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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『画工画 明治の画工、世界に挑む』第Ⅱ期「下画と染織品」
輿担ぐ 力のもとは 腰にあり ぎっくり来れば がっかりも来る」、「学校へ 明示の画稿 伝わるも 持ち主変わり 今はいずこに」、「共同で 描く壁画の ちぐはぐも 遠目にまとまり 時代を写し」、「完成を 思い描かぬ 人生も 時にはありと 思う春先」
●『画工画 明治の画工、世界に挑む』第Ⅱ期「下画と染織品」_d0053294_01264136.jpg
去年12月2日に家内と出かけた最後の施設での展覧会について書く。筆者は終日家にこもる場合が多いが、出かける時は用事をなるべく多く作る。去年12月2日はブログの投稿ネタとして多くをもたらし、今日の投稿で一区切りがつく。阪急阪神一日乗車券を使えば阪神の尼崎駅から大阪の難波まで行くことが出来る。帰りはまた尼崎に戻れば電車賃を使わずに済むが、難波から尼崎、そこで乗り換えて梅田に出る時間がかかるから、たいてい日本橋から地下鉄で天六に出る。その分の地下鉄代は必要だが、天六から嵐山までは一日乗車券が使える。それに天神橋筋商店街で食事したり、買い物したりすることが習慣になっていて、地下鉄で東梅田、そこから阪急に乗るということはほとんどしない。それはさておき、高島屋東別館の史料館に行ったのは、去年9月25日に見た展覧会のパート2「下画と染織品」を見るためだ。同じ中年女性がひとりで館内を受け持ち、今回も帰り際に壁に貼りつけられる用紙に感想を書いてほしいと言われたが、前回書いたと言えば何となく筆者を思い出してくれたようだ。なかなか気持ちのよい女性で、常連となって顔を覚えてもらいたいが、春は忙しくなり、企画展ごとに行く機会があるかどうかわからない。またいくつかの展覧会をはしごすればいいようなものだが、強く見たいと思うものがない。それに観覧料も高い。この史料館は無料でいつもほとんど誰もおらず、贅沢な時間を過ごした気になれる。今回はすべて展示替えがなされ、撮影可能であったので適当に写真を撮って来た。今回の展示の目玉は最初の2枚の写真にある友禅掛軸と屏風だ。友禅染めは筆者の専門であるので、こうした展示はぜひとも見たい。ただし、参考になることはほとんどない。2枚の写真の4点の作品は下絵を有名画家が描き、染めを専門職人が行なった。どれも典型的な花鳥画で、若冲時代のままと言ってよい。若冲時代に友禅染めはあって、女性の晴れ着などが染められていた。宮崎友禅斎がその技法を編み出したと言われるが、厳密に言えば彼はそれまであった筒描きの技法を精緻かつ多彩にしたのであって、糯米の粉で作った粘りのある糊を布上に線引きし、その線すなわち糸目の間に染料を挿すという技法が友禅の基本だ。その点は現在も変わらないが、筆者はそれを基本にもっと複雑な工程で染めている。そのことは実例を挙げて自分のホームページを作った20年近く前に詳しく説明したが、たぶん関心を持ってそれをすべて読む人は年にひとりもいないだろう。誰かに教えたいとも思うが、貧しくなって来ている日本で、悠長な友禅をやろうとする人はまあいない。
●『画工画 明治の画工、世界に挑む』第Ⅱ期「下画と染織品」_d0053294_01270434.jpg 友禅の言葉はとても有名であるにその技法を詳しく知る人は稀だ。富士正晴は日本画家の榊原紫峰の子どもの家庭教師をしていた経験上、後年紫峰の評伝を上梓するが、それを読んで驚いたのは、富士が「糸目」の言葉を理解せず、どの資料を当たってもわからず、全くとんちんかんなことを書いたことだ。富士は京都に学び、友禅の知識は少しはあってよかったのに、紫峰などの日本画家が若い頃は友禅の下絵を描く仕事で収入を得ていたことを知りながら、「糸目」が何を意味するか想像が及ばなかった。当時は友禅の技法に関する本がなかったのだろう。今も同じで、友禅は素人が趣味にするにはあまりに敷居が高い。それで昨日書いた久坂葉子もローケツ染めを手がけた。京都を舞台にローケツ染めをする女性を主人公にした『夜の河』があった。1956年封切りで、久坂が死んで4年後だ。久坂が最初に書いた昭和25年の小説「入梅」の主人公は、久坂と考えてよいが、彼女はローケツ染めをする人物として描かれる。富士が書くようにその小説は10代の女性が書いたとはとても思えず、また現実味があるが、富士はその理由を主人公がローケツ染めをするところにあると見た。そのとおりで、寡黙に蝋を生地に走らせる様子はねっとりした入梅の季節を想起させ、そのことが小説の題材と相まって印象深いイメージをいくつももたらす。富士もローケツ染めについては知識があり、たぶん少しは手掛けたのではないだろうか。ところが友禅はローケツとは全く違う技法で、絵師の宮崎友禅斎が完成させたと言われるほどに、絵画に近い。しかも顔料で描く日本画は水に濡れれば色落ちし、悲惨なことになるが、友禅染めは最終的に水で洗って糊や余分な染料を洗い落とすので、現在の洗濯可能な布地と変わらない。ただし現在の洋服地は、たとえばTシャツに代表されるように樹脂系の顔料を生地の表面に固着させる場合が多く、布の風合いのよさの重視は無視される。それにカラフルな洋服地はほとんどシルクスクリーンの技法で染められ、簡単に言えば版画だ。友禅もシルクスクリーンを使って染めることが一般化したが、それは量産品で、手描き友禅で必ず生じる糸目の白い線すなわち生地白の線をあえて胡粉で表現するなど、手描き技法の模倣をしている。それは糸目こそが友禅の命であることを知ってのことだ。さて、そこでたとえば若いキモノ・デザイナーがシルクスクリーンの技法で友禅キモノを作る場合、その糸目はなくていいものと考える場合は必ずある。伝統知らずの無知ゆえだが、糸目を模倣する手間をかけるのは手描き友禅の下位に甘んじることであって、シルクスクリーンならその特質を最大限に活かし、糸目のない新たな友禅模様を染めるべきとの考えはわからないでもない。だが、そうした染物は外国にふんだんにある。そして日本のいわば伝統文様を糸目なしに生地に染めるとどうなるか。
●『画工画 明治の画工、世界に挑む』第Ⅱ期「下画と染織品」_d0053294_01273718.jpg 伝統的友禅を見慣れた者はそれを美しくないと感じる。筆者も友禅界に入った当時、絵模様の輪郭が白抜きで仕上がることに何となく違和感を抱いた。素描の場合は、必ず事物の輪郭は黒やあるいは色鉛筆を使えばその色になるからで、白抜き線の絵は絵画のネガのような部分を持っていると思ったものだ。それで糸目に染料を混ぜ、最終的に染め上がった際に糸目が色の線になることを盛んに試みた。それはそれなりに面白い効果が得られたが、あくまでも部分的な使用であって、大部分は白抜き線とした。そのようにいろいろ試した後、糸目は友禅斎と同じ時代のように白抜き線が最も気品があってよいと考えるようになった。糸目について書いたが、富士正晴がその技法を知ったとして、まず自分でやってみようとは思わなかったに違いない。だいたい友禅染めは分業として発達し、下絵を描く人、糸目を引く人、模様の中に色を挿す人、模様部分全体に糊を被せる人、そして地色を大きな刷毛で引く人といったように、いくつもの工程ごとに専門の職人がいる。友禅斎はひとりで全工程をしたはずで、それで名前が残っているが、そのことは友禅の基本は下絵であることを意味する。その下絵どおりに仕上がって行くからだ。つまり下絵を描く人はその気になれば全工程をこなせる。ところが彩色専門の人はまず下絵が描けない。筆者は写生から始めて下絵を作り、その後の全工程をひとりでするので、模様の多い振袖になれば最低3か月は要し、場合によってはその2,3倍の日数を費やす。3年前の暮れ、振袖が染め上がったのでそれを「風風の湯」の常連の85Mさん夫婦に見ていただいた。ところがふたりとも意味がわからない。筆者は白の反物からこのように振袖をひとりで染めたと言っても、技法を知らないのでどういう工程で眼前のカラフルなキモノが染め上がるのかがわからず、あたかも適当に筆を走らせて数日で描いたように思われた。無理もない。道具や染料を見せていないので、筆者が工程のたびに部屋の片づけをし、気分を新たにまた生地に挑みかかる様子が想像出来ない。わずかな失敗も許されず、緊張の連続の仕事で、それだけに最終的にキモノに仕立て上がった時はとても嬉しいが、たいていの人はそこに芸術性を認めず、またイラストをパソコン画面上に描くことと大差ない仕事と思う。それに今は高精度の写真を撮ってパソコンで出力させることが行なわれており、生地上に染料で染めれば今日の最初の2枚の写真の掛軸や屏風とほとんど区別のつかないものが安価で仕上がる。ぱっと見が玄人でも区別がつかないのであれば、なぜ一点ものにこだわる必要があるか。「モナ・リザ」にしてもインクジェット印刷で充分ではないか。ベンヤミンが言ったように複製時代が進み、唯一無二の作品のアウラは重視されず、それどころか逆に数十部あるシルクスクリーン画の1点を持つことに愉悦を覚える人が多い。
 最初の2枚の写真の友禅掛軸は明治中期の作で、全体が1枚の生地で染められている。普通の掛軸は中身の書や絵の周囲にいくつかの裂地をつなぎ合わせて表装する。友禅掛軸は騙し絵の技法を用い、表装裂も中身の絵と同じ切れ目のない生地で染める。そうした作品はすでに江戸時代にあった。高島屋史料館が所蔵するのはその伝統を継いだもので、江戸時代にはない清新な感覚がある。それに保存がきわめてよく、褪色が見られない。どれも化学染料で染められたはずで、水色はとくに褪色しやすく、そのため本展でもあまり照明を当てないようにされていた。鶏の画題が目立つのは若冲人気が明治にまた高くなったからだろう。現在こうした伝統的文様の友禅掛軸を染める作家はいないと思うが、いてもこれらの作品と同じ高度な技法を見せることはまず不可能だ。第一、経済性が問題になる。現在の作家と昔の職人とでは時間給があまりに違い、下手な技術で似た作品を作るくらいなら、海外に流出した友禅掛軸を買ったほうがかなり安くて済む。それに現在の作家はあえて現在性を発揮しようとせずとも、現在の香りを盛る作品しか作れず、しかもそれは絵画的に見て二三流ならまだしも、見るに耐えず、技法的にも拙さが目立って仕方がないものになるに違いない。それに何も苦労して友禅の凝った、そして手間のかかる技法で表現せずとも、今ではいくらでも手っ取り早く絵で表現して金になる道はある。そうなると友禅に携わる人の数が減り、ますますその頂点は低くなるはずで、かくて友禅で現在をあますところなく絵画的に表現することはもはや誰もやらなくなったと言ってよい。その現在を表現することについても、学生なら突飛なことをして伝統破壊を口にすることは許されるが、そういう作品が本展の友禅掛軸のように年月を経て大事にされ続けるかとなると、まあ無理だ。話は変わって、久坂が染めたローケツの作品がどのようなものであったかは想像がつく。素人が入門しやすく、またそういう人でもそれなりに奇抜ないし味のある作品がものに出来るからだ。しかしそうしたローケツ作品を高島屋史料館は所蔵していないのではないか。ローケツ染めの大家を京都は何人も生んで来ているが、彼らの作品が将来高値で取り引きされるかと言えば、筆者はそうは思わない。大家の作が今では生前の数分の一の価格で競売で買えるからでもある。そうした大家の作も友禅のように、それなりに多大な時間を費やしたものが中心で、京都では手仕事の量の多さ、つまり手間のかけ具合が大きな作ほど人気がある。そうでない作ならば素人でも器用な人が模倣出来るからだ。その意味でローケツ染めは友禅のように高額な商品になりにくいが、素人が入門しやすいので、作品と呼べるものを作りたい人にはよい技法だ。つまり染色作家を目指しやすく、先生も多く、贔屓にされる確率が高い。
●『画工画 明治の画工、世界に挑む』第Ⅱ期「下画と染織品」_d0053294_01283216.jpg
 今日の3枚目上の写真は明治中期の下絵だ。なぜこれを撮ったかと言えば、筆者は薔薇を題材にこれとほとんど同じ色合いで額絵を染めたことがあるからだ。それは写生に忠実に友禅のみで染めたもので、今は妹宅に飾られているが、この写真の下絵は写生をもとにしながら枝蔓の伸びや蝶の配置など、全体を模様として処理している。その意味で最初の2枚の友禅掛軸と同じだが、円山四条派的な構図に囚われず、洋服地のように自由に描いている。それだけに面白さがあるが、逆に面白くないとも言える。模様配置の工夫に美術絵画の厳密性がなく、似たような構図は学生でも量産出来るからだ。これは掛軸や屏風という型にはまった画面ではない場合、たちまち日本の職人絵師が力量不足を露呈した例と言ってよい。無難を目指すあまり、月並みないしそれ以下になっている。ということはまだ掛軸や屏風において伝統的構図で伝統的画題を染めるほうがはるかに得意であったということだ。その点が現在はどうかとなれば、掛軸や屏風を知らず、またそうした古臭い調度を意識しないで済んでいると言えば口も方便だが、実際は日本の伝統はもはや忘れられ、さりとて欧米のデザイナーにかなう模様処理や配置の技量も持っていないというのが正しい。3枚目下はA4サイズほどの額に入った馬の刺繍で、見る角度によって光沢が違うのが素晴らしく、職人技の極致を見せる。以前書いたようにこうした刺繍画を手ですべて行なうにはあまりに日本の賃金が高騰し、ミシンに頼ればいいというのが現状になっている。あるいは手先の器用な人が日本刺繍を学び、時間を気にせずに同様のものを作る例はあろうが、そうした作品がたとえば将来高島屋史料館に入るかとなればそうはならない。時代を画した作品ではないからだ。では同史料館は現在どのような作品を入手しているのだろう。そのことを知りたいが、いずれ戦後の染織品の紹介があるかもしれない。またそれは以前書いたように「上品会(じょうぼんかい)」に出品されたキモノや帯であるはずだが、筆者は同会の図録でほとんど作品を知るのみで、実物を目の当たりにした経験が乏しい。それゆえ同会の作品について云々する資格がないが、戦後の昭和を代表する高額な一品物として、また伝統工芸展に並ぶような妙に型に嵌って身動きが取れない、したがって少しも面白味のないキモノとは違って、見応えがあるのではないかと期待している。そして筆者の友禅キモノや屏風がどういう位置にあるのかを客観視することに役立つ気もしている。最後の写真は明治中期から大正にかけてのビロード友禅で、上が「ライオン」、下が鳥居のある「山水図」で、どちらも輸出を意識した画風だ。ビロード友禅は友禅で染めた後、緯糸を部分的にナイフで切って毛羽立たせたもので、立体感が生ずる。その手間のかかる技法も今は顧みられない。
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by uuuzen | 2023-02-21 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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