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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『柚木沙弥郎 life・LIFE展 KYOTO』
(たかむら)に 妙好人や 住むとされ 巧妙を問い 竹割り戯け」、「柚の実を ゆすりて落とす よそ者の ごつごつ肌に 香り移りて」、「師の遺志を 継いで咲く花 種を撒き やがてどこかで 意思また育ち」、「憑かれても 疲れが阻み 突かれしは 夢中より出て 別の夢あり」●『柚木沙弥郎 life・LIFE展 KYOTO』_d0053294_23134444.jpg 去年12月11日、家内と最後に出かけたのは京都駅ビルにある美術館「えき」での展覧会で、会場では写真撮影が許されていたのでたくさん撮った。筆者のブログの写真は一段落当たりの字数を1150から1200までと決めている段落の間に載せるので、載せたい写真枚数が多いと文章量も多くなる。それで文章量を減らすための苦肉の策として2枚の写真を縮小して1枚にしたり、昨日の投稿のように4枚を1枚に加工したりもするが、写真のサイズを半分や4分の1にしても伝わる情報にあまり差がないと思うことにしている。本展では最初のチケットの画像を含めて6枚の写真となったので、最低5段落すなわち原稿用紙15枚は書かねばならず、こうして書き始めながら書くことがあるのかと少し心配している。とまあこうして本論とは関係のないことで茶を濁しているのは普段より文章をたくさん書く必要があるからだが、ウォーミングアップを切り上げる。柚木沙弥郎は現在101歳で、現役で創作活動を続けている。作品は糊を使った型絵染で、一見して芹沢銈介の画風に似ることを思わせる。実際柚木は芹沢に学んだが、それがいつの頃かと言えば20代半ば以降30歳までの間であろう。というのは、筆者は手元に98年に発行された『柚木沙弥郎 型染ポスター集』と題する小さな本を広げていて、その巻末に「1922 東京生 芹沢銈介に師事、1953 国画会会員」など以下8行の簡単な経歴が印刷されるからだ。柳宗悦の民藝に関心を抱く人は必ず芹沢の作にも触れる。芹沢の知名度は全集が刊行されたことからも全国規模で、型絵染めの代表作家と目されている。一方染色王国の京都では柳の人気は必ずしも高いとは言えず、また芹沢とは関係のない型絵染作家が大勢いて、芹沢よりも人間国宝になった稲垣稔次郎により人気があるように感じる。稲垣も元をたどれば富本憲吉とのつながりから民藝に行き着くが、昭和の京都情緒を表現した稲垣の作品は雅さの洗練の味わいが濃く、民藝の土臭さのようなものが少ない。芹沢の型絵染は沖縄の紅型に触発されたもので、稲垣の作に比べて民藝の精神を特に顔料の色合いによって表現している。それに芹沢は稲垣より年配で20年ほど長生きしたので作品量は圧倒的で、その分工房で手伝う人を多く抱える必要もあった。そういう中から柚木が出て来た。稲垣は工房に弟子を抱えたことはないように思うが、稲垣の作品の方向性は現在も多くの型絵染作家に引き継がれているが、たとえば平成や令和を代表する作家がいるかとなれば、筆者は型絵染にほとんど関心がない。
●『柚木沙弥郎 life・LIFE展 KYOTO』_d0053294_23140712.jpg 話は少し脱線する。先日TVで京都の有名な寺に若い女性が10年ほど費やして描いた襖絵が紹介された。寺に作品が保存されると半永久的にその作者の名前は残ると考えられ、無料でもいいので作品を奉納したい作家は多いだろう。しかし駄作であればいずれ公開されなくなり、置き場所に困って処分される。京都の著名な寺はその知名度が作家のそれをはるかに上回っている場合がほとんどであるので、寺としては名前を遺すことに熱心な作家に制作させ、それを奉納の形でほとんど無料で引き取ることにためらいがない。先の女性の襖絵は水墨画で、TVでわずかに見ただけだが、それでも特に松樹を描いたその画風のあまりのお粗末さに仰天した。10年費やそうが、駄目なものは駄目で、画力のない人物が描くと、見る目のある人に吐き気を催させる。寺の住職は若手に活躍の場を与えられたことを喜び、こんなに立派な作品云々と述べていたが、国宝を所有する寺としてとても残念なことだ。染色家が京都の有名寺院に染色による襖絵として奉納する例はあるが、それもひどいもので、作品の画題と色相に当該の寺との関係が見出せず、作品も目立ち過ぎて庭や部屋との調和が皆無だ。それでも寺としてはTVに紹介させ、一時期でも話題になって参拝者が増えればいいということだろう。その作品が時代遅れとなり、誰も注目しなくなれば、その時はまた誰かに描かせればいいだけのことで、寺は歴史と知名度だけで永遠に安泰だ。話を芹沢に戻す。芹沢も柚木も関東の人なので京都での人気が関東ほどではないと思うが、日本の美術における京都と東京の対立関係の歴史がそこには反映してもいるだろう。先日投稿した木島櫻谷展で少し触れたように、木島の作品を夏目漱石は酷評したが、没後五十年展の図録に京都市立美術館の学芸副主幹の平野重光が文章を寄せ、そこに次のように書かれる。「漢詩や俳句はともかく、文学の世界に身をおいた人が、いわゆる京都派の絵を面白くないと見る例は多い。芥川龍之介しかり、志賀直哉しかりであった。伝統的に写生を重んじ、季節のなかの自然を巧妙に写し取るだけの絵には、精神的、文学的な昂揚を促すような緊張や感動を得させるところが少ないと見るからである。とくに維新以降の東京文化中心主義者には、箱根の山より西のものは近代の文化にあらずといった風があり、そういう風も手伝って京都派の絵をよしとしない文化人は多かった。」京都に文化庁が移転して今後京都の美術が東京人の心に訴え、影響を与えるかと言えば、それはあり得ないだろう。先の「京都派の絵」というものがもう消えたと言っていいからだ。大阪では中之島美術館が出来て大阪画壇の掘り起こしと展覧を活性化させ始めたが、それらの作品はかつて「京都派の絵」に半ば隠れてローカルな人気を得たもので、京都も大阪も現在の画家に伝統を伝達していない。
●『柚木沙弥郎 life・LIFE展 KYOTO』_d0053294_23144752.jpg それは簡単に言えば木島が重視した伝統的技法のたとえば運筆だが、普段から筆を使わなくなった現代人は鉛筆かペン、あるいはそれすらもなくなってパソコン画面上で絵を描く。そうなれば芸術はアートという呼び名がふさわしく、誰もが一瞬アッと驚くような絵が喜ばれる。脱線ついでに書いておく。日本のアニメに登場する主人公その他の顔は顎が尖り、目が顔の縦幅の半分を占めるという「伝統」がここ半世紀の間に疑問を持たれずに定着した。またそういう表現をする描き手も同じような顔つきになり、日本のアニメでは宇宙人のような顔が主流になっているが、一方で顔写真の加工ソフトに同じ顔つきを作るものが流行り、筆者は気持ち悪くて仕方がない。芸能人の顔が男女ともみな同じに見え、どれも美しいようで中身空っぽの二次元の精神しか持っていないように感じる。ただしそれは若者からすれば時代から取り残された高齢者の証だろう。筆者がアニメや漫画が嫌いな別の理由は、とにかくどの場面も大げさで型にはまり過ぎているからで、文章で言えば語彙が10ほどしかない。それらの組み合わせでどう描いたところで、表現出来るものは限られている。そのことをアニメや漫画の作者は複雑なことを一瞬のわかりやすさで伝えていると自負するだろうが、誰もが真似しやすいのであれば、それは精神性が低く、見る価値のないものだ。一方、喜怒哀楽という4つの文字で人間の感情が表現可能であるならば、アニメや漫画の登場人物がいつも大げさに驚いたり、叫んだりしていることは正しいという見方も出来る。それほどに人間は単純で、激痛に苦しむ表情と快楽の頂点にある女の顔が等しいという見方からも、人間を描くとせいぜい10の表情しかないと思うことにも一理はある。それでアニメ、漫画を含めて絵画には限界があり過ぎ、漱石が桜谷の絵を理解しなかったことも当然かもしれず、また絵と文章を駆使するアニメや漫画の新たな可能性もあったと見ることも出来るが、そこには演劇や映画という先立つ芸術があり、俳優は決められた言葉を発する以外に俳優の表情や身振りなど、その全人格から醸し出される雰囲気が単純な線による描写であるアニメや漫画にはない現実味を付与する。話を戻すと、優れた手技の伝統が失われて来たと同時に表現が画一、単純化し、そのことにおいてグロテスクさが増長して来ている。漱石は桜谷の絵にそれを見たのかもしれない。とすれば当時の京都画派は東京よりも絵画の歴史を進めていたと見ることが出来る。また桜谷の絵は写生を元にするとはいえ、写生の成果を分節して記号化し、その組み合わせでいくらでも同工異曲の作品を描くという点でアニメや漫画の高度に複雑化したものとも言え、そう考えると明治の京都画派の形骸がアニメや漫画に生き残っていることになり、歴史を逆にたどると桜谷の絵画を発展させる道が見出せる。
●『柚木沙弥郎 life・LIFE展 KYOTO』_d0053294_23150953.jpg 話を本論に戻す。芹沢に学びながら柚木の作品には紅型の風味は乏しく、都会的な洗練さがもっと顕著になっている。これを民藝の精神から外れて来たためと見ることには単純過ぎるが、柚木が昨日書いたように真宗と深くつながっているかどうかは作品からは全くわからない。むしろ宗教的要素を消し去ってただ手仕事に勤しみ続けて来た姿のみが濃厚に浮かび、その点で民藝そのものと言える。さて、筆者は柚木のポスターを1点持っている。70年代の終わり頃に家内と駆け落ちして沖縄に行った時、首里城跡のすぐ近くに平屋建ての沖縄民藝館があり、係員一名以外は誰もいないその施設で筆者はそのポスターを見つけた。売価は2500円から3000円であった。それを10年ほど前まで筆者の仕事場に裸でピン留めしていたが、あまりにあちこち破れたので剥がして丸めてどこかに保存してある。いずれ裏打ちして元の姿に戻してやろうと思いながらそのままになっているが、その糊型絵染のポスターは前述の小さな図録本『型染ポスター集』に載っておらず、また筆者が初めて見た柚木の展覧会である本展でも展示されていなかった。『型染ポスター集』は30点ほどをおおよそ制作順にカラー図版で載せるが、制作年度がポスターに染め抜かれるとは限らず、最も古いものは昭和44年(1969)で、新しいものは1989年であるから、筆者が買ったポスターの図版をその本に収めるならば半ばがふさわしい。サイズはどれも67×52センチで、筆者のもそれと同じはずだ。筆者がそのポスターを沖縄民藝館で見かけた時、芹沢の作でないことはすぐにわかった。作家名の記入はないが、芹沢風を巧みに消化した弟子筋の作品であることは誰の目にも明らかで、芹沢ないし民藝の精神が確実に受け継がれていることを思った。またそのポスターがほしくなったのは、数点が丸めて売られていたからという理由は別にして、和紙に糊型で染めたその独特の顔料の厚みのある風合いが目に楽しかったからだ。染料ではそういうわけには行かないが、紅型と同じく顔料を使うと和紙の艶は顔料のある部分についてはなくなり、全体として和紙と顔料の物理感の対比が布を使った染色にはない味わいをもたらす。それは印刷でも無理だが、シルクスクリーンの技法で顔料を厚く盛れば似た味わいは生まれる。柚木の型絵染は、顔料に大豆の汁を混ぜて和紙に刷り込むが、柿渋を塗った厚手の和紙を絵のとおりに切り抜いて紙や生地にあてがい、絵の周囲に糊をヘラで置く。そして渋紙を外し、糊が乾けば絵の部分に顔料を刷り込むが、型紙は1枚で技法的にはとても簡単だ。それだけに最終的な色の配置を予め厳密に計画する必要があり、染める対象の絵を簡略化する才能が欠かせない。またその簡略化と限られたせいぜい5,6色によらねばならないことから、作品は単純性の力を発揮する。そこに柳の民藝の精神が宿る。
●『柚木沙弥郎 life・LIFE展 KYOTO』_d0053294_23153623.jpg しかし逆に言えば進展はあまり望めず、したがって柚木の作品の変遷も追いにくい。100歳を超えて柚木は弟子に当たる人物に手伝わせているが、芹沢の作風と比べて明らかに現代風で洒落ている面があり、その意味で民藝を若返らせている代表的作家だ。そこで思うのは柚木の弟子がまた日本の新たな時代をよく体現した作品をものにする時代が来るかもしれないという期待だ。もちろんそれはかなえられるだろう。そこで言えることは、芹沢と全く同じ糊型染に頼りながら、別の個性を発揮し得る何かがその技法には内在することだ。それは木島櫻谷が四条円山派の重視した伝統的な運筆を画学生には必須のものと考えたことの意味もある。同じ技法でも作者が変わると作品は別の味わいを持つ。あるいはそれはあまりに楽観的な見方で、技法に頼るあまり、個性はその技法の後ろに隠れてしまうという考えも同じほどにある。筆者は後者の立場で、新しい作品は伝統的技術の改革と応用でしか生まれ得ないと考える。筆者の友禅染めの作品はそれを証明していると自惚れるが、そこから柚木の作品を眺めると、民藝の大きな懐に抱かれた幸福な作家像がまず目に浮かび、芹沢に学んだ意義を体現していると思う。そこに半ば羨望が混じるが、芹沢が確立した画風はそれだけ今後も長らく伝えて行くべき価値のあるものであるとの賛辞が支えになっている。また同じように糊と渋紙、顔料を使った染色作家やさまざまな防染技法と染料を使う型染作家も大勢いるが、簡単な技法である分、作品は作りやすいが、芹沢や稲垣に比肩する作家はその後生まれていないと言ってよい。そこで柚木の存在を考えるに、本展で示されたように絵本の原画や紙粘土を使った人形には面白味が少なく、やはり型絵染に最も個性が発揮されていた。芹沢にはたぶんない大画面の作が目立ち、柚木の個展がパリを初め外国で開催された意味がよくわかる。芹沢に残っていた日本らしさは柚木にはほとんどなく、悪く言えば国籍不明の民藝的染色の味わいが強い。それは柚木が写生から出発しながら、抽象の域に達したことであり、日本のマティスと評してもよい。柚木は50歳から20年間、女子美大の教授を務めた。その間にいかにも民藝を思わせるポスターを制作しながら、表現の幅を広げて行った。画学生を教え、好きなことをし続けての100歳現役で、今や何をどう染めても駄作がない境地にある。ただしそれは大きな変革がないままに誰もが楽しめる作品を旨として来たことであって、その点でも柳の言う孤立した芸術家の精神の病から免れている。単純な技法に尽きぬ工夫を盛ることは俳句に例がある。わかりやすく見えて、実際は誰でも同じ境地には至れない。柚木が芹沢に師事せずに独学であれば芹沢や民藝の染色の単なる模倣者と思われたかもしれず、アイデンティティを打ち立てるために有名作家に学ぶことの重要性も感じる。
●『柚木沙弥郎 life・LIFE展 KYOTO』_d0053294_23155995.jpg

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by uuuzen | 2023-02-25 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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