「
爛熟の カリンの果実 飾る庭 持ち去る人を 静かに待ちて」、「アゲインの 退屈さにも ひとつある ゲインを見つけ ふたたび想う」、「見解の 相違認めて 狷介を 許す陰には 民主の創意」、「悪だくみ ばれぬはずなし もっとやる ワルのワイルド 悪いど知らず」
去年12月30日、ひとりで白沙村荘に出かけてフォロンの彫刻展を見た。9月15日に初めてそこを訪れた時、敷地の南東辺りはプロらしき撮影者が陣取っていたこともあって、半ば遠慮、半ば先を急ぐ気持ちからその区域を歩くのを忘れた。去年10月9日に投稿した
「その4」に載せた地図で言えば7,8がそれに該当する。そして今回は西洋人がヴァイオリンを奏でていた存古楼に上がることも目的にして再訪したが、撮った写真は多く、今日と明日に分けて投稿する。フォロン展についてはその後だ。何事も二度目は感動が薄い。二度目に気づくこともあるが、最初の出会いの感動の大きさに比べると問題にならないほどそれは小さい。だがせっかく年末の慌ただしい日に出かけたからには、虚心に還ると言えばおおげさだが、じっくり見てやろうという気になった。また筆者以外に来訪者はおらず、フォロン展もひとり占め出来た。その贅沢な時間にはめったに巡り合えない。さて今日の最初の写真の上は左手が玄関で、そこを入って写真の左手の建物の北端にチケットを売る人がいる。前回は70代半ばほどの男性で、今回は同じほどの年齢の女性であった。チケットのデザインは前回と同じ関雪の絵で、フォロン展専用のチケットは作られなかった。最初の上の写真を撮ったのはカリンの実が置いてあったからだ。11日に家内とレストランのNOANOAに訪れた時もカリンの配置が目立った。筆者は目の前のひとつをバッグに入れようかと一瞬思ったが、「ご自由にお持ち帰りください」と断りのないものは持って帰れない。ところが
1月15日の投稿に書いたように、家内とよく出かける新丸太町通り沿いの大型スーパーの近くのとある建物の歩道際に、去年12月から気になっていたカリンの実が3個置いてあった。そこを通りがかる人は必ず気づく。しかしその地域は嵯峨でも比較的上品で新しい人が住み、カリンがほしい人でもそれを持ち帰る人はいないだろう。「ご自由にお持ち帰りください」と書かれていないのであればそれも当然だ。だがそのカリン3個は建物の飾りに置かれたものではなく、道行く人に持ち帰ってもらいたい意思が明らかな形で置かれていた。それで筆者は迷わず買い物袋に3個とも放り込み、後日ジャムにしたが、半分は腐っていたので思ったほどの量にはならなかった。それに甘さ控えめで作ったことは別にして、カリンジャムはあまりおしくない。そのため、出来た2瓶のうち、1瓶は使い切ったが、もう1瓶はなかなか減らず、毎朝食パンを焼いて塗って食べている。白沙村荘の写真のカリンはおそらくそのまま腐らして処分されたのではないか。
カリンのことで1段落も書いた。最初の写真下は
「その1」にも載せた敷地内北東角の鳥居の裏側だ。9月も気になりながらその写真を撮らなかった。鳥居の背後に一対の石燈籠とその間に石造の厨子が置かれる。右手のわずかな赤は車のテールランプだ。関雪が生きていた時代はその眺めはほとんどなかったはずだが、今は日本中のども道にも車が溢れている。嵯峨のある地域の四辻で筆者は東西南北をぐるりと眺め回し、20台以上の自家用車の駐車を数えたことがある。それを異様と思う筆者が今は異様とされる。車の人口密度は日本が世界で一番大きいのではないか。思い出したので書いておく。先日松尾大社のすぐ近くの銀行に行った帰り、大社前の信号を南の歩道に向けて歩き始めた瞬間、猛速度で黒の大型車が筆者の鼻先をほとんどかすって北に去った。青でわたって車に跳ねられて死んだとして、信号無視した運転手は数年で刑務所から出て来るだろう。運転手は「ええい! 轢いたとしてもクソ老人や。まあええがな」と、隣りの馬鹿女に勇気自慢をしながらアクセルを踏んだはずで、筆者がもう半歩早ければ確実に死んでいた。筆者はバズーカ砲を持っていれば走り去るその車にぶっ放した。アホはさっさと死んだほうが世のためだ。ところがアホほど車自慢をして車に乗りたがる。ほかにすることがなく、歩行者に対して勝ち誇った顔をしていっぱしの人間であると自惚れる。筆者が免許を取らなかった理由は、気性が激しく、運転を煽られると受けて立ち、バズーカ砲を撃ちかねないからだ。嵯峨のFさんも免許はごくわずかな期間しか持たなかった。自分に運転は似合わないと思ったからで、それは簡単に言えばカッカとしやすいからだ。車の運転は精神衛生上よくない。車ごときで脳梗塞にでもなり、寿命を縮めるとそれこそアホだ。Fさんと筆者は趣味も何もかもまるで共通点がないが、車好きの馬鹿な運転に対する呪詛は共通している。つまりアホを相手にしたくないのだ。ところが嵯峨でさえおそらく人口より車が多い。となれば青信号で交差点をわたっていても跳ねられることはあり得る。アホとは付き合いたくないと思っていても、そうは行かないのがこの世で、平凡に暮らしていても今は若い押し入り強盗に狙われる。罪が軽過ぎることも一因だ。獄門の晒し首を復活させればいいとも思うが、今は役人でもワルがわんさかいる。話が脱線した。今日の2枚目の写真は前回訪れた時に存在に気づかなかった。これほど大きな五輪塔であるのに、初めて訪れると案外隅々まで気を配らない。それで二度訪れると新たな発見がある。読書でもそうだ。若い頃に読んで気づかなかったことが半世紀後にようやくわかる。ところが行きたい場所、読みたい本がたくさんあって、誰しも忙しく、たいていは一度限りになる。それに二度会いたいと思う素敵な人がいるだろうか。
3枚目の写真上は
「その2」の2枚目の写真上にも載せた茅門だ。これをくぐると本格的に白沙村荘に入った気分になる。3枚目下の写真はその門を南下して20メートルほどだろうか、左手に存古楼が見えている。それに池が視界に入るのが面白い。池に張り出した木は形がよく、石の上で鴨が数羽休んでいて、絵の材料には事欠かない。4枚目左は前回訪れた時に撮影しなかった。敷地内南東隅にある渉月池の東辺にあり、「四阿(あずまや)如舫亭」と呼ばれる。写真下の小橋と小径を四阿に向かって歩き、途中左手にあったのが4枚目右の石仏だ。4枚目上の写真の構図を決める際、写真下方のマンリョウの赤い実を収めることにした。こういうごくわずかな点景への心配りが憎い。またそのことがわからない人はこの庭を訪れても退屈だろう。このことも一度の経験ですべてわかった気になることのもったいなさを示す。経験を重ね、知識を増やし、洞察力を高めて見えて来るものがある。ただしそうなると最初からあまりにつまらないものだらけであることの現実に嫌気が差すことも事実だ。またそういう老人になると必ず若者から否定され、なおのこと老人は孤立する。となればずっとアホのままで生きたほうがはるかに楽しく、他人からもちやほやされる。結局のところ人は棲み分けるのであって、稀な存在の人ほど孤独を囲うだろう。凡人が一番幸福だ。話を戻して、マンリョウは隣家の裏庭にも一株あって実を同じようにつけたのに、つい先日筆者は他の背の高い雑草を刈り取った時にそれを誤って切り取ってしまった。その瞬間「しまった!」と思ったがもう遅い。しかし根は全部、株の茎は半分残っているので、来年はまた実をつけるだろう。冬場に彩のない庭にマンリョウの赤い実はとても楽しい。野鳥が食べると思うが、隣家のマンリョウも野鳥が種子を運んだかもしれない。裏庭の話題ついでに書く。3,4年前に天神さんの縁日で買った金柑の苗木が今年は6個の実をつけた。去年は2,3個だったと思う。去年夏に肥料を根元にたっぷり与えたので、成長が早まった気がする。この金柑の木がもっと大きくなれば、実で果実酒を造れないかと思っている。そのまま齧ってもおいしいが、6個程度ならよくても、数十以上になると食べ切れない。ジャムにするのもいいかもしれない。そしてカリンの実を混ぜてカクテルジャムはどうか。筆者は何でも混ぜるのが好きなようで、酒は毎晩いろんなカクテルを自己流で作って飲んでいる。今のところさして量は増えていないが、「風風の湯」から帰って来て9時半頃に空き腹で濃い酒2杯を一気飲みすると、やがて疲れて眠くなる。酔いを醒まして3階に上がる気になるのは11時頃だ。それからブログの文章を綴る。毎回一度読めば充分な内容であるから、第一印象が悪いと感じる読者は二度と訪れない。しかし筆者は読み手の顔が見えず、どうでもいいと思っている。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→