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●『フォロンの彫刻』
書では 平と片仮名 書けぬかな 難き中国 易き日本」、「簡体字 仮名に倣うか 略し過ぎ 元の字義失せ 謎解き迫り」、「夢想しつ 男たたずみ 空見上げ 尺八聞こえ 虚無僧去りて」、「彫像の 男と同じ 姿して 孤独を分かち しばし見つめる」●『フォロンの彫刻』_d0053294_03032719.jpg 去年12月30日にひとりで白沙村荘に出かけてフォロン展を見た。今日の最初の写真の右は1985年8月に大阪梅田大丸ミュージアムでフォロン展を見た際に買った図録の表紙だ。フォロンの名前は60年代の終わり頃に知った。ビートルズのアニメ映画『イエロー・サブマリン』と同じ頃で、ポップな画風も当時の空気をよく反映していた。久しぶりに前述の図録の図版をぱらぱらと見ると、60年代末期から70前代初頭のカラフルな人気イラストのブームを思い出す。フォロンはベルギー人だが、ペイネのイラストに共通する甘美さがある。ただしペイネは若い男女のカップルの仲のよさをテーマとするのに、フォロンは目鼻をはっきりと描かず、帽子を被った男を描くことが多い。樹木や乗り物、建物を中心にする場合でも、空間を広く取って孤独の味わいが濃い。85年展では銅版画やポスターが展示され、前者のパステル・カラーないしセピア色を中心とした淡い色合いの水彩的グラデーションは絶妙で、当時フォロンのそうした画風を模倣した日本のイラストレーターは多くいたのではないだろうか。筆者は70年代後半に人気が出た永田萠のカラー・インクを使った技法はフォロンの銅版画の色合いをもっとクリアにしたものと思ったものだ。前述の図録では筆者は水彩で描かれたイラストよりも、色の諧調が抹茶の味わいを感じさせる渋い銅版画のほうが圧倒的に好むが、エッチングとアクアチントの技法を駆使したそれらの銅版画は、フォロンが摺師に色合いを指示したのは間違いがないが、摺ってはいないだろう。また面倒なアクアチントの技法も専門家に任せたかもしれない。同図録の作品で筆者はイラストやポスターよりも銅版画を高く評価する。それはやや素人的な描き方が銅版画の専門家の手を経ることによって高度に洗練されているからだ。また同図録には緞帳や陶板壁画、モザイク壁画の下絵が最初に紹介され、続いて雑誌の表紙やポスター、小説の挿絵図版があるが、フォロンの絵はあらゆる造形分野に展開が可能で、それだけ多くの人の目に触れるものであったことがわかる。ポスターの場合はもちろんフォロンが描いた絵を拡大印刷するのだが、緞帳やモザイク壁画は下絵を巨大に拡大し、また材質が違うので、ある程度荒い下絵でも完成作は面白い味が出る。そのことは銅版画に端的に表現された。フォロンの絵は描き込みを少なくしたものが多く、その自己主張の少なさが却って強烈な個性となった。極論すればフォロンは好みの記号的モチーフを繰り返し使いながら、その組み合わせとわずかな変容で作品を作り続けた。それは寡黙さを印象づけ、それが力強さになった。
 永田萠のイラストは日本の郵便切手に何度か採用され、全国的な人気を長らく保った。鮮やかな色合いとかわいらしい男女の小さな妖精のイメージは一般人にわかりやすく、特に若い女性や子どもの人気をさらったことは当然であった。一方、フォロンのイラストは、色合いは柔らかで、描かれるものも鑑賞者が自由に想像を膨らませられ、目障りなところがない。そしてペイネにある愛の甘さがない代わりにほろ苦さが横溢し、そのことも70年代初頭の若者にあった一種の幻滅感にはよく響いた。フォロンという名前には軽さを感じるが、同時にどこから来た画家なのかという、ルーツ不明の謎めきがある。その謎を直感することは正しい。フォロンは誰の作品も真似していないからだ。本展のチラシによれば、フランスではなかなか注目されなかったのに、アメリカの雑誌『ホライゾン』や『エスクワイヤ』、『ニューヨーカー』などがフォロンの絵を表紙に使い、一躍世界中で有名になった。10代の終わり頃に筆者はそういうアメリカの雑誌でフォロンの絵を見た記憶があるが、特別夢中になることはなかった。印象的ではあるが、押しつけがましいところがなく、どういう形をどういう色合いで描いたかということをすぐに忘れるからだ。それはフォロンの絵は色合いはあまり関係がなく、どの配色でもある程度はかまわないことを示す。それで銅版画ではイラストとは全然違った色相と諧調が表現され、フォロンの画風の印象幅を拡大した。フォロンにとって重要なことは色よりも形であったのだろう。その形は先に書いたように案外数が限られた記号としてのモチーフで、それを単独もしくは複数組み合わせることでいくらでも異なる作品が展開可能となり、またどの作品も一定の似た味わいを持つに至った。先日、日本の近年の人気アニメや漫画が少しも面白くなく、見るに堪えないと書いた。彼らのアニメや漫画も手中に収めた10ほどの記号的表情を駆使するもので、またその表情はとにかく大げさなものばかりだ。一度そのことに気づくと、絵心のある若者ならすぐに同じ技法を覚え、似た作品を作る。つまりアニメや漫画では人物の顔と表情は、信号の赤青黄に少し変化を加えた程度のわずかな型に負い、面白みはもっぱら物語性にある。フォロンはアニメや漫画の作家ではなく、1枚絵のタブロー画家だ。そして人物の大げさな表情には全く無関心で、画面は静けさが支配している。それは見る者に平原でひとりたたずみ、鐘の音を遠くに聞くような感じにさせる。フォロンはパリ郊外の農家で暮らして制作したとのことで、日本の騒々しいアニメや漫画との共通性を見出すことは難しい。それよりもフランスの印象派の画家やベルギーのシュルレアリスム画家のマグリットを思い出させる。ところが画風は雑誌の表紙向きにポップで、しかもどのようにも汲み取られる曖昧な詩の味わいがあって神経を逆撫でしない。
●『フォロンの彫刻』_d0053294_03040843.jpg
 フォロン展は日本で70年、85年、95年に開催されたという。そのほかにも前述の筆者が所有する85年展図録には『世界の現代画家50人展―サザーランドからフォロンまで―』と題する78年夏に京都国立近代美術館で開催された展覧会のチラシを挟んでいて、その表側にフォロンの作品が大きく印刷される。それはさておき、フォロンが彫刻を手がけていたことを本展で初めて知った。85年展には彫刻の紹介はなく、同年以降に作り始め、95年に最初の彫刻展を開催した。緞帳や壁画は大規模な作品ではあるが、下絵を提供するだけだ。摺ることに特に手間を要する銅版画もフォロンはエッチングの線描のみを担当したろう。そうした平面の仕事からやがて立体に手を染めることは大きな飛躍でありながら、ごく自然に導き出された行為だろう。フォロンの絵は人物や樹木など、どれも彫刻として表現可能な立体性が強い。もちろん現実にあり得ない複雑な構成を見せる絵もあるが、その複雑性は単純性を繰り返したもので、その一単位の単純さはそのままで彫刻になり得る。つまり、フォロンは初期から立体のイメージを絵画に描いていたのだろう。それがやがて絵から飛び出して現実の立体となる。先にフォロンの作品の限られた数の記号的モチーフは色の変化が自由と書いた。これは記号的かつ立体的モチーフは色のない彫刻に向くということだ。そしてフォロンは彫刻を作ったことでイメージをより現実的なものにした。これは絵空事としての絵画を現実空間で見える形で固定させることであって、芸術家として着実に望むものを実現させて行った。夢想的なイメージは手で触れ得る眼前の彫刻によってより確実かつ巨大に現前したことになり、また紙に描かれた絵や銅版画、ポスターと違って彫刻の命はより長らえる。フォロンは2005年に71歳で死んだが、2000年にブリュッセル郊外のとある公園内にフォロン財団が設立された。本展はベルギー王国や同財団の主催によるが、白沙村荘以外にも日本で展示があるのだろうか。白沙村荘のMUSEUM2で本展が開催され、入室の際に全16ページの冊子がもらえた。そこに作品リストとして、彫刻を自然の中で撮ったカラー写真が31点、彫刻のカラー写真が20点紹介され、どの写真もフィルムのべた焼きほどに小さいが、無料の冊子としては充分な内容だ。一昨日の投稿で「存古楼」の西端に図録が2,30冊無造作に置かれていたことを書いた。それはこの無料の冊子で、筆者は先に1冊を盗む必要はなかった。話を戻して、MUSEUM2は9月15日に訪れた時とは全く違い、写真31点の各額装が部屋の四方にずらりと掲げられ、部屋中央に彫刻が20点並べられた。暖められた部屋で写真を順に眺めて行った時の驚きは心地よかった。これらフォロンの彫刻はさまざまな自然の様相とともに見ることをフォロンは希望したのだろう。
●『フォロンの彫刻』_d0053294_03043432.jpg
 今日の2枚目の写真は「存古楼」の内部からフォロンの彫刻を撮った。野外展示はこの1点で、出品作中最大であったと思う。MUSEUM2での彫刻はほとんどが高さ20センチ前後と小さく、美術好きの個人が買えることを念頭に制作したものだろう。20点のうち13点が男性の立像で、その頭部がプロペラ、クエスチョン・マーク、スプーン、植木鉢や菓子のプレッツェルなどで、記号的モチーフを人体に組み合わせている。その遊びはフォロンらしくありつつ、どれも孤独を背負っている。「存古楼」前の像と同じ帽子とコート姿の大きな男性像のヴァリエーションとして、背中に小さなゼンマイのネジをつけたものと、像の男性が自分のコートの前に両手を置いて自身全体を左右に裂こうとしているものがあった。後者は日本の仏像、特に黄檗の萬福寺の羅漢像の影響が見られる。MUSEUM2の残り7点の彫刻は空の鞄、手の上の鳥、船などをモチーフとし、やはりフォロンの絵画の立体化としてよい。本展のポスターやチラシに採用された写真は見事で、フォロンの彫刻の味わいを深めている。撮影者はフォロンより21歳若いティエル・ルノーで、両者は95年に出会った。ルノーはブリュッセルのプチサロンで開催されたフォロン初の彫刻展を偶然見て感動し、数週間後にフォロンの彫刻の写真と友人の文章を載せた本をフォロンに手わたす。以降フォロンは主な彫刻の撮影をルノーに提案したとされる。これは想像だが、ルノーによるフォロン彫刻写真はすでに本になっているだろう。野外彫刻は大きな図版で見るほうが感動が大きい。それででもないが、本展の冊子にごく小さく印刷されるルノー撮影の写真はここでは載せないでおく。今日の最初の写真左のポスター、チラシに採用された写真は「Loin(Far Away)」と題され、94年制作のイタリアのフィレンツェに置かれるブロンズを、ルノーが2005年に撮影した。風景とフォロンの彫刻の調和が素晴らしく、氷のつららまみれになっている帽子を被った男性像の頭部や渚に座り込む男性像、錆びた雫が垂れた鉄製の男性像など、四季を通じ、あらゆる天候の下で撮影され、数多くに分身したフォロンが自然の中で夢想しているように思える。それらの男性像はみなフォロンの初期の絵画にすでにあった孤独を示す。しかし、マグリットにしても芸術家はみな孤独で、そうでなければ名作は生まれ得ない。さらに言えば、ヨーロッパはさびしく孤独だ。それを受け止めながらフォロンは創造に生涯を費やし、肉体はこの世から消え去ったが、フォロンでしかあり得ない作品は各地で人との出会いを静かに待っている。世界的人気を得たフォロンが彫刻の制作に入ったことは幸福であった。真っすぐに自分の内部にあるものを凝視し続け、ついに彫刻としてそれをあますところなく表現し得た。
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by uuuzen | 2023-03-04 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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