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●『音のハーモニー 印象が奏でる風景』
蹙を 売れと言われて 眉しかめ 深い不快に 緊縮しきり」、「寝食を 忘れて憶え みな忘れ 試験終われば 無用の知識」、「半世紀 経って古きと 思いしが 千年前の 詩に驚き」、「同じ文字 用いて差あり もちろんと 認めぬ人が AI頼り」●『音のハーモニー 印象が奏でる風景』_d0053294_00133520.jpg1月8日に堂本印象美術館で本展を見た。「音のハーモニー」の題名はチラシやチケットに印刷された印象30代半ばの作「公子行絵巻」の最も美しい部分において若い男女たちが阮咸や琴、笛を奏でているところに着目したものだろう。だが本展の展示作は楽器を奏でている印象の作ばかりではなく、筆者は「音のハーモニー」を「色のハーモニー」とみなす。一方この「音」はこの絵巻の元になった唐時代の詩の一形式「楽府(がふ)」を意識してのことだ。手元の岩波書店刊『中国詩人選集12 白居易』の解説に以下のようにある。「楽府とは、もと漢の時代に音楽をつかさどるところとして設けられた官庁の名であるが、この官庁が作り、また採取した歌謡のたぐいで、楽器の伴奏で演奏された歌そのものをも、のちには官庁の名にちなんで楽府とよぶようになったし、これにならって作られた後世の模倣作をも、同じ楽府という名でよんでいる。」白居易(白楽天)の代表作のひとつに「新楽府」があり、そこには中国が誇る音楽のことがさまざまに歌われ、また西域の激しい踊りやそれを伴奏する音楽を貶めているが、白居易は中央アジア出身とされ、西域の音楽に馴染んでいたはずだが、進士となって唐の重要な地位に就くと愛国的な風を装う必要があったのだろう。それはともかく、白居易の「新楽府」は風刺や皮肉に富み、またそういう態度ゆえに左遷させられたが、「新楽府」は楽府本来の主旨を守るべきという態度を貫いたのは、「いたずらに皇帝をほめたたえたり、その心をよろこばすことをあてこんだ色っぽい歌詞ばかり」が多くなって来たと思ったからだ。風刺という言葉は辛辣の度合いが強く、白居易は「諷諭(ふうゆ)詩」と呼んでその部類に属する詩を自作の最上のものとしたが、後に『和漢朗詠集』に収められたような人気のあった作は「閑適詩」や「感傷詩」で、公務から退いて作ったものだ。つまり白居易の精神の神髄を知るには「新楽府」を含む「諷諭詩」だが、比較的貧しい家柄から出世した白居易は贅沢な暮らしを否定し、慎ましく生きることを好んだので、いつの時代でも一定のファンをつかむが、「いたずらに皇帝をほめたたえたり、その心をよろこばす…」ことに熱心な人物がマスメディアの人気者になり、財を蓄えることに余念がない現在の日本では理解されにくいかもしれない。その意味で白居易の生き方や詩は現代の知識人に確実に響くはずで、1200年前とは思えない現実感がある。面白いのは、当時の何もかもがこの世から消えたのに、白居易の詩が伝わっていることだ。それは伝えて行こうとした人々が大勢いたからだ。
 白居易の「新楽府」の一篇ではないが、筆者は諷諭詩の「傷宅」を好む。「誰家起甲第 朱門大道辺 豊屋中櫛比 高墻外廻環……」と以下続くが、「誰が家ぞ甲第を起こす 朱門 大道の辺 豊いなる屋は 中に櫛のごとく比び 高き墻は 外に廻り環る…」と贅を尽くした邸宅の外観をまず描写し、次に邸宅の内部、庭について描き、最後はそこに住む人物の骨肉が飢えていないのかと述べ、以前は同じように金持ちだった屋敷が今は人の手にわたっていることで締めくくる。天子から下賜された立派な邸宅も虚しいというこの白居易の詩は、繰り返すと現代の日本では否定されるだろう。誰もが大金持ちになって邸宅を建てて贅沢に暮らしたいと思い、またそういう人物を称えて羨む。つまり白居易など負け犬の最たる存在とみなす。ところが、繰り返すと、「傷宅」で描かれた邸宅はすぐにこの世から消え、白居易の詩が残った。それがどうしたと言う人が多数派であることを筆者は知っているが、そういう連中もみな死んだ途端にこの世に生まれた形跡が忘れられる。今日はいきなり話が脱線したが、堂本印象の「公子行絵巻」を中心とした本展の題名を「音のハーモニー」としたことは中国の詩の「楽府」のことを言い変えたと思えばよく、また印象の同絵巻から音楽が聞こえて来ることも指している。さて、印象は赤系統の色の使い方に特徴があって、黄味がかった色から青味がかった色を同じ画面に一緒に使った。それは桃色や藤色を好むところにもつながっていて、絵具皿を眺めながらどの色も全部使いたがった無邪気、陽気なところがある。今日の2枚目の写真の右端に本展のチラシを写し込んだが、中央のふくよかな女性は正倉院にあるような螺鈿で覆われた阮咸を奏で、上衣は青が使われている。全体として赤が中心を占め、次にその補色の緑系統、そして青はわずかにこの女性の上衣だけで、そこには周到に計算された色の配置がある。画巻の最も華やかで麗しい場面の中心人物となる女性に青を用いたのは、この女性を見てほしいという思いのためで、この女性が「公子行」の詩で描かれる傾城の美女だ。ところで「青丹によし」の奈良の枕言葉ではないが、日本の古い絵画に見られる緑系と赤系の色の対比が、印象のこの絵巻のこの場面の見どころになっている。筆者が「一遍上人絵伝」の美しいと思う場面も、緑や青の山並みが続く間に朱塗りの建物が現われるところで、同じ眺めは今でも奈良や京都にはある。もちろん朱塗りの建物は先の白居易の「傷宅」に描かれるように中国から伝わったもので、日本では神社にそれが残って、寺院は五重塔は別にして色彩に乏しい。奈良や京都は長安に倣って街区が造られたが、中国人が京都に来て唐時代を想うのは無理もない。大阪もだいたい道筋は碁盤目にしたがい、大阪生まれの筆者は東京にあまり馴染めない。斜めの道や坂が多く、どこをどう歩けば最短距離であるかがわかりにくいからだ。
 奈良や京都は唐の都からその他の文化も大いに受け入れた。先日書いたように白居易の詩は遣唐使が書き写して日本に持ち帰り、平安貴族が大いに鑑賞し、参考にした。白居易はほぼ年齢と同じ数の詩集を出版して70少々で亡くなったが、原書は一冊も存在せず、後年朝鮮が金属活字で組んだ本や、日本の遣唐使が写して帰った写本によって、一部欠けた状態で伝わっている。中国は国が変わると以前の文化を破壊することが普通で、日本のように古いものを何でも残しておこうとしない。日本には千年以上前の建物を大事にしようという思いがある。ただし坂口安吾のようにそんなものはどうでもよく、今生きている人の生活こそに価値があるという見方もあって、財政が苦しい京都市は宗教団体から税金を徴収すべしの声がまた高い。外国人観光客が日本の代表的景色と称えるのが、名前は知らないが、どこかの寺の五重塔を近景にし、富士山を遠景に収め、なおかつ桜が満開の眺めだ。筆者はその五重塔が京都の有名寺院のような重みがなく、はりぼてに見える点が残念に思っているが、外国人にはそれはわからない。それはともかくその眺めは「青丹よし」を示してもいて、外国人は日本の美の特質として「青と丹」の対比を知っている。「公子行絵巻」の色合いは「青丹」の複雑な諧調で、建物の屋根や樹木などをかなり荒く描き、富田渓仙の作風に近い。春爛漫を描写するには厳しい線描よりも全体に緩い、酔ったような線がふさわしいと思ったのだろう。この絵巻は印象が書いた詞を交える。以前書いたように印象は達筆とは言い難いが、この絵巻では文字と絵がよく釣り合っている。それは文字に倣って絵もあまりうまくないと言いたいのではなく、締めるべきところはそれを忘れず、全体に余裕で描いたという気にさせる。描かれる若い男女は唐時代の王族で、阮咸を奏でる女性は楊貴妃を連想させる。「公子行絵巻」の元になった詩を書いた詩人は楊貴妃より1世紀ほど前に生きたが、傾城の美女を描くのは白楽天の「長恨歌」と同じだ。そこで印象が「長恨歌」を元に絵巻を描かなかったのかとの疑問が湧くが、筆者が知らないだけで描いたかもしれない。それはともかく、唐の人物を描くには中国の有職故実をよく知る必要があって、日本のそれを学ぶ以上の探求心が必要だろう。だが唐時代の風俗は誰も詳しく知らないのであるから、間違って描いてもほとんど誰もそれを指摘出来ない。その気軽さ半分、もう半分は史料不足から、速筆で「公子行絵巻」を描いたのかもしれない。筆者はこの作を、形の厳密性は乏しいかもしれないが、色合いの天才的才能を思う。どこを見ても印象そのもので、後年の抽象画の色合いはこうしたやまと絵を若い頃に描いたことからつながっている。そして若い頃の印象が中国に題材を求めつつ、貪欲にあらゆる絵画を学ぼうとしていたことがわかる。
●『音のハーモニー 印象が奏でる風景』_d0053294_00135841.jpg
 この絵巻は1925年(大正14)に描かれた。一方、橋本関雪の「長恨歌」は1930年の作で、印象より8歳年長の関雪は当時47歳であった。関雪の「長恨歌」は今日の2枚目の写真にその全5面のうちの半分ほどを載せるが、ほとんど白描と言ってよく、「公子行絵巻」とは対照的だ。色合いだけではない。関雪は鉄線描を駆使し、どの画面にもこれ以上はない緊張感を描き出している。白描的であるのは、楊貴妃が死の世界から仙女となってやって来て意見するからで、その霊性、幻想性を描き出すには華やかな色合いはよくない。印象は白楽天の「長恨歌」を選ばずに時代が少し遡る詩人の作を元にした。そしてこれは重要かどうか、楽器を奏でなかった楊貴妃と違って、「公子行絵巻」では楽器が重要な役割を担っている。華やかな色合いと同時に響きわたる音楽を感じてほしいと印象は考えた。白楽天の「琵琶行」も旋律と歌声を聞かせる女性が舟に乗っていることに注目したものだ。左遷されて鄙びた地域にいた白楽天は、舟上から突如雅風の琵琶の演奏と歌声が聞こえることに驚いた。それは現在でも同じではないか。まさかこんな辺鄙なところで水面をわたって音楽が響きわたって来る。詩からその琵琶の音色が聞こえて来そうだ。つまり関雪が描く「琵琶行」は音楽と詩が合わさった場面を描き、印象の「公子行絵巻」に通じるが、印象は若い男女を唐時代の典型的な美男美女として描き、関雪の「琵琶行」の琵琶弾きのようなモデルを使って描いた形跡はない。そのため、印象の作は遊びの域を出ないように感じられるが、その遊びは描かれる男女の遊びと同様、これ以上はない楽しさと深い味わいを持っている。また遊びに熱中している間は頬が緩み、周囲の景色はあまり目に入らず、酔った気分になる。そのことを「公子行絵巻」はよく表現している。美女を愛するあまり、国が傾くことはこの絵巻の最後に描かれていたかもしれないが、チラシやチケットに採用されたのは、その絶世の美術が楽器を奏でる場面だ。関雪の「長恨歌」はそういう楽しい王と楊貴妃の生活の場面よりも楊貴妃が死んだ後の場面をクライマックスにして横長の5面を費やす。国を滅ぼした王と楊貴妃を愚かと捉えるか、ふたりを究極の愛の象徴とするか、中国でもいろんな意見があるが、関雪がどう思っていたかは5面の作からはわからない。ただし、男であれば少女のまま宮殿に連れて来られた楊貴妃の見事な美しさに王がのめり込み、彼女のことなら何でも聞き入れるかわいがりはわかるだろう。はたと気づいて王は楊貴妃を殺させるが、忘れ得ず、ついには修験者に頼って霊を呼び寄せ、楊貴妃の永遠の愛を確認する。「長恨歌」を純愛の物語としてのみ解釈することはよくないだろう。楊貴妃が寵愛された陰で何百という若い女性が宮殿で男を知らずに一生を送った。白楽天はそのことについての詩も書いた。
 もう一段落書く。チラシ裏面にごくわずかに部分図が印刷される大分県にある富貴寺本堂の壁画を印象は模写した。1930年のことで「公子行絵巻」の5年後だ。同作は数年前にも同じ美術館で展示された。模写している様子を捉えた白黒写真もあって、描きにくい長押を苦心して描いた体力と根気がうかがえる。印象は同壁画をたまたま知ったか、評判を聞いて出かけたか、いずれにしても滞在して克明に現状模写した。かなり風化し、横並びに描かれる菩薩や天女などは白描に近くなっているが、美しいのは板目も忠実の写していることだ。そういう仕事は画学生がやるにふさわしい。ところが40歳頃の印象はよほどその壁画に感動したのだろう。模写した当時は国宝に指定されていなかったので、間近で見ながらの模写が許されたのだろう。またそれから90年経った現在、印象の模写した長押がどのようにさらに褪色しているのかが気になるが、ネットにはその画像はない。ただし本堂の背面の復元模写の華麗な画像が製作され、ヴァーチャルで見られるようだ。国東半島のほぼ中央に位置する平安時代の寺で、印象が模写した時代は現在よりもっと赴くのに不便であったろう。写真ではうまく写らず、模写するしかないと考えた印象のその作品は、富貴寺本堂の壁画の復元模写画像を製作するために役立ったのだろうか。現在はさまざまな機材があり、表面的には絵具の剥落が激しくとも、かつてどういう色合いでどう描かれていたかはわかるのだろう。それで画像ではなく、原寸大で復元模写も可能なはずだが、そうして仕上がった壁画が印象の模写より美しいと感じるかどうか。褪色すれば元通りに絵具を塗るのが中国その他日本以外のアジア諸国の宗教寺院の装飾のあり方だが、日本は神社は別として、寺では古びたままに保存し、その古びた様子に美を認める。長い年月を経たものは絵画でもそれならではの味わいがあるとの考えによる。しかしその程度はやはり問題がある。劣化したものをそのままで尊ぶのであれば、古い掛軸や絵巻はぼろぼろのままでいいことになるが、それでは作品はいずれ塵と化すので、重要と思われる作は修復され、元の姿に近づけられる。それは建物でも同じだ。堂本印象は自作を展示するための美術館を私財で建てた。それは白居易の「傷宅」のようには大規模ではないが、関雪の白沙村荘の庭と建物と同様、個人が建てたものとしては究極の贅を凝らしたものと言ってよい。それらの施設が現在も利用可能となっているのは、芸術を尊ぶ人々が一定数存在するからだ。それは言い変えれば純粋な愛の力で、白居易の「長恨歌」は男女のそれを歌い上げていると見てよい。仙女となった楊貴妃の言葉にある「夜半無人私語時 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」は感動的だが、その後に足される最後の2行「天長地久有時尽 此恨綿綿無尽期」は楊貴妃の恨みを詩人が代弁して背筋を凍らせる。
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by uuuzen | 2023-03-14 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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