「
舐めながら 飴の糖分 気になりて なければさびし 少しは甘味」、「野良犬を 見かけなくなり ほっとしつ 捨てられ犬の 増えしこと知り」、「気が変わり 何でも棄てる こと正し 誓いの意味は 言葉折ること」、「無理するな 日々盆栽に 声かけて 凡才聞いて 成るはほどほど」
「その3」で終えようと思っていたが予定変更。80年のライヴはアナログ録音だ。それででもないが今回の新譜もLPレコードが発売された。今日の2枚目の画像のようにマッド・クラブとミュンヘンのライヴを個別に収録し、前者は白黒ジャケットにLP2枚、後者はCDのブックレットの表紙の写真をジャケットに使い、盤は3枚、オレンジ色と黒の2種が製作された。LPでしか聴けない音があれば購入を考えるが、そうではないので写真を見るだけにする。ただし、見開きジャケットの内部がどのような写真を使っているのかは気になる。この2種のLPはザッパが80年に緊急発売した可能性がなきにしもあらずとサーヴィス気味に考えてみると、そうであったとすればジャケットに今回のような写真を使った可能性は少ないのではないか。カル・シェンケルにイラストを依頼したかもしれないと思うからだが、80年は微妙な時期だ。ザッパはバーキング・パンプキン初のアルバム『ティンセル・タウンの空騒ぎ』でカルにアルバムのデザインを依頼し、それは回顧趣味的で特別秀逸とは言えなかった。当時カルはザッパ・ツアーのパンフレットのデザインも担当し、カルらしい才能を示したが、ザッパは粘土アニメのブルース・ビックフォードの才能に大いに肩入れしていた。そのため、本作の2種のLPが当時発売されていたとして、そのジャケットは本作のようにザッパの写真を使った無難なものになった可能性が大きい。そういうことも考えて本作の発売は吟味されたはずで、CDとLPの双方にうまく曲が収まることを最大の問題としながら、ジョー・トラヴァースや他の関係者はファンが思う以上にエネルギーを使ったであろう。それは端的に言えば、ザッパの意思を汲み、海賊盤とは明らかに違う質を保証するとの考えだ。その点を慮ると音が違って聞こえて来ると、先日とは趣が違うことを今日は書くが、実はステレオで大音量で聴くと、アナログっぽいと言えばいいか、生前のザッパのLPとは違うギターの音の分厚さにまず感心し、技術の進歩を感じる。あたりまえのことで、パソコンで聴くと海賊盤っぽいが、本作は臨場感を味わうためにステレオで可能な限り大きな音で一度は聴くのがよい。前作でケリー・マクナブはザッパはライヴでは大音量で演奏することにこだわったことを書いていた。そのことをジョーは思い出しながら本作のギターを地震かと勘違いするほどの重金属音に加工したのではないか。アナログの音をデジタル化すれば、後はある程度どのようにでも音を作り変えられる。
本作のドラマーはヴィニー・コライユッタからデイヴィッド・ロウグマンに交代し、白黒だが彼の顔写真が初めてジャケット見開き内部で紹介された。きびきびした演奏で、ヴィニーとどちらが技術的に優れているかとなれば、聴き手の好みの問題の部分が大きいが、ヴィニーは「モーズ・ヴァケイション」のような複雑なリズムの曲をザッパが賛辞を贈るほどに完璧に奏で、バンドにより馴染んだのはヴィニーだろう。本作ではヴォーカル曲が中心で、デイヴィッドがヴィニーのようにザッパらしいぎくしゃくしたリズムの曲を奏でる出番がなかった。それで技術力の優劣は簡単に決められず、ザッパが雇った他のドラマーとは明らかに違った個性を本作で聴き取ることが出来、ザッパがオーディションで選んだだけの才能があることを否定する人はいないだろう。短期の活躍で終わったのはギャラの問題とされているようで、ヴィニーが復活してザッパは却ってやりやすくなったかもしれない。ベースのアーサー・バーロウも80年春の雇用に際してゲイルからオーディションを受けるようにとの電話があったが、アーサーはすでに以前にオーディションを受け、ザッパと演奏をしているのでそれを断った。またアーサーはザッパからはメンバー中では最も才能を買われ、ザッパがリハーサルに遅れてやって来るまでの間、ザッパの代わりをして曲の練習をまとめた。それででもないが、本作のブックレットではレパートリー全曲に対して簡単な解説を書いている。それで思い出した。スティーヴ・ヴァイは本作のマッド・クラブでの演奏の際、最前列に客と観覧し、ザッパと視線をやり取りした。ヴァイは同年秋のツアーに参加し、その時はステージでは前列にギタリストが4人も立つことになった。もちろんヴァイの担当は「曲芸ギター」で、難易度の高いフレーズを担当した。その才能の片鱗は後年「デンジャラス・キッチン」などの曲においてザッパの即興ヴォーカルを採譜し、スタジオでギターをそれとユニゾンで奏でることで紹介されるが、その前哨としてレイ・ホワイトがライヴで自分の即興ヴォーカルにギターをユニゾンで弾く芸を見せていたことがある。もっとも、その即興のソロを採譜して楽器でユニゾンで演奏することをザッパは72年から顕著にやり始めていたので、ザッパにすれば「デンジャラス・キッチン」の歌とギターのユニゾン加工はその点に意義があるというより、ザッパの即興ヴォーカルの今までにない「weird」さにあったろう。その溶解した妖怪のような気味悪い歌は80年代になって始まったものではなく、60年代後半の「グリーン・ジーンズさん」の歌詞にすでにある。そしてそのシュルレアリスム的なイメージはザッパが愛するドゥーワップ・ソングと合体して50年代になかった、あるいはアメリカのひとつの本質であった「醜さ」を表わすことになった。
今日の最初の写真はザッパ・ファミリーから4日に届いたメールから取った。中央の映像は実際は動いている。添えられた文章はジョー・トラヴァースの解説からエキスを抽出し、メールの題名「From Nightclub to Arena」が面白い。筆者はこれからピアソラを思い出した。だがタンゴが場末のクラブからコンサート会場で演奏されるものとなるべきとの意識はザッパにおいては別な形であった。ザッパはクラシック音楽のようにコンサート会場で自作曲が演奏されることの夢を生涯見続け、それを体験したが、そういう音楽とロックは基本的には別物と思っていた。その意識が強化されるのは80年からだ。本作のように歌を中心とした演奏やアルバムを作る一方、管弦楽曲は別の次元で実現を考えるようになった。したがって「ナイトクラブからアリーナ」は本作に限って形容出来るだけのことで、会場の大小は音楽の質に関係がない。ただし明らかにナイトクラブとアリーナという空間の差を内蔵し、異なる臨場感が楽しめる。話を戻して、メールに添えられた映像は80年以降のザッパの多くの演奏が録画されていることを伝え、今後ライヴDVDの発売の加速化を予想させるが、ザッパは84年のライヴで一例を実行した。『音楽にユーモアはあるか?』のCDとヴィデオで、前者はザッパ初のCDとなった。後年その音を、特にギター・ソロを著しく改変したCDを再発したが、映像とCDとは同じ曲ではなく、インタヴュー映像を挟むなどして、ステージ演奏の録画だけの発売では面白くないと考えた。つまり本作の映像があるとして、それをそのままDVDとすることはザッパの考えにはなかったであろう。そこでザッパ・ファミリーは録画された大量の映像をどう商品化するかを考えあぐねていることが想像出来る。ついでに書くと、本作ブックレットの写真はザッパ・ファンのジョージ・アルパーの撮影で、マッド・クラブでのものは別人が撮影した16ミリ・フィルムから取ったものとされる。今日の3枚目の写真はアルパー撮影の写真を使ったTシャツの裏表で、通販されている。今日書きたい最大のことを最後に。アメリカの大西さんから知らせてもらい、「ザッパ関連ニュース」に投稿したように、本作の発売とほぼ同時期、YouTubeにザッパが92年にアンサンブル・モデルンを指揮してリハーサルしたヴァレーズの数曲の部分が投稿された。リハーサル以外に完全録音の音源はゲイルが語ったところによれば、金の支払いの問題でザッパに手渡されなくなった。リハーサルや録音の諸費用を出した人物が当時何歳であったかわからないが、30年経てば死んだ可能性もある。そこで関係者や遺族が持っていても仕方のない録音テープや映像を誰かに譲渡したか、関係者が流出させたのだろう。ザッパのアルバムの最後を飾るものとして、そのヴァレーズ音源が一時も早く発売されることを期待したい。
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