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●『久坂葉子の手紙』、『久坂葉子作品集 女』
爛が 混乱するや 観覧の 金襴誇る 輩君臨」、「成人し 聖人ならぬ 異星人 バルサン焚いて 退散急かし」、「愚劣さを きわめて今日も テレビ界 人気者には 任期限られ」、「花咲いて すぐに萎れて 見捨てられ それが自然と 知ること拒み」
●『久坂葉子の手紙』、『久坂葉子作品集 女』_d0053294_00380289.jpg
昨日の投稿の続きではないが、最近読んだ久坂葉子の2冊について書いておくには昨日の投稿の直後がよい。とはいえ、今日の題名の2冊を一気に読み終えながら、考えはまとまらない。それは今後もそうであるはずで、久坂の本を読む人はみな同じ思いではないかと考える。数年前に富士正晴の『贋・久坂葉子伝』を読みながらその感想をブログに書かなかった。今も内容はよく覚えているが、久坂の自殺の原因はその本を読んでもよくわからない。それにその本で最もよく出来た部分は冒頭と最後で、中間部は冗漫と言ってよく、小説として成功していない。今回富士が晩年に編んだ久坂に関する著作のうちの2冊を読み、富士が『贋・久坂葉子伝』を書くに当たって久坂の著作を大いに利用したことがわかったが、迫力で言えば富士は久坂にとうてい及ばず、凡庸な小説を証明したようなものである気がする。それでも富士が久坂葉子の評伝を書こうとしたのは、久坂と縁があったからだ。また久坂が知り合いの中で富士を最も信頼していたからだ。おおげさに言えばそこに美しい師弟関係がある。富士が人生で最も大切にしたのは師弟関係だ。弟子は師匠を大切に思い、師は弟子の最大の味方になること以上の美しさがこの世にはないと考えた。そう思えば富士が竹内勝太郎についての本を上梓したことがわかるし、また久坂を最も縁のあった弟子とみなし、彼女が生前望んでいた著作の発刊を実現させたことも納得できる。そこには金銭的な損得を考えない純粋性があるのみで、そういう人間関係を理解しない人は富士や久坂の小説に関心を持たない。話を戻して、『贋・久坂葉子伝』を読んでもやもやしていたことが今回の2冊で大きく解消した。その意味でも富士の同小説は失敗であったと言えそうだが、今日取り上げる2冊は昭和53、54年の出版で、一方の『贋・…』は久坂が自殺してから4年後の31年に本になったから、21年の開きがある。その間に富士が知らなかった久坂が恋人に宛てた手紙が富士にもたらされた事情があり、富士は資料不足の中で『贋』を書かざるを得なかった。そんなこともあって富士は題名を『贋』と断ったのだろう。それに今回の2冊のうち、『久坂葉子の手紙』の「あとがき」で富士は筆まめであった久坂が書いた手紙は今後発見される可能性のあることを書いている。その一言から久坂の全貌はいつまでも謎に包まれていると読者は思ったほうがよく、実際そうだ。富士にしろ、久坂が直接自殺する原因となった俳優の北村英三にしろ、久坂がなぜ自殺したのかの理由はわからなかったに違いない。もちろん筆者もそうだ。
 今回の2冊でまず筆者が驚いたのは、久坂が10代半ばから自殺を考えていたことだ。それを4,5回も企てた。薬を一瓶丸ごと飲んだり、手首を切ったり、首吊り自殺を試みたりするなど、どうすればきっぱりと死ねるを考え、実行にも移した。そして最後は22歳で阪急電車の梅田行き特急に飛び込むのだが、その直前に北村に手紙を送り、すぐに返事がほしいと書き、自分の愛が真実であることを証明するとも一方で書いているが、それが自殺であることを久坂の死の後で北村は知る。久坂は北村を「鉄路のほとり」の渾名で小説に登場させていて、その鉄路のほとりで久坂が轢死体になったことは皮肉なのか、久坂が辻褄合わせのためにあえてそうしたのか、北村にすればやり切れない出来事であった。久坂は北村の手紙をすべて燃やしたのに、北村は久坂からの手紙やはがきを保存し、それを富士に譲渡したのだが、富士は「あとがき」で北村が「相当以上の決断を要したことと思わないわけに行かない」と想像するのはもっともなことで、北村の久坂に対する愛ないし優しさがあったと思う。ついでに書いておくと北村は富士の9歳下で、久坂は北村の9歳下だ。北村は京都北区で母と暮らし、演劇畑にいたところを久坂と知り合う。若い頃の北村はなかなか格好よく、また知性も豊かであったから、久坂が惚れたことはよくわかる。一方、久坂にとって富士は恋愛の対象には全くならなかった。年齢の大差というより、北村のような見栄えの鋭さは富士にはなかったからだろう。だが、久坂は手紙の中で何度か富士のことを信頼する言葉を書き、北村に宛てた最後の手紙の最後の行と言ってもよい箇所に「富士さんのような年とった人でも、やはり私と同じだ。私よりもっと純粋かもしれない。」と書く。その下りを読めば、その手紙を長年保管していた北村が久坂からの手紙類を富士に手わたした気持ちはよく理解出来る。また富士は久坂が死ぬ間際に自分のことをそのように恋人に伝えていたことを知って、どういう気持ちになったかを想像すると、筆者は他人事ながら涙が止まらない。そういう久坂の心を知れば、どういう障害があっても久坂の才能を本の形にしようと思うだろう。それが男気であり、また一時でも弟子であった才能豊かな者に対する愛だ。北村が久坂と結婚出来ないと思った最大の理由は家柄の大きな違いだろう。男爵の曾孫の久坂と釣り合う家柄の男はそうはいるものではない。しかし一方で北村は久坂のベーゼが女郎のようだとか、神戸の女では下の下の下の部類などとかなり辛辣なことを言った。久坂は大きく傷ついたが、恋人同士ではありがちなことで、そういう言葉が自殺の直接の原因になったとは考えにくい。女郎のようなキスとは、北村は久坂が男慣れしていると思ったのだろう。それはそのとおりだが、処女を失ったのは案外遅い。久坂の処女喪失の時期は手紙から推察出来る。
 それは梅田に出来たラジオ局に勤務するようになってからだ。そこで妻子持ちのプロデューサーと不倫関係になる。そしてその関係が切れない間に北村とも関係を持った。ラジオ局で働くようになった正確な年月日は今すぐには調べられないが、自殺する昭和27年の春だろう。富士は不倫関係になった久坂に対し、ラジオ局を辞めるように助言するが、久坂は自殺未遂を起こす。その精神の傷を癒すために富士は久坂と手紙のやりとりを始める。それを富士は贋のラヴレターと称し、『贋』にもそのことが書かれるが、今回読んだ『久坂葉子の手紙』では両者の当時の手紙やはがきが、久坂のイラストを交えながら全文が紹介され、その本では白眉と言ってよい部分になっている。そこでの久坂は天真爛漫で、自殺する深刻な翳りは微塵も見せず、漫才のように富士と互角に文章を綴り、現在の20歳そこそこの女性がこれほどの文章を書くとは想像しにくい。話は脱線するが、女性が若さを保持したいのはいつの時代も同じとして、その若さとは子どもじみていることとは全然違う。男女とも10代後半に差し掛かればしかるべき一般常識や知性を身に着けようとするのは当然のことで、その意味で久坂は並外れた才能があった。早熟でも超がつくほどと言ってよい。戦後間もない頃の日本女性は知性を積極的に身につけようとすることは割合一般的ではなかったかと思うが、今でも金はあっても知性ゼロの男は無数にいて大手を振るし、そういう男になびく女も同じだけいて、久坂の才能を理解しない、出来ない人のほうが圧倒的に多い。久坂の小説や手紙を読むと、久坂の読書や聴いた音楽、出かけた展覧会が推察出来る。それら文学、芸術は今では久坂時代より利便性が格段によくなり、久坂と同世代で久坂の何倍もの量の本を読み、音楽を聴き、演奏もし、絵も描く女性はいるはずだが、そういう女性が久坂のように名を遺すほどの大人びた作品をものに出来るかとなれば大いに疑わしい。それはさておき、放送局に勤務して妻子持ちと不倫関係になることは珍しくなく、それどころか今ではTV局に勤める娘たちはいかに男をものにするかと日夜血眼になっているだろう。その代表が女性アナウナンサーと言えば偏見がひどいと批判されるが、まあほとんどは金目当てだ。放送局の男たちも同じで、久坂の不倫は女の扱いに手慣れていた男に弄ばれただけのことで珍しくも何ともなく、ごく平凡な業界事情であった。北村との関係は、久坂にとって彼は知性豊かでまた俳優という表現者である点で魅力を感じたことは当然であろう。北村は大いにもてたはずで、演劇集団を統帥し、いくらでも若い女性が群がる男の力に溢れていた。つまり久坂が北村に魅せられたことは無理がなかった。富士は久坂がTV時代に生きればその業界で活躍したと想像するが、そうは言い切れない。彼女の多彩な才能の中では書くことが一番大きかったからだ。
 久坂は生前『女』と題する本を書くためにいくつかの小説を書いた。そのことを富士が知るので、久坂の小説から代表作を選んで『女』と題した。この題名は内容にふさわしくないという意見があるが、筆者はそうは思わない。男は女がわからないかと言えば、それは人による。北村が久坂にひどい言葉を投げたことは、案外そうすれば久坂がより自分の惚れることを知っていたからではないか。サドマゾの関係と言えばいいか、女性はマゾになりやすい。体の仕組みがそのように出来ているからでもある。久坂の小説「華々しき瞬間」を富士は「あとがき」で軽薄な作品とし、またその裏に隙間風のような薄気味悪い風が吹いているようでもあると書く。それはだいたい当たっているが、その軽薄さを久坂はよく理解しながらそれが女の本性であることを書きたかったのだ。そしてもちろんそういう女のいやらしさを嫌悪していた。女が軽薄ならば男もそうで、男女の性行為も元来軽薄なものだ。そうでないセックスしかしたことがないと言う男女がいればそれは偽善者だ。男女とも機会があれば弾みで性行為に及び、そしてそれをなかったものとして忘れた素振りで暮らして行けるし、一方でこれ以上はない劇的で純粋な恋愛を望んでもいる。「華々しき瞬間」の主人公の女性は同時にふたりの男と関係を持ち、しかもどちらの男の女をも騙し通す。とんでもないセックス好きの女のようだが、男から誘われれば何人でも関係を持つのが女の本性でもある。その意味で久坂は正直で、本能をあますところなく吐露し、また健気だ。それは他の女性の男を寝取りながら、その男からの純粋な愛の証がわずかでも得られれば、それこそが人生の華々しき瞬間であると思う女心だ。簡単に言えば、男に身を捧げるが、愛を証明する男の態度がほしいということだ。その態度は高価なものを買ってくれるといったことではない。その男の女に対して勝利を感じられる男の共犯者としてのさりげない態度で、そのことによって浮気、不倫の不純な関係を越えた純粋性すなわち華々しき瞬間を味わう。この「華々しき瞬間」は久坂の考えた言葉として代表的なものだ。人生にそのような瞬間がどれほどあろう。たとえば高額の宝くじに当たったことをそう思う人は多いだろうが、人生の最期に思い出すことがそれではさびしい。久坂が「華々しき瞬間」の最後に書いたことは、女としての勝利の思いだ。それは実際は不倫相手とは一緒になれず、その場で別れてしまうことなのだが、最後の別れ際に男が見せた、久坂にしかわからない態度によって彼女は勝利感を味わい、同時に悲しみを抱える。そういう華々しき瞬間は一度あれば充分かと言えば、人間は欲深いからすぐにまた求める。久坂にとって放送局がらみのふたりの男とは別に北村が恋の相手になった。そして彼は独身であるから、結婚を期待することも出来たが、北村は久坂のキスに女郎を感じた。
 久坂の時代、女は20代前半で結婚するのがあたりまえであった。筆者が小学生の頃、近所に30代後半の独身女性がいて、近所から陰で「行かず後家」と呼ばれていた。子ども心ながらに彼女がえらく年増に見えたが、今思うと30後半はまだまだ若い。ただしやはり30後半はそれなりの年増で、子どもを産む能力の点では衰えが目立つ。久坂は手紙の中で何度もお嫁に行こうかといったことを書いた。それは好きなことが出来ない立場になることであると同時に、生活は平坦なものとして安定する。それがいいかそうでないかは女自身が決めることだが、恋愛と結婚は違うものという意識は久坂にはあったろう。それで妻子持ちと不倫関係になった。では結婚すれば恋愛はもうないかと言えば、「華々しき瞬間」では夫がいても妻が浮気を平気でしがちであることが書かれる。芦屋のマダム云々という表現があり、戦後間もない頃、芦屋の有閑マダムがあちこちの男と関係を持っていたことが世間でよく噂になっていたことがほのめかされるが、それは芦屋に限ったことではなく、資本が豊かなところでは、またそうでもない女性たちでも、みなそれなりに男から言い寄られ、言い寄っていたことは、現在の風潮を見ても誰でも想像がつく。まだ結婚していなかった富士は竹内勝太郎から、女性に幻想を抱くなと言われた。女性に純粋性を見るのは勝手だが、醜さも抱えているのが人間であり、その全体をひっくるめて愛せるかどうかだ。富士は『贋』の冒頭で、夢に久坂が登場し、久坂からセックスを強引に求められて果ててしまう。富士が久坂を女としてそのように全く思わなかったというのでは大きな嘘になる。18歳年下の活発で美しく、才能に溢れる女性と頻繁に言葉を交わす間柄になれば、どんな男でも彼女との性行為は脳裏をかすめるだろう。ただし妄想に留まり、表面的には何事も起こらない。富士と久坂の関係はそうであった。久坂と富士の往復書簡では富士のきわどい言葉がわずかに出て来るが、久坂の手紙は富士の妻が読み、富士の手紙は久坂の母親が楽しみにした。そのために富士も久坂もよけいなことを書くことを自粛したかと言えば、そういう気配はなく、お互い手紙を通じて文学の真剣勝負を笑いながらしている。どちらも相手に不足はないという関係で、筆者はそれが非常に羨ましい。筆者も筆豆だが、同じように応じてくれる相手はいなかった。それでこうしてブログに長文を書いている。話を戻して、富士が久坂に無理やりセックスされる夢は、男のいやらしさかと言えば、富士は久坂に強姦されるのであって、富士が求めたことではない。この『贋』の冒頭における富士の夢は、久坂の女であることのひとつの意思と行為を端的に示し、そのことが最後の自殺の場面と重なって読者は彼女の華々しき瞬間の最後で最大のものが実行されたことに呆然とし、その後に久坂の笑みだけが漂っている気に襲われる。
 久坂の小説が芥川賞の候補になった後、久坂の母は娘が小説家として有名になり、収入も増えると口にする。そのことを久坂は嫌悪し、自分は金のために書かないという思いを書く。そこに久坂の純粋性がある。久坂は男爵川崎正蔵の曾孫だが、実家は火の車であった。まさかと思うが、父親も兄も商人のように人に頭を下げることをしなかった。昨日書き忘れたが、正蔵の建てた長春閣は現在の新幹線の新神戸駅付近にあった。展覧会場では明治時代の写真を畳数枚分に引き伸ばした写真が会場を入ってすぐのところに飾られ、在りし日の長春閣を目の当たりにする気分になれた。『久坂葉子の手紙』には久坂の住所がいちいち記される。最晩年に最も目立つのは「神戸市生田区山本通3-33」だ。これは現在と少し違っていると思うが、おおよその場所は変わっていないだろう。富士は『贋』において久坂の通夜に出かける場面を詳細に書いた。トアロードを山手に向かって歩き、途中で回教寺院の屋根を見る。久坂のその家は数年前に新たに建てたもので、豪邸と呼べるものではなかったはずだ。家財を切り売りして収入を確保する状態で、さらに正蔵のように一代で家運を盛り立てる能力は久坂の兄にはなかった。長春閣のすぐそばに正蔵の邸宅があったはずだが、それらの屋敷は昭和11年の二度目の美術品の売り立てやその後の国からの財産税の徴収などですべて消え去った。正蔵は川崎造船、川崎重工業を興したが、子どもは夭逝し、他人が会社を継いだ。それで久坂は正蔵の曾孫で、九州女の血を引くと自覚しながら、財産には縁がなく、富士との手紙のやりとりでも頻繁に金欠について書く。その点は富士も同じで、久坂の通夜では最も安価なゴールデンバットのたばこ一箱を供えるしかなかったほどだ。富士は『贋』の中で久坂の父親のことをよく書いていないが、父親にすれば富士が久坂の小説熱をあおり、さまざまな人脈を経て娘が自殺に至ったことを恨んだのだろう。また『贋』からはわからないが、富士は長春閣のことを一言も書かない。富士はそれなりに中国絵画に関心があり、長春閣が蔵した作品も知っていたと思うが、富士の絵画好きは自己流であり、全くアカデミックなところからは隔絶していた。ともかく、富士は久坂を大富豪の曾孫という色眼鏡では見ず、文才だけで判断した。そして久坂も富士の同人誌の仲間たちと出会いながら、自分が書くべきことを猛烈に吐き出して行く。それは自分でもよくわからない心のもやもやを少しずつ明らかにしようとする態度で、書かずにはおられず、書くことが生きることと同じ意味を持っていた。しかし富士が久坂のどの小説も手放して称えたことはなく、時に酷評した。そして久坂を他者の評価を受け入れ、書き直すことがよくあった。自意識の強烈な久坂がそのように他者の言うことに耳を貸したことは必ずしもよかったとは言えない。
 筆者は今日の題名の2冊しか読んでいないが、富士は本を作るに当たって久坂のほとんど同じ内容の小説のどちらを選ぶかにおいて、久坂が出版社の言いなりになって書き改めた原稿を採用していない。他人の意見を聞いた結果、本の内容が悪くなったと考えたからだ。それはさておき、久坂は手紙の中で自分の文章が初めて印刷された時、誤植が10近くあることを嘆いた。それは原稿が印刷された経験のある人なら誰でも同意出来るであろう。筆者も7年前に本を出したが、最終の校正を見せられずに初版が発売された。筆者はその本を息子に読ませ、息子は前代未聞の酷い、大幅な誤植の行を本の最後辺りに3か所も見つけたが、その原稿を編集した人物は出版社に筆者の了承を得ていると語ったことがつい先日わかった。無能者が仕事に携わることは時に仕方がないとして、著者の了承を得たと嘘をつくのは罪悪ではないか。結局第3版で本は正しいものになったが、初版が出鱈目の見本になった事実は覆せない。話を戻して、ワープロがない時代に久坂は思いの丈をよくもまあすらすらと書いたものだと筆者は舌を巻きながら読んだ。その執筆は即興と言ってよく、頭の中に書くべきことが整頓されており、机に向かってじっくりとそれを紡ぐだけでよかった。その書きたいことは自分の履歴の記憶で、それらをほぼ全部書いた後、彼女が突如書けなくなったことはよくわかる。彼女は話を最初から創作する能力には乏しかった。その意味で典型的な私小説家で、富士がまとめた彼女の今日の2冊と『久坂葉子詩集』を読めば、それで彼女の文筆家としての全生涯が概観出来るが、彼女はローケツ染めをし、ピアノを奏で、粘土いじりもしたので、そうした作品にも光を当てる必要はある。またローケツの地色の引き染めを京都の業者に依頼していたので京都に出る必要はあったが、その際に足を延ばして北村と逢引きを重ね、たまに嵯峨嵐山にも立ち寄った。電話と手紙、時には電報、そして実際の行動と、久坂は目まぐるしく人と接しながら、その合間に小説を書き、上記の仕事もこなした。その活力は大金持ちの娘であればまだしも、彼女は金策に追われ続けた。ベレー帽ともうひとつの帽子を中古で買ったことを嬉しく綴る手紙があり、成人式用の振袖が用意出来なかったことも書かれるが、そこから見えるのは貧しい家庭の健気な娘の姿だ。女給の仕事をパンパンみたいなものだと言いながら、そういう仕事をするしかないほどに収入がない事情も手紙から垣間見える。彼女は自分の貧しい暮らしをどう見ていたかだが、男爵の曾孫であることを誇る文章は一行もない。その点は明治天皇の玄孫を自慢するTVタレントとは大違いで、またそういう久坂であったので、高校時代から同じ学校の女子生徒たちから大いに注目された。宝塚の男役のようなもので、久坂にしかないオーラがあったようだ。
 そのことは伝わる彼女の写真からもわかる。筆者はこれまで知り合った女性の誰が最も久坂に近いかと思う。それなりに似た人物を知るが、やはり表現行為が好きで、その意味で自分というものをしっかりと思っている。知性の点でも引けを取らないかもしれず、久坂のような女性はいつの時代もごく少数はいると信ずる。ではなぜ久坂は自殺したか。先に書いたように久坂は自分の生涯をいくつかに区切って小説に書いた。10代半ばで自殺を企てたことは、人生を見通したからと簡単に言う人があろう。本の帯に井上靖がこう書く。「…彼女の自殺に対して、私が憤りを感じるのは彼女が若かったという一事のためかもしれない。自殺の意味というものは、彼女があと三十年生きて死んだとしても、そこにどれほどの違いがあるであろうか。彼女の死の意味は、若かったが故に浅かったとも小さかったとも言えない。ただ三十年後に感ずべきことを、久坂葉子は二十歳そこそこの固い果実の表皮に感じ取ってしまっただけのことである。天才であった作家久坂葉子の悲劇である。」さすがの大御所の文章で、筆者の思うところもこれと同じだ。だがなぜ20歳そこそこで死ぬ気になったかの推察がない。この点について富士は放送局の妻子持ちとの不倫と考えていたようだが、それだけではないだろう。苦しい恋から逃れたいが逃れられないという葛藤が直接の原因になったとしても、自殺完遂に至るまで処女の彼女は何度も死のうとしている。そこに川崎正蔵が亡くなった直後に家の運命が大きく変わって没落したことの恨みがあったのではないか。それは本来ならもっと金持ちでゆったりと暮らせたのにというような安っぽい考えではない。日本を代表する巨万の富を抱えた家柄がいとも簡単に没落することの無常観と言えばいいか、それゆえ何か確固たるものを希求し、それが文学や芸術であったのだろう。またそのことも正蔵が人生をかけて証明したことを久坂はよく知っていた。正蔵の手元を離れた美術品は別のところで誰かが大切にしている。それは燃えてしまわない限り、事実だ。ところが文学ならもっと命は長い。本を上梓し、その1冊でも残れば、著者がかつて存在したことが証明される。書くことに久坂は信頼を置いた。その才能は誰から受け継いだか。WIKIPEDIAには詳しく出ていないが、正蔵は3人の息子を亡くした後、他家からの養子正治を跡継ぎにする。しかし大学2年の時に正治は文学に傾倒し、廃籍されるので、正治が久坂の祖父ではない。次に正蔵の妹の子である芳太郎は正蔵の次女と結婚し、川崎家を嗣ぎ、1896年に川崎造船の副社長になった。したがって芳太郎が久坂葉子の祖父に当たるが、久坂は本の中で「本家云々」と書き、久坂の父は長男でなかったことがわかる。ともかく、久坂は川崎家のかなりの変わり種で、若くして自殺したので同家は触れてほしくないのではないか。
 久坂は北村に対して「長生きしなさい」と手紙に書いた。それは自殺することに決めていた女性の捨て台詞と言ってよく、長生きすることをよいと思っていなかったことが伝わる。彼女が自殺する少し前に急に何も書けなくなったのは、書いてしまって一種の厄払いをしたい思いが枯渇していたからではなく、書くにはまだあまりに生々しいやりとりが北村との間にあったからだろう。つまり自分の姿を客観視出来なかったのではないか。恋愛とはそれほどに人を正常な状態から遠のかせる。では久坂は狂気にかられて死ぬ気になったかと言えば、富士が書くように久坂は計画性の強い人物で、これをやると決めると必ず実行せねば気が済まない一種の潔癖性があった。それで一旦自殺をと決めるとその段取りから実行までまっしぐらで、それを翻すことはよほどのことがなければ出来なかった。その翻意はひょっとすれば北村の返事ひとつ、応対次第でどうにかなったようなものだが、北村にすがり続ける久坂の手紙の言葉はあまりに痛々しく、北村でなくても少しの間は距離を置こうとするものだろう。その醒めたところが久坂には我慢ならなかった。9歳の年齢差では無理もない。久坂は半年ほどの間に3人の男と肉体関係を持ったが、北村から酷い言葉を投げかけられて自分を売春婦のように感じたかと言えば、全く逆で、真実の愛を疑わなかった。それを証明するためにも自殺したのだが、富士が書くように久坂が北村に宛てた手紙を通読すると、北村の肩を持ちたくなることは事実だ。肉体関係を持った女性に死なれて平気な男はいない。しかし一方で「それはない」という思いも増す。そこで真実の愛とは何かの問題が浮かぶ。北村は後に女優と結婚し、その女優は顔を見ただけの印象では北村にとても従順そうだ。久坂とは正反対の女性を選んでも当然だろう。そのことを久坂はひょっとすれば見通しながら、北村に長生きしろと言ったのかもしれない。富士も北村も長生きし、そして筆者も長生きしているので、久坂がさっさと自殺したことの真意がわからない。20歳以降は同じことの繰り返しと見る考えはわかる。芸術家もだいたい代表作をその頃に制作する。その意味で久坂の3冊の本はその天才ぶりをあますところなく伝え、今後も読者を得て行くだろう。久坂の小説はどれも後味はよくないが、そういう苦味が人生のひとつの本質であることは今の20歳でもよく知っている。久坂は書かずにはおれない思いに駆られて全力で突っ走った。それが若さとはいうものの、先達に学ぶ意欲があり、精神の純粋性を最上のものとして保ち続ける書き手は珍しい。久坂の写真を見ながら、彼女のような表現者がいれば会って話したいと筆者は思っている。いるとこにはいるはずだが、筆者では出会えるはずがないか。何となく話がまとまったようで、今日はこれまでにするが、久坂については思うたびに気持ちが昂る。
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