「
司る ことは誰しも あると言う 半端者には 半端な仕事」、「織工に かける言葉を 履行して 折りに檻中 お利巧さんね」、「字数だけ 揃えて歌と 言う子ども 替え歌得意 道化に同化」、「織物が 名画模倣し 見え透くは 他力自力の ふたつ本願」
去年12月21日に四条烏丸から5分ほど下がったビルの中にある西陣織の美術館に家内と出かけた。コロナが始まって間もない頃に開館したようで、宣伝はまだ広く行き届いていないだろう。織物と染物の区別がつかない人が多数派と思うが、京都はそのどちらの本場にもなっている。ところがバブル期以降はキモノ離れが加速化し、潰れて行った店は多い。織物は先染めとも言って、染めた糸を使って織り上げる。染物は主に白い生地に何らかの防染を施すことで染めたい箇所とそうでない箇所を物理的に分けて文様を染める。昨日紹介した柚木沙弥郎は後者の染色だが、かなり厚手の生地を使う場合があって、それで染めた作品は遠目には織物に見えなくもない。染物の基礎に織物である白生地を使うのであるから、染織の「染め」は糸を先に染めることを意味すると思っていいかもしれない。また多色の文様を織り出す織物は染物すなわち染色に比べて圧倒的に製作時間を多く要するので、昔から西陣に代表される織の帯はきわめて高価とされるが、手機ではなくヨーロッパから輸入したジャガート機を使えば量産が可能だ。その量産は友禅のキモノでも同じで、1点のみ誂えで染められることと、型紙やシルクスクリーン型を使って工程を省き、同じ色柄の反物を数十やそれ以上染める廉価商品がある。その中間にたとえば成人式を迎える女性を狙った半ば量産の振袖がだいたい百万円ほどで百貨店で売られる。型を使っていないにしても下絵は使い回しし、同じ色柄の商品が複数ある。筆者が製作する1点もののキモノは着用者を体の各部分を採寸してその人にぴたりとすべての縫い目で柄が合うように作るので、下絵は使い回しが出来ず、体格の違う女性が同じ色柄のものをほしがると、最初から下絵を描き直す必要がある。その際筆者は凝り性なので、前回とは違う柄行きにすることがあたりまえで、1点ものの手描き友禅のキモノは最高級品になる。そうしてこだわって作ったキモノが着用者に理解されないことは大いにあり得るが、友禅キモノの怖いところは見る人が見れば一瞬で品位や価格がわかることだ。とはいえそういう作家ものを否定する人もある。白洲正子はその一例で、彼女は専属に抱えていた職人に古典的な文様を染めさせたものを極上と考えていた。キモノの文様が自己主張をしないところが着用者にはありがたいという気持ちはわかるが、白洲ほどの個性の強い女性ならば、それに見合う一点ものの凝った色柄のキモノが似合ったのではないか。もっとも、そういうキモノ作家と出会うことはよほどのキモノ好きでしかも時間がたっぷりとある人でなければ無理だ。
凝った1点を染めたとしても、それが世間に広く知られる可能性はゼロに等しい。帯の場合は個人が手機で制作する場合もあるが、それは友禅の1点ものと同様、有名な公募展で受賞でもしない限り、まず誰も注目せず、したがって収入につながらない。そこで西陣の帯は職人に外注に出すなりして、ある色柄を複数生産する。キモノと帯はセットであるから、キモノの売れ行きが芳しくないと帯もそれに倣う。そこで同じ技術を使ってキモノや帯ではない商品を作る動きは昔からあるが、それが大成功したことはない。キモノや帯ほどに高価ではないからでもあるし、小物類は伝統的な染織に頼らずとも化学繊維を使って印刷すれば簡単かつ安価で済む。つまり手仕事の時代はもうとっくに終わったと言ってよい。あるいは超高級商品にのみそれは生き残っている。ただしその超高級は眉唾の部分も抱えている。海外の有名ブランドは確かに素材や縫製が模倣不可能なほど立派とされるが、そうした商品の偽物が技術をかなり上げて来て、専門家でも判断に迷う場合があると聞く。それでも確立されたブランドの力は揺るがないほどに世界中にその名声に目を輝かせる女性たちがいる。同様に作家ブランドを利用して名を売ろうとする染色家がいる。ネットを少しでも検索するとそういう連中の作品がぞろぞろ見られるが、どれも名前だけいかにも厳めしくて立派な風であるのに、肝心の作品は見るに絶えず、伝統も何もない。言葉は悪いが、そこらのおっさんを作家に仕立て上げた、あるいは本人が作家を自称しているだけのことだ。ところが世の中の金持ちは美のわからない場合が圧倒し、そういう作家の作品を買う。類は類を呼ぶのたとえだ。筆者にはどうでもいいことだが、百貨店では貴金属売り場のさらに奥に位置する呉服売り場は、時に金儲け主義の輩が跋扈し、そのことが長い目で見れば京都の呉服の地位を落として来ている。これは何を基準に逸品かそうでないかを判断する材料がないことによる。一流の作家ですと、そこらの何の技術もないおっさんを誰かが作家に仕立て上げ、どこにでもある安物を数百万の価値があると言えば、必ずそれを信用する美意識ゼロの女性がいる。またそういうことを嫌ってキモノや帯を染めることをやめて屏風などのパネル作家になった大家がいるが、一方で美大芸大の教授を務めるので経済的には安定する。そういう職が得られず、どこかの会も属さないとなれば、自分で営業と制作をする必要があって、醜い自分の姿を垣間見ることにもなる。だが在野とはそのようなものだ。作品に対して妥協せず、職人仕事のうえに芸術性を追求するとなれば、生活苦は明らかで、筆者のこれまでの人生は一言すればそうであった。技術を誰かに伝授したいと思いながら、生活苦が第一前提であれば誰も学ぶ気にならず、コンビニで働いたほうがましと考える。
さて、筆者は自作のキモノが売れた時、帯合わせも頼まれることが多い。帯は場合によってはキモノの何倍も高額で、注文者の予算を軽々と超えるので、安価でもキモノに似合うものを選ぶか、中古品を求める。筆者のお気に入りの帯の製造会社は龍村だが、帯の色柄があまり自己主張せず、キモノとぴたりと合う場合は、他に選択肢が考えられないことがある。言い換えると、龍村の帯はとても個性的で重厚感があるので、安物のキモノを高価に見せ、高級なキモノはよりそう思わせる。筆者のキモノは室町の呉服問屋があまりに変わっていると言うので、帯も凝ったもので、うるさくない品のよさが求められる。龍村の帯は世界中の文様を利用し、また帯らしい伝統を守っている。帯が奇抜であってもいいが、そういう帯に似合うキモノを探すのが大変だ。それで筆者は繰り返しの連続文様を織り出す龍村の帯が好きなのだが、龍村でも奇抜な柄の帯はあり、またそれらは数十年以上の歴史を持っているので、柄行きはブランド化している。知る人が見れば一瞬で龍村とわかり、そういうブランド力を培って来たところは帯が量産品であるからだ。つまり同じ色柄のものがたくさん世間に出回っている。そのことはキモノとは違ってジャガートで織る帯では当然のことだが、金持ちが集まる機会に誰かと同じ帯を締めていることに気づくと女性はいい気はしないだろう。同じことは高級なキモノでも起こり得るが、それで特別にこだわる女性は誂えに頼る。これはかなり昔のことなので書いてもいいと思うが、筆者はある女性の黒留袖を染めたことがあり、それを着用して写真館で撮られた写真を後日送ってもらった。その女性は東京でとても有名な大学の学長の奧さんで、東京中の呉服店を回っても気に入るものがなく、筆者との間に入ったとある女性から注文の話が来た。筆者が受け取った金額は数十万円であったが、間の女性がその学長の奧さんに請求した金額は知らない。まさか百万円程度ではないはずで、金持ちの知り合いがあると口利きだけで大金が転がり込む。とはいえ、筆者は数十万円でも大いに助かった。その生活苦にあえいでいた頃、一点ものの本振袖を確か10数万円で染めたこともある。そのことが業界のある人に知られ、大いに叱りを受けたが、今なら百万円の染値でも割に合わない。材料費と外注費、それに筆者は最低3か月の制作期間を要するからだ。それこそコンビニで働いたほうが何倍もよい。筆者のキモノを室町の問屋が買いに来た時、即決で50万円をもらったことがあるが、労力からすればその倍でも安い。それでその問屋の男性は珍しい友禅キモノを探している女性に数倍の価格で売ったはずだが、その人にすれば在庫で箪笥にしまっているより、誰かに着てもらったほうがいいでしょうとの考えで、確かにそうだ。とはいえ筆者はキモノと屏風を合わせて四十点を所有している。
3段落も愚痴を書いたが、京都の無名の友禅作家の現実を記しておくのは無駄ではない。それに今日は昨日の投稿と同じく、使うべき写真の枚数が多く、無駄話をなるべくする必要がある。ここから本論。帯は絵を織り出すので下絵が必要だ。それ専門のデザイナーが各帯製造会社にいるが、図案家協会が京都にあって、そこに属する図案作家から買う場合もある。それらの図案はよく言えば個性的だが、どれも既存の図案の変形と組み合わせ、そして目立つことを優先した色合いで、正直な話、筆者は芸術と思ったことがない。先日投稿した木島櫻谷は自然の写真を尽くして独自の語法を見出した。それらを語彙とたとえれば、木島の絵画は独特の語彙を使った独特なものだ。それが芸術の基本であるのに、図案作家は絶対に写生などしない。無限に先人が編み出した絵画や図案があり、それを模倣し、選択、結合すれば無限に図案は描けるからだ。そういう作業を長年繰り返して来たため、帯の図案に目ぼしいものが生まれなくなった。先の白洲正子は自己主張しない昔の職人によるごく普通のキモノや帯をよしとしたが、よき人柄が滲み出る利点がある一方、少しも珍しくない作品になりがちで、筆者なら作りたくない。芸術を目指すのであれば妥協はないからだが、そもそもキモノや帯が芸術かという声がある。それは作品を目の当たりにし、また実際に着用してもらってからの判断に任せるべきで、どのような分野の表現にも取るに足らないものから、はっとさせられるものまである。そこが手仕事の面白いところで、また怖さでもある。帯はキモノに比べてそれ自体で鑑賞するものではなく、実際に締めてどう見えるかが大事だ。もちろんキモノもそうで、その着用時のことを考える熱量は帯の何倍も要する。気に入った帯の柄があれば、それに見合うキモノを作ることもある。その帯の気に入りの理由は形見の愛着から、今では再現が無理な凝った柄行きという美意識まである。江戸時代の小袖は現在の西陣のような幅広の帯を締めなかったが、豪華さを競い、価格を釣り上げるためには幅が広いほうがよく、今日の2枚目の写真の左は写真幅が帯幅で、縦中央で折って着用する丸帯だ。それで写真左の左側と右側は雰囲気をあえて大きく変えている。写真右の鴛鴦は部分の拡大図だが、縦横に升目が引かれた図案だ。若冲の絵を元に帯にアレンジしたもので、著作権がないので模倣は自由だ。いちおう下絵を綿密に描く必要と、帯のために若冲が描いた絵ではないので、模倣しつつかなり改造する必要がある。若冲ブームに伴って多くの帯製造会社が若冲の絵を下絵に使って商品を織っていて、筆者も鶴の水墨画を忠実に再現した箔帯を持っている。墨の微妙な諧調が実に見事で、仕事場に掛軸代わりにかけている。ブームが来ればそれに便乗した帯やキモノが作られ、またキモノ作家がTVに頻繁に出ると、天文学的価格で売られることもある。
今日の3枚目はゴッホの名画をそのまま帯の太鼓柄に織り出したものだ。若冲があればゴッホもという発想はわからないでもない。また織物として実に見事だが、どういうキモノに合わせられるだろう。有名芸能人がTVに出る時に着用するようなものだが、名画をそのまま織り出すことは安易な発想だ。ただし、本展でパネル説明があったように、他社が追随出来ない細い糸を使い、原画の再現率を可能な限り高めている。そのことはTVに4Kや8Kの精細な画面が生まれていることと軌を一にする。つまりパソコン時代ならではだ。ジャガートがパンチカードを使用して複雑な文様を機械で織り出すことを可能にしたが、よく言われるようにそれは後のコンピュータ技術に応用された。人類の発明で最高のものは織物と言われるが、コンピュータの原理につながっているのであればもっともな話だ。多色を使った精緻な織物は中国の漢時代に生まれ、それが世界中に伝播した。西陣は太秦の蚕ノ社に祀られているように朝鮮からの渡来人がもたらした織の技術を独自に発展させた。古代に世界中に独特の織物が生まれながら、本展の帯や間仕切り、屏風は琳派、仏画、名画などをこれ以上はないという緻密さで織り上げたものではあるが、元の絵を描いた画家やあるいは仏師はまさか後の世に写真のように自作が織り上げられるとは想像しなかったろう。デジカメもパソコンの画面も解像度を高めるように発達して来ていて、西陣の織物もそれに倣った形だが、そういう織物が面白いかとなれば筆者は否定的だ。コプト織やインカの織物など、一見してその特徴がわかるものがはるかに芸術的に思う。またそうした古代の織物が限られたドット数の初期のコンピュータ画面を連想させるところにすでに多色の文様織が現在を予期していたとも思える。筆者は有栖川の鹿手模様が大好きで、数本の色違いの帯を持っている。古典的な文様だが、コンピュータ画面的で、しかも麗しい。そういう優れた文様を生み出した先人に思いを馳せれば、ゴッホの名画を織り上げた帯は、技術は素晴らしくても間違った方向にあるように思う。さりとて図案家協会に有栖川文に匹敵する完成度の高い文様を作り出す才能を持つ者はいないだろう。有栖川鹿手文を織り出した龍村の帯もあるが、筆者は何年も前からその1点をほしがりながら、あまりに高価で手が出ず、また配色の1か所がどうしても気に入らない。自分で織ることは出来ないが、染めることは出来るので、好みの色で染めてヴェストを誂えたいと考えている。伝統的な文様でも色合いによっていくらでも斬新さを表現することは出来る。また帯は写真のように精細に織り出すだけが価値ではなく、龍村の帯は実に大胆におおまかに文様を表現しながら、さまざまな織の技術を併用して豪華さを醸している。そう言えば若冲の絵をインクジェットで印刷した帯が登場していて、筆者はなんも面白いと思わない。
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