「
抵抗を 肯定せぬや 皇帝は 人の高低 問わぬ孝悌」、「定職を 持たぬ人では 抵触す 差別と叫び 安定食を」、「雷の ゴロで駆け込む 便所にて 腹を下して 語呂を考え」、「工夫でも 工夫はします 不幸でも 生きるからには イキらねば損」
昨日の4枚目の「上」の写真の奧の暗がりは本館に通ずる出入り口で、今日の最初の写真はそこから入ってすぐの本館2階の回廊で撮った。この回廊は改装以前にはなかったか、あっても利用出来なかった。写真下に地下に通ずる出入り口が見える。そこを通ったことは
「その1」に書き、写真も載せた。最初の写真の「下」はその回廊の突き当りで、本館東端の玄関を見下ろす場所だ。ここは昔からの馴染みで、久しぶりに筆者は立ち、写真下方に見えている階段を下りた。もちろん玄関は閉ざされて出入り不能で、その点は改装の残念なところだ。この旧玄関の地下に新たに出入り口が設けられた。2枚目の写真の「上」は先の階段を下りて南端まで行き、先の階段を見返した。奧にあるのがそれで、若い女性が下りて来ている手前の階段は最初の写真「下」の奧に見えている。その階段を上って2階の反対側の回廊に立って撮ったのが2枚目「下」で、最初の写真「上」の左上の螺旋階段が手前に写っている。以上で改装された同美術館の全体を見たことになるかと言えば、そうではない。新しい出入り口を入って売店がある通路の北の突き当りに小規模の展示空間が新たに設けられ、そこに入ったことはあるが、そこから東に延びるトンネルのように暗い通路はまだ歩いていない。それにその展示室に上の階に通ずる螺旋階段があったはずで、そこも利用していない。それはともかく、本館2階の各部屋は昔のままだ。これがよかった。新しい建物もいいが、古い建物の内部はもっとよい。筆者が古い人間であるからだが、若い世代も時代を経た風格は感じる。昔の人はそれなりにしっかりとした仕事をしていたのであって、新しいものが何でも技術的に進歩したとは言い切れない。それに今では調達しにくい材料もある。そういう古い建物を日本はどんどん壊して来た。京都がいい例で、西陣の町家はほとんど残っていないか、あっても町並みが昔とは大違いで、京都らしさは大きく失われた。一昨日祇園の写真展について投稿した。祇園は石畳みが敷き詰められ、電柱がなくなった。それがいいのかそうでないかの判断に迷う。江戸時代は電柱がなかったのでその景観に近づいたのだろうが、人を寄せつけないよそよそしさが増し、歩いて楽しくない。もちろん一見客お断りの敷居の高さという思いが反映しているが、実際に気軽に普通の人が来てもらっては困るという拒否感が経営側にあるからだろう。まあ京都の花街はそれでいい。縁のある人だけが馴染みになればいい場所があるからだ。その点は美術館も同じで、関心のない人には出入りしくいはずだ。
本館では今年京都駅東方に移転する京都市立芸術大学の卒業展が開催されていて、それをざっと見た。年一度の同展を筆者は70年代からこれまで5,6回見た。卒業生全員が美術関係の道に進むことはなく、また学校で美術の先生となる者も数は限られる。それで本展が自作の最初の美術館での展示になる学生が多いはずで、そのことを暗に知っている彼らは全力投入して作品を製作する。将来有名になる芸術家もこうした卒業製作展の作品にすでに個性がよく表われている場合がほとんどで、その意味では勢揃いした萌芽を一堂に見る楽しみがある。とはいえ作品数はとても多く、つぶさに眺めれば2,3時間は要する。筆者は1時間ほどで流し見したが、気になった作品はままある。まず、名前は覚えなかったが、新聞サイズほどの手描きの絵本を1冊作った女性がいた。そのうちの2,3枚の絵を拡大コピーして壁面に掲げていて、数人の若者がその絵本見たさに列を成していた。題名は「あたなにとって宗教とは何ですか」といったもので、宗教2世の事件が問題になっている昨今を反映した問題作だ。親の信心を子どもは無条件に受け入れるべきかどうかの疑問が作者の彼女にあって、これまでの自分の体験を絵本にした。久坂葉子の母親は岡山から東進した金光教に入信し、久坂はそれを冷ややかに見ながら、一時期数珠を手首に巻き通し、宗教とは何かを問うていたようだ。結局宗教が彼女を救うことは出来ずに自殺したが、その意味では宗教2世の苦しみの最も早い一例だろう。本展の同絵本には親が信心する天理教の数々の行事に参加した思い出やその時に味わった疑問が描かれつつ、彼女は宗教を否定しないと結論していた。筆者は感じやすい彼女がこの絵本を作り、その後どのように人生を歩むのか、それを想像しながら何となく涙が出そうになった。彼女はきっと心の美しい、おとなしくて楚々とした人柄だろう。誰でも生まれた境遇の中で自分の幸福を求めて生きて行かねばならない。それが同じ信仰を持つ仲間の間においてか、それとも一緒に学んだ学生たちやその後に出会う人々かはわからないが、絵の才能に恵まれた彼女は自分を慰めることは出来る。それはとても幸福なことだ。それに絵を描く人は孤独に耐えるし、また孤独でなければよい作品は生み得ない。となれば本展は若者の孤独の叫びの博覧会と言ってよいが、若者らしく野心を漲らせた作品もあって、その意味でも人生の縮図で、見応えがある。先の大型絵本は現在の社会の風潮の一端を示すが、現代美術の最先端が本展で見られると言ってもいい。もちろんそれは社会の軽薄さに対峙し、あるいは飲み込まれての作品が混じりやすいとの意味を含めてのことだが、入試の高い競争率を勝ち抜いて入学卒業した彼らであるので、箸にも棒にもかからない作品はまずない。
今日の3枚目の写真は染織専攻課の中でも友禅染のキモノを展示した二人の女性のうちのひとりの土屋菜生さんの訪問着だ。題名は「ハッピーバスデー」、小合友之助賞の札がついていた。もうひとりの女性は自作の訪問着と振袖のそばで終始年配の笑顔の男性に挟まれて話し込んでいた。筆者は会場を一回りした後に同じ場所に戻ると、まだ同じ状態で、作者の山口汐璃乃さんに話しかける機会がなかった。彼女の2点のキモノの1点は三浦景生賞を得ていた。すぐにでも呉服屋で展示可能な伝統的な色合いと柄行きで、たぶん彼女は数年のうちに新進作家として作品が売れるだろう。だがそれだけに筆者は面白みを感じなかった。小さくまとまってしまっていると言ってよく、そのことは彼女のそれなりの美貌も伴って商品になるには却ってつごうがよい。彼女の2作の写真を撮ったが、露出過多でもあってそれらは載せないでおく。一方、もうひとりの作家は奈良出身で、土谷菜生さんだ。彼女は現場におらず、これも残念であった。小合と三浦はローケツ染めの物故大家で、友禅染のキモノにその賞が授与されるのは少々奇異だが、それほどに実力が認められたからだ。土谷さんのキモノのそばに自作を紹介する冊子が置かれていて、その全ページを見た。彼女は自分のことを、どのようなひどい環境にも堪え得る自信があると書き、その陽気さが大いに気に入った。彼女のキモノはどれも実験的で、山口さんのように伝統的文様やその布置をほとんど意識していない。そのために実際に着ればおかしなことにもなりかねないが、そのくらいの冒険は学生にあってしかるべきだ。彼女は卒業後に友禅の世界に進むだろうか。それはない気がする。彼女の才能を受け入れる師匠がいるとしても、将来友禅作家として充分に食べて行けるかどうかは、山口さんのように物分かりがよくなければ無理だ。しかし筆者は断然土谷さんと一度話をしたいと思った。この文章を彼女が読む確率は絶望的に少ないが、彼女の才能は磨き続ければひとかどのものになるとだけは言っておきたい。現在の京都市芸大で誰が染色を教え、また友禅の魅力を学生に伝えているのか知らないが、筆者は本展で初めて芸大生の友禅キモノを見た。同じ部屋の片隅に巨大な布を染めた壁画があって、その絵の発想と染料による表現力に驚嘆したが、彼女の作は染色によらずとも可能と言ってよく、京都の伝統的な染色界では居場所は見つけにくい。ただし「東山キューブ」のような巨大空間を展示場所として提供されれば大いに発奮して場を盛り立てるだろう。その意味で染色の現代美術を示唆し、また彼女は目指している。染織専攻課はほとんど女性だろうが、本展で筆者が目に留めた黒い大きな画用紙を何枚も用いた漫画的切り絵の作者は男性で、着想がとても面白かった。切り絵は切り直しが利かないが、平板な画面ゆえに気軽な印象を与え、その見やすさが魅力となっている。
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