「
寡聞とは 蚊のブンブン 避けること うるさき噂 巷に湧いて」、「借景の よさに気づかぬ 犬猫と 大差なき人 金だけはあり」、「カリンの実 こことあそこに 置いて見せ 知るべき人が 知ればよきこと」、「冬の京 タヒチ想いて ビール飲む 名はノアノアの レストランあり」
去年12月11日、泉屋博古館で木島桜谷の展覧会を見た後、どこかで昼を食べることにした。筆者が決めていたのは同館東すぐのバス停から乗って銀閣寺道まで行き、去年9月15日に訪れた橋本関雪記念館の駐車場横にあるレストラン「ノアノア」に入ることだ。3か月ぶりに気がかりを解消するためでもあった。店名の「Noa Noa」は画家ゴーギャンが最晩年に書いた本の題名で、それと関係があるのかないのかを知りたかったのだ。歩道に面したポーチを進んでガラス扉を開けて店内に入ると、中央の通路を挟んで両側にいくつかテーブルがあった。右奧の座席に学者風の外国人老夫婦とその知り合いらしき女性が食事を終えて歓談中で、若い男女のカップルが左手の玄関に最も近いふたり用のテーブルにいて、筆者と家内は通路を挟んで彼らの隣りの席に座った。店内は暖かく、料理のいい匂いが漂っていた。5,6分して若い男性ウェイターが注文を聞きに来たので、ピザとパスタを注文した。ワインを飲む雰囲気の店だが、同展はビールが売り物のようで、季節のいい時は外のテーブルでビールを飲む客が多いのだろう。真冬でも暖かい店内であればビールはよいが、店のしつらえからしてビールは似合わない気がする。筆者はビールも好きだが、外食時は酒類は頼まないので、今日の冒頭の歌の4首目はビールを飲んでいることを想像して詠んだ。筆者らが注文した料理が出て来るまでの間に若いカップルは席を立った。間もなく奧の外国人夫婦も出て行ったが、ふたりとも歩くのが億劫のようで、ひどく衰弱しているように見えた。彼らと話していたもうひとりの同世代らしき日本人女性は店主のようで、先の高齢夫婦はおそらく店の馴染みで、店主は懇意にして来たのだろう。彼女は夫婦を見送った後、玄関近くに置いていたカリンの実が6,7個入った白いバスケットを、店内の窓からちょうど見えるテーブルの上に移動させた。カリンの実は同店か白沙山荘の庭園に落ちていたものだろう。買ってまで店の飾りにする必要はない。今日の写真からわかるように同店の庭にはさまざまな植物があって四季を通じてそれらが楽しめるようだ。店主のこだわりでまとめ上げた店の外観と内部、それに料理や庭の四季の花々、借景など、どこを取っても絵になる。繁華街のビルの中であれば庭も借景もない。となれば同じ味と感じるだろうか。味は料理以外の要素が大きく影響する。バス停のすぐ近くで、そのバス停前は車の往来は河原町ほど多くはない。店の外で食べることも空気を汚れをさほど気にすることはなく、このレストランは珍しく貴重な存在ではないだろうか。
席に座ってすぐに筆者は若いカップルの背後の窓際に1冊の本が置かれていることに気づき、ゴーギャンの「Noa Noa」であると悟った。今日の最初の写真の左はカップルが出た後、料理を待つ間に立ち上がって撮った。右は本のすぐ際の窓で、その写真の左下隅から少し外れて本が置かれていた。2,3枚目の写真も店内で撮ったが、どれも店の東側に並ぶ窓からの眺めで、それがわかるように2枚目の写真では上辺と左辺に壁面をごくわずかに残して写真を加工した。筆者が座った西側に窓はなかったと思う。そこに窓があれば駐車場が見えるだけで、これら3枚の写真とは全く趣が違う。なお、筆者らの席のすぐ背後の壁に関雪美術館にて開催されたばかりの『フォロン彫刻展』の大きなポスターが貼られていた。この展覧会についてはいずれ書く。店内で撮った写真に話を戻すと、3枚目は左奥に大文字山が覗く。その借景は見事で、これを見るだけでも同店に訪れる価値がある。渡月橋の上からもこの山は見えるが、この店からは間近だ。かつて筆者はその大の字の中央に立ったことがあるが、これも一度は登ってみることを勧める。8月16日の五山の送り火の夜はこのレストランは予約客でいっぱいになるのではないか。またその真夏であればビールは大いに似合う。「ノアノア」の本は自分の座席に移動させてもよかったと思うが、筆者は本を置いたままでページをパラパラと繰った。大型本だがハードカヴァーではないので、たぶん古本では5000円ほどで買えると思う。同じ体裁でないことを我慢すれば邦訳も出ているが、筆者はそのゴーギャンの「ノアノア」を知った10代から現在に至るまで同書を読んでいない。それはさておき、手元に1969年秋に京都国立近代美術館で開催された日本初のゴーギャン展の図録を引っ張り出した。そこに「ノアノア」について詳しくは書かれないが、ゴーギャンの晩年の大作「われわれはどこから来たか、われわれは何であるか、われわれはどこへ行くか」は「ノアノア」と同時期の作で、画題もタヒチの人々や神像だ。日本では圧倒的にゴーギャンよりゴッホの人気が高く、また世界的にもそうと言ってよいが、ゴーギャンの人生も常人には「とんでもない」もので、またその身勝手さに男はだいたい憧れがあって、妻子を捨ててまでも自分のしたいことに邁進する例は珍しくないと思うが、ゴーギャンは父親の事情で幼児時代にペルーで5,6年暮らし、異国への憧れは本能的なものであった。そして画家として有名になったのはやはり没後で、離婚した後のゴーギャンは生活費を稼ぐことに大いに苦労した。「われわれはどこから来たか…」は30過ぎのザッパがカル・シェンケルのために書いた「フォー・カルヴィン」という曲の歌詞の冒頭に影響を与えた気がするが、カルはイラストレーターないし画家としてゴーギャンに憧れがあったことをザッパに語ったのだろうか。
前述の図録にゴーギャンと浮世絵とのつながりの興味深い写真がいくつかある。それにゴーギャンはタヒチの女性を題材に木版画や彫刻も作っていて、日本的な美の要素を重視していた。その点はゴッホと同じだが、着目した浮世絵に違いがあり、ゴーギャンは幕末から明治初期のグロテスク気味な作に関心があったように思える。それはともかく、橋本関雪はゴーギャンの絵画や生き方に関心があったのだろうか。それとも関雪が世を去った後に遺族が空き地を有効利用するためにレストランを造り、その名前を「ノアノア」にしたのだろうか。隣接して和食の店も経営され、「ノアノア」も含めて関雪没後に営業が始まったのではないか。ともかく「ノアノア」の命名は、美術ファンが関雪記念館を訪れることを見込んだためだろう。9月15日に家内と訪れた時、順路に導かれて最終の美術館に入り、そこを出るとすぐに駐車場であることが意外な気がした。駐車場に出るともう館内つまり記念館の庭に戻れないが、見忘れたものがあるでもない。それに駐車場で筆者は二匹の蝶が戯れながら飛んでいるのを目撃した。蝶の舞いを見た直後に「ノアノア」に入っていればよかったが、3か月後の冬まで見送ったことでちょうど店内が空いていたと思えばよい。ピザとパスタを家内と半々に分けて食べ、そのおいしさに家内と目を見合った。店を出てバス停に向かっていると、関雪記念館経営の和食店の隣りに間口の広い店舗があることに気づいた。バスはすぐにやって来ないと考え、筆者ひとりでその店に入り、ざっと商品を眺めわたした。田舎に来たような感じのする古い日本家屋で、お土産になりそうな、つまり値の張らない古民芸ないし古道具を並べていたが、筆者がほしいものはない。店を出ようとしたところ、切り絵による連弁の散華が目に留まったので、高齢の女性店員に話しかけた。白くて薄い紙を切ったものを散華の台紙に重ねてあったが、絵が特別に目を引くというものでもない。その女性は1枚ずつ手作りなので1枚1000円の売価は仕方がないといったことを言った。確かにそうだ。作家はその半額しかもらえないかもしれないからだ。しかし筆者は特殊な刀を使えば10枚ほどは一度で切れると言った。型友禅の彫り師ならそれはたやすいからで、しかも薄い紙なら20枚ほどは一度で切れる。当の切り絵作家もそのことを知っているだろう。女性はその切り絵作家は関雪記念館で個展を開催したことがあるとも言った。同記念館の学芸員の目にかなえば作品を展示する機会が得られるのだろうか。筆者は「ぼくも切り絵を少しします…」などと話しかけ、自作の左右対称の切り絵をネットで公開していることを告げた。そこで扉を開け放った外から家内に鋭い声が聞こえた。「こーちゃん! バスが来たよ!」それで慌てて店の外に出て走り、そのバスに乗った。
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