「
曝えた 盤(さら)から鳴るや サラサーテ 提琴の泣き われに染み入り」、「曝えの 姿やさらば スラバヤの 騾馬素晴らしき 薔薇に飾られ」、「素晴らしき ばら寿司知ると しらばくれ しばらく暮らし 楽なく暗し」、「大箱を 建てて飾れや 見世物を 空のままでは 胸も虚しき」
2月11日に京都市京セラ美術館に行った。今日から3回に分けてそのことについて投稿する。
「その3」を投稿してから5か月経つ。2021年7月に
同館の売店まで入ったが、ようやく同館内部のすべてを見て回る機会を得て、京都市立美術館が京都市京セラ美術館に名称変更された後、建物がどのように変わったをようやく知った。最大の変化は「東山キューブ」と称する、おそらく正方形の大会場が東側に空き地に建ったことだ。今日の写真はその建物の外観だ。写真の色がおかしいのは帰宅して調べるとすべてほとんど真っ白に写っていたからで、補正してわずかに色を取り戻した。筆者のデジカメは隣家購入時に内部にあった諸備品の新品のひとつで、そられも含めて筆者の所有になった。機種を書くとオリンパスのCAMEDIAの初期タイプのC‐920ZOOMだ。これを10年ほど使ってこのブログの写真を撮って来た。単3電池4本を使うこともあって重くて嵩張るが、使い慣れてちょうどよかった。「風風の湯」の帰りに満月を撮ろうとし、撮った後、下着や桶などと一緒にバッグに詰めたままにしていたところ、その湿気か、あるいは家内が下着を取り出す際にカメラを地面に落としたので、ついに故障した。明るい場所で撮ると露出過剰で白く写る。ところが部屋の中を半ば暗くして撮ると、以前どおりに写り、半分壊れたと言ってよい。代替機種を中古で買うつもりながら、まだ入手していない。筆者はフィルム時代からオリンパスが好きで、一眼レフのデジカメも同社のものを買った。それはともかく、今日の写真は何が写っているかがわかるように時間をかけて加工したもので、これはこれで面白いと思っている。最初の写真の「上」はアンディ・ウォーホル展の入口だ。当日筆者は2時間待ちを言われた。その間に「東山キューブ」の外観を撮ろうとし、庭に出た。その直前に撮ったのが最初の写真「下」で、
「その2」に庭のほぼ全景の写真を2枚に分けて載せた。「その2」の2枚目の写真の右端からさらに右、すなわち南方に出入り口がある。そこから出て「東山キューブ」の南東角から北西を見たのが今日の2枚目の写真の「上」だ。奧に本館が見えている。2枚目の「下」は「東山キューブ」を囲む空中広場となっているテラスへの階段で、同館の北東角だ。この階段の存在をグーグルのストリートヴューで以前に確認しておいた。この階段は本館玄関を通じずに道路側から利用可能と思うが、無料でもあまり目立たず、利用する人は少ないのではないか。
3枚目の写真「上」は階段を上って北向き、「下」は南方を向いて撮った。板張りが少々意外であった。雨や湿気で木材が何年保たれるのか知らないが、タイルや防水シートを張ったコンクリートの上を歩くよりは断然よい。4枚目の写真「上」は西を向いた。右奥が「東山キューブ」で突き当りが古い本館だ。「下」は写りがとても悪いが、右奥が本館、左手は庭だ。また「上」の写真からはわかりにくいが、この板張りのテラスの西突き当りは本館に直接通じて出入りが出来る。そのことを今回知った。写真が示すように階段に座る人が目立ち、このテラスは天気のいい日に一度味わうのがよい。高さを本館より低く抑えているのは建築法の関係からだろう。その点も好感が持てる。つまり「東山キューブ」という新しい建物は美術館敷地内の東北の鬼門にあってなるべく目立たないように建てられた。ところが企業が命名権を得た岡崎にある施設の全部がそうではない。この美術館から西北100メートルほどのところの京都会館は老朽化のために一部が改造され、「ローム・シアター」という名前に変わった。筆者はそれからは一度も内部に入っていないが、気になることがある。以前は高さが抑制され、平安神宮の本殿前の広場の東方からその屋根が見えなかった。つまり、平安神宮の境内からどのような現代の建物が見えなかった。そのことは東京ではほとんど考えられないだろう。加山又造の六曲一双屏風に、新宿御苑だろうか、庭園の並木を描いたものがあって、背後に高層ビルが林立している。それを現代の美と捉えるしかない東京であって、そういう風景を描くことが現代の画家の役割と好意的に見ることは出来るが、筆者は感心しない。話を戻して、京都の北野天満宮の境内からは現代の建物の屋根は全く見えない。大阪の天満宮とはそこが違い、さすが京都だ。ところが平安神宮の歴史はまだ120年ほどで、その点が侮られたのか、「ローム・シアター」は平安神宮境内から丸見えの新しい直方体の建物を屋上に継ぎ足した。その足された部分が同神宮の境内からは突き抜けて見える。これが残念に思えるが、同館を利用する人は内部に新しい空間が出来て喜んでいるだろう。出資したロームにしてもそれが自慢であろうが、岡崎全体の景観を考えると掟破りだ。設計者が平安神宮を軽んじたとは思いたくないが、改築の許可を出した市役所の職員も含めて考えが回らなかったとすればあまりにおそまつだ。似たようなことは日本国中にあるはずで、新しい箱を建てることを競い、その結果当初の目論見がうまく行かず、維持の経費が嵩み続ける事態が各地で報告されている。それを言えば、「東山キューブ」もどうか。以前に書いたと思うが、現代美術作品の巨大な展示空間が京都になかったのでそれを求めたいのはわかる。近世や近代の美術止まりでは客の数は限られるとの考えだ。
ただし京都の現代美術ファンはたとえば大阪の国立国際美術館に足を運ぶだろう。京阪神を東京と対比する観点に立てば、京都、大阪、神戸の三都市で美術館は役割を分ければよいし、これまではおおむねそうなっていた。ところがこの三都市の言葉、発音は異なり、考えも違い、あまり仲がよくない。そのことを東京の人はよく知らない。この三都市を今は関西という漠然としたイメージでひとくくりにするが、筆者は関西を四国九州沖縄まで含めた言葉と思っているので使いたくない。京阪神の特に大阪が東京に対抗意識を持ち、国立国際美術館を当初茨木の万博公園内に持ち、その後中之島に移転させたことは、万博後のひとつの儲けものでとてもよかったと思う。ところがそのことに京都市がうまみを思ったのか、京都市美術館の名前を企業に売り、そのことで得た費用で新館の「東山キューブ」を建てた。環境保護の観点からはあまり批判されない形となったのはいいが、肝腎なことはその内部で今後どういう展示をして行くかだ。国立国際美術館とはまた違う現代美術の展示を考えているのであればいいが、現代美術作品が押しなべて大型化していることは疑問であるし、またその裾野の広がりからして、駄作も混じりやすい。神戸には兵庫県立美術館という巨大な箱が建てられ、同館の外側には現代彫刻が展示されてもいる。チラシなどで紹介されるそうした作品の中には酷いものが混じり、そのことは作者の顔写真からも納得出来る。それほどに現代美術はそこらの普通の兄さんやおっさんが趣味で手がける程度のものになっている事実は、展示空間を作ったため、それを空いたままには出来ないという美術館側の事情がある。空いたままにすればなぜ建てたのか、それは税金の無駄使いだと言われるからだ。これは美術ファンの中に考えが大きく異なる人がいることであって、筆者は比較的どの時代のどの分野の美術展でも見るが、そうではない人もいる。現代美術しか興味のない人も大勢いるから、「東山キューブ」が建ったことに期待する人が多いことはわかるが、京都はどう頑張っても大阪や東京になれず、なる必要もない。文化庁の一部機能が京都に移転し、今後京都の文化がどう変わるのかわからないが、京都は平安京であった1100年間の文化を紹介すればよく、大阪東京並みの、そして京都にはほとんど関係のない現代美術にまで手を広げる必要はない。では東京が日本の現代美術を中心になって担うとして、その未来はどうかとなれば、筆者は暗いと想像する。そのことは日本の現代美術で世界に通用するものがほとんどことと、有名な「具体」が神戸から興ったことからもわかるように、結局は京阪神すなわち上方が培って来た文化の伝統の長さがものを言う気がするからだ。また京都がそう自覚するので、「東山キューブ」を欲したと見ることも出来るが、手を広げ過ぎだ。
土方定一が昔『芸術新潮』に書いたことに、毎年公立の美術館が公募展で最優秀作品を買い上げることを何十年も続けると、後に一時代の美術の動向を知ることに役立つが、現実としてそうはならないとの思いを述べた。まず買い上げは予算の点で現実的でない場合がある。最新の作品を購入するより、評価が確立した昔の作家の作品を買うほうが、美術館に足を運ぶ人が増えるからだ。それに修復費も必要だ。また毎年無名の作家の優秀作品を買い続けたとして、後にそれらがゴミの山になる可能性のほうが大きい。実際土方時代の現代美術作家で現在も名が知られるのはごくわずかのはずで、美術館が購入したそうした作家の忘れ去られた作品が山とあるだろう。そうであっても、ある若手の作家が専門家から高評価を受け、作品が購入されたことは、その時期のひとつの祝うべきことで、その祝福を得た段階で役割は終わっているのであって、現在のその作家や作品が忘れ去られているとしても全くかまわないという意見がある。芸術家も含めて自分でやり甲斐を感じて生きて行くことは肯定されるべきで、作家のその後がどうなるかは誰にも予想がつかない。おそらく土方はそのことを思いつつ、世紀を超えて世界中で評価の高い作家の作に憧れた。先にそこらの兄さんやおっさんと書いた。それは顔写真を見ての筆者の思いで、顔に知性が現われているかどうかを判断基準にしている。何百年も評価され続ける作家は簡単に言えばみな知性が高い。画家は上手に描けばいいのだが、その上手は手先の器用さだけはものにならない。何を考えて制作しているかだ。これは彫刻でも音楽でも文学でも同じで、より深く広く考える者は作品にそのことを反映させる。白居易の詩は読み下しや解説を読むと何を考えて作ったかがわかる。そのことは多くの人が思っていることで、特別に奇異なことを述べているのでは決してない。では白居易はいつの時代にもいるごく普通の人となりそうだが、思いを限られた字数や平仄を守りながら詩の形にする才能は天才と呼ぶべきものであった。貧しい家柄から科挙に合格したからして、頭脳の明晰さは国を代表するほどであった。そういう人が現世の政治を憂い、貧しい人、弱者の味方になって詩を書いても、国は滅んだ。だが詩は残った。そういう天才に匹敵する才能はいつの時代も生まれはしても、充分開花せずに消え、一方で世渡り上手な凡才が時代の寵児となって春を謳歌する。白居易の時代もそうであったろう。将来「東山キューブ」が取り壊され、かつてそこで展示された作品を誰も覚えていないという時代は来るだろう。その時に土方や筆者がこれに出会えて人生を豊かに暮らせたと思う名作は相変わらず人の心を打っているはずだ。そういう時代を超えた名作を、ある国が獲得するにはどれほどのゴミの作品の山を築かねばならないのだろう。
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