視すればよく、客は無数にいることを見せつける。ウォーホルはそのようにして財を蓄え、ますます好きなことが出来るようになった。そうなればなおさら爆発的に人気は高まる。人々は人気が高まって行くイコンをさらに上に押し上げようとする本能を持つからだ。そこにベンヤミンの複製芸術におけるアウラの減退についての考察が当てはまるか。ベンヤミンは版画には1点作品のようなアウラはないと考えたが、ウォーホルの版画はどれも複数生産だ。にもかかわらず今や場合によって1枚数十億円で取り引きされる。これは北斎の浮世絵版画の質のいいものが高値で落札されることと同じで、版画は1点絵画よりアウラが少ないとは言い切れず、むしろ現在の人々は同じ作が数点、数十点存在することに仲間意識を覚える。別の人も同じ作品を所有して感動しているという思いを通して、なおのこと自分の感動を高めるのだが、そこには一般人によるスター崇拝の心理が働いていて、スターの有名なポートレイトをウォーホルが作品化することで二重の崇拝物と化す。さらに、世界各地に散らばっている同じ版画を同時に見比べることは出来ず、見比べても色合いなど微妙に差がある。製作から年月が経つとさらにそうなり、各版画は独自の、すなわち1点作品的なアウラを持つようになる。さらに版画は本と同じで、製作された時は数は多くても、数百年の間に大半は消える。白居易が生前に発刊した『文集』は現在1冊も存在しない。高額で取り引きされるウォーホルの名作版画は資産として大事に扱われるので、数百年後も安泰と想像するが、誰にも先のことはわからない。
●『アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHOL KYOTO』_d0053294_18412519.jpg 今日の最初の写真は93年春製作の180センチ角の筆者の友禅屏風で、今も手元にある。ホームページ作成頃から画像を掲げているが、ここで説明をしておく。作品名「Tu,Lips」は「お前は唇だ」の意味だ。ウォーホルが採用したマリリン・モンローの肖像写真は唇に目が行く。とても色気があり、ウォーホルもそれに着目したであろう。やがて同じ写真を繰り返し使って作品を作る。エリザベス・テイラーの肖像を使った版画にしても、ウォーホルは最も美しく、印象深い写真を選んだ。イコンを意識すれば当然だ。前述のように中学生の筆者はマス・メディアで有名な人物、たとえばビートルズに夢中になった。ウォーホルはビートルズのジョンやポールより12年早く生まれ、またアメリカ人であるので、ビートルズの音楽を特に好んだことはなさそうだ。またイコンの採用は自国の人物で充分に賄えられた。それはともかく、筆者は茨木の国立国際美術館の壁にあったウォーホルのマリリンの版画群は、その平面的な色合いに注目した。陰影を持たせず、1版1色、しかも基本となる墨版以外は色を部分に使う。その色は容易に変更可能で、マリリンの肖像もマリリンとわからないほどの色合いで摺られた作もある。そうした色合いの変更が容易でどれもがマリリンであるウォーホルの作品を意識下に置きながら、筆者は当時盛んに花を写生し、自宅の裏庭で育ててもいた。ある日、通販業者から届いたカタログに、花弁が著しく細く尖った真っ赤なチューリップがあることを知り、その球根を取り寄せた。そして開花した花を数多く写生している間に、その花をウォーホルのマリリンの唇の色面に沿って隙間なく配置することを思いついた。それは写生を元にした庭の一角を表現した作で、その唇の上に浮かぶのはマリリンの鼻になぞらえた夕焼け雲、そしてマリリンの頬にひとつあるほくろを、庭に転がる小さな石に見立て、その表面にマリリンの笑顔を染めた。青い顔全体は青空のつもりだ。左下隅の斜めの区切りはマリリンの頬の輪郭で、その外側に題名の文字を染めた。この屏風は友禅を基本に写し糊を夕焼け雲の部分に適用している。真っ青な地色は数回に分けて染め重ねた。画像ではそうは見えないが、色合いがどこも同じに染めた。こうした濃度の高い単色で染めることは案外難しい。それに唇の赤が滲み出して白い部分を汚しやすい。筆者のこの作はウォーホルのマリリンを元にしているのでそのパロディになるようだが、風刺の意図はなく、むしろひとつのオマージュだ。京都画壇の伝統にしたがって写生を元にした花鳥画と言ってよく、一方で浮世絵の色合いを意識した。中学生でポール・マッカートニーや「おそ松くん」を画題にした筆者は、40歳直前に本作を作り、相変わらずミーハーでありながら友禅の技術を完全にマスターし、どのような作でも作る自信があった。
●『アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHOL KYOTO』_d0053294_18414389.jpg さらに寄り道しておく。当時筆者は写生した花を人間の顔に組み立てることを好み、いくつかの屏風を作った。その考えはパソコンを使うようになって左右対称の切り絵に引き継がれた。これは15センチ角の普通の色紙をふたつ折りし、その裏面の片側に下絵を描き、折ったままでカッターナイフで切る。そうして2003年3月に作った「カラヴァッジョの薔薇花序」は、題名がそもそも語呂合わせ的で左右対称を意識している。今日の2枚目の画像の左で、これは自画像だ。両眼が薔薇の花、眉毛が蕾の列、顔の輪郭が薔薇の枝や葉、棘からなり、血がしたたり落ちている。筆者は裏庭に薔薇を育てているが、よくその棘で指を刺す。それに筆者は血を流すことがしばしばある。それはいいとして、この切り絵を筆者はさまざまに展開して別の作品をその後に作り、また半年後に画像加工ソフトで画像の四方隅を引っ張った画像を元にして新たに切り絵を作った。「『薔薇花序』の鼻つまみ」と題し、2枚目の画像の右側だ。筆者はこれが長年気になっている。その切り絵をそのまま、あるいは少し拡大して型紙を作り、型染めによるキモノが出来ると思うからだ。反物全体のこの正方形の切り絵を一単位として繰り返し染めると、たぶん百作のヴァリエーションが容易に出来る。それはウォーホルのマリリンや他の版画作に似た手法だが、むしろ日本の糊型染めにその原点がある。筆者はそれを一方で見つめつつ、ウォーホルをもう一方で意識する。筆者の切り絵は現段階では切り絵としてのみに留まっているが、糊型染めの型に転用することは容易だ。ただし、たとえば「『薔薇花序』の鼻つまみ」を全身に隙間なく染めたキモノはグロテスクだろうか。そう見えない配色を考え、また一部はさらに形をデフォルメしてもよい。そうして染めたキモノは、半ばは薔薇模様で、半ばは筆者の肖像画の変形だ。筆者がウォーホル並みではなくても、もう少し有名であれば依頼する人もいるが、何年待っても無理だ。その切り絵はキモノ以外にも展開可能だが、無名では夢想で終わることは致し方がない。せいぜいTシャツの胸にプリントしようかと思わないでもないが、筆者はTシャツの愛好家では全然ない。綿生地に染めて襟つきのシャツを誂えるのもいいが、あまりにパンクでは笑われる。話を少し戻す。切り絵は実際に筆者の手で切るが、画像加工ソフトを使えば自在に形も色も変更出来る。しかし筆者はそれを試みながら、気に入った画像はやはりそのまままた切り絵の下絵にして色紙を実際に作る。そこには基本は手仕事との意識がある。ウォーホルもそうであった。写真を元にした版画ではあるが、何をどう摺るかの色面分割は自己の感性にしたがった。その点に他者には真似の出来ない個性がある。それはおそらく筆者の単純きわまる切り絵にも言えるだろう。
●『アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHOL KYOTO』_d0053294_18421912.jpg 本展は題名に「KYOTO」を含み、ウォーホルと京都の関係性を強調している。74年に東京と神戸で開催されたのが日本初の展覧会で、ウォーホルは京都よりも神戸に縁があったと言うべきだが、その展覧会を期にウォーホルは二度来日し、いずれも京都にも来た。二度目の来日時に撮られた写真が去年9月から本展の会期最終日まで京都市内のとある画廊で開催され、京都は官民一体でウォーホルの顕彰に尽力したが、神戸でもウォーホルは歩き、たぶん写真はたくさん撮られたはずだ。ウォーホルは54年の最初来日では京都で寺や人物の写生を行なった。本展はそれらの紹介を含み、またその来日時にウォーホルが集めたホテルや名所のパンフレット類も展示された。それらは作品ではないが、今の若者には見慣れない昭和のデザインで、そこからウォーホル作品の時代感も感得出来る。54年から20年後の74年とでは京都も大きく変わった。そのことをウォーホルがどう感じたかの記録はない。本展は京都市内の自治会看板にポスターが長い間貼られるほどに紹介され、京都市はウォーホル・ファンの観光誘致を目論み、その効果のほどは2時間待ちの盛況から想像出来る。そして「東山キューブ」の活用にもウォーホルは一役買ったが、予想どおり展示作品で特別目新しいと感じた作はない。館内は暗くされていたので筆者の半ば壊れた露出過剰気味に写るカメラは正常な写真を撮った。それらを3枚目以降順に掲げる。3枚目上は12枚組であったか、静物の素描とそれを元にした版画で、後年の墨版に部分的色面を載せる技法が見られる。ウォーホルは誰の影響を受けたかと言えば、筆者にはベン・シャーンから学んだことは小さくない気がする。ただしウォーホルは社会への抗議や風刺などの部分を除き、商業デザイナーの商品画の延長としての表現から出なかった。ベンを思わせるのはペンによる単純な線描で、ウォーホルはベン以上に省略を心がけた。日本で舞妓や僧侶、寺院をスケッチした時も、どれも途中で諦めた未完成の作に見える。その点は描き込みの度合いが強いベンとは大きく違うが、赤や青の特徴的な部分使用には通じるものがある。またベンの素描はペンによるインクの跡が筆による鉄線描とは違ってところどころに滲みがあってごつごつとしていて、その素朴な味わいがベンの作に骨太の印象を与えている。ウォーホルは明らかにそうしたベンのドローイングの個性を学び、かつ自分の技法を獲得した。それは滲みを積極的に利用することだ。下絵の上に別の用紙を重ね、その用紙の上からペンで下絵をなぞりながらインクの滲みを意識して描いた。それは用紙の撥水性を利用した技法で、手仕事の味わいを残すために、部分的に描いてはインクが乾かない間にその箇所を何かで押さえて滲みを生じさせた。インクの滲み具合は予想がつかないから、そうしたドローイングはパソコンでは同じようには出来ない。
●『アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHOL KYOTO』_d0053294_18424500.jpg そうした素描を写真に撮り、シルクスクリーンの原板を作ると、一見本物の素描に見える。写真を使いつつ、写真そのままではない筆致や色面分割構成にウォーホル版画の特質がある。またシルクスクリーンは1メートル角にもなればインクを擦り込む作業は手仕事ゆえに、厳密には銅版画や木版画と同じく1点ずつ微妙な味わいの差が出る。3枚目下は牛の頭部の繰り返しがほとんど壁紙に見える。ウォーホルは単位を繰り返して巨大な画面を構成することを好み、そのことは連作にも表われている。また前述の「『薔薇花序』の鼻つまみ」を市松文様的に配置すると、この作品のような味わいになるだろう。写真4枚目の上下、5枚目の上は入場制限がなされていた特別に設けられた一画で撮った。かつてウォーホルはヘリウムガス入りの銀色の袋を多数浮かばせた展示をした。その再現で、今回は特別に壁面に色鮮やかな抽象模様が映じられるプロジェクターが使われた。筆者は部屋の隅に2分ほど陣取り、帽子を被った自分の頭部の影が写し出される機会を待った。そうして5枚目の上では、左下4分の1の区画に筆者の上半身の後部の影が写り込んだ。5枚目下は説明不要だ。坂本龍一の顔を用いた作もあって、ウォーホルは何人の同類作を作ったのだろう。これらの有名人は今後の歴史の推移によってほとんど忘れられる者が混じるが、そうなったとき、無名の人物の肖像画として鑑賞に堪えるか。筆者は中学生1年生の頃、美術の教科書にカラーで載っていたモジリアニの「ガストン・モドの肖像」を大いに気に入り、水彩で模写した。モドはフランスの俳優だが、今ではそのことをほとんど誰も知らないのに、モジリアニの同作は造形的に素晴らしい。6枚目上は迷彩柄で、連続模様好みの作だが、正直なところ、アウラを感じない。こうした作はウォーホルが柄を高さ何メートル、幅何メートルに拡大拡張すべしと指示しただけで、ウォーホル自身はほとんど描いていないだろう。6枚目下は最晩年の作で、ミラノにあるダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の壁画からそう離れていない場所で製作された。東欧系のウォーホルはカトリック信者で、それでこうしたキリスト像をいつかは扱いたかったのだろう。だがそれはルネサンス時代のイコンを借りながら、現代の喧騒のイメージを加えたもので、ヨーロッパの街角によくあるタギングを交えた素人壁画に見える。そうした作を模倣しても美術館で飾られれば、芸術のアウラを獲得するとウォーホルは信じていた。だがそこには何事ももはや面白くないという大いなる苦味が色濃く感じられる。カゲロウのように消えて行く現代の有名人のイコンの陰に、半ば永遠なそれとなればキリストなどの宗教家しかあり得ない。そしてダ・ヴィンチの名は永遠に残って行くとして、ウォーホルはどうか。
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by uuuzen | 2023-03-18 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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