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●渡月橋間近の下流堰工事、その2
きを 自覚せぬまま 恥さらし 有名病の 見苦しさ充ち」、「鏡見て 見たきようにと 吾を見る 真の姿は 思いどおりに」、「増水し 米がふやけて 雑炊に 雀納得 満腹至福」、「倦む午後に 膿み痛む指 熱を帯び 熱帯想い 熟みを産みたし」
●渡月橋間近の下流堰工事、その2_d0053294_01293096.jpg
昨日の続き。同じく1月23日に撮った写真を使う。2、3枚目は渡月橋の上からで、どのような作業をしているかがわかる。四角い鉄の枠をクレーンで吊り上げて河床に下ろし、その内部に大きな石を積みながら詰め込む。ただし、写真は詰め終えた後にその枠を外している状態で、そのままでは崩れるので金網で固定しているだろう。それは蓋のない容器と思ってよく、隙間だらけであるので魚や貝の生息には問題がないだろう。他の場所を見てもわかるように畳2枚分ほどの正方形の石の絨毯ないし布団を単位として川幅いっぱいに敷き詰めて行く。写真からわかるように一単位に相当する部分ごとにわずかに隙間が見えている。なぜこのような工法にするのかと言えば、工事費の算出をこの鉄枠何枚分というようにわかりやすくするためではないか。漫然と敷き詰めて行けば両端で石の詰め具合の密度に差が出るだろう。それで金箔を屏風に貼るように正方形の単位を順に敷き詰めて行く。その過程で生じる、あるいはあえて生じさせるのかもしれないが、そのわずかな隙間は水流によって拡張されやすいと想像するが、一方ではこの隙間から魚が流れを上り下りしやすいかもしれない。また、今年は石を詰めた斜面がこれまでよりも下流に向かって緩やかにされているようで、水の落下の衝撃を和らげるためだろう。洪水時に川底は渦を巻いて石を持ち上げるので効果のほどはわからないが、階段の横に今はスロープが併設される場合が目立ち、この堰も段差が目立つ構造ではなく、なるべく長い斜面にすることは理解出来る。今年の大雨の後、どのように石組の斜面が破壊されるかだが、ひどければまた新たな構造を考えればよい。相手は予測のつかない雨水量ゆえ、今回の工事が完璧ということはあり得ない。普段は水量が少ないから、見栄え重視にすることは当然だ。3枚目のパノラマからは右岸側半分がほとんど工事を終えているように見える。白っぽい帯状の段の石組が今回設置された斜面の末端部で、その上流側で崩れた箇所を補修しながらの工事だ。ただし水量が少ない季節なので補修した箇所が万全かどうかはわからない。というのは、これを書く現在、工事は終わっていて、補修箇所も含めて全体を眺めわたすと、水流が川幅いっぱいにどの箇所もほぼ均等に流れているのではなく、水流が特に多くて目立つ箇所がいくつかあるからだ。工事にけちをつけるつもりはないが、梅雨時にその箇所は傷口を大きくすると想像する。竹籠に石を詰める昔の蛇籠と基本は同じで、おそらく他の河川でも同様の工法は採用されているが、渡月橋のすぐ下流では観光客が毎日写真を撮るので美しく見せる必要がある。
●渡月橋間近の下流堰工事、その2_d0053294_01294875.jpg
 筆者もそれに倣ってブログに使う写真はなるべく美しくをモットーにしているつもりだが、工事中の一場面ではどう撮っても醜にしかなり得ないとも言える。それに工事が終わればそれは一時的な仮の姿で、長い歴史の一瞬の変身過程を切り取ったもので、記録の意味合いしかない。だがそれを言えば写真はすべてそうであって、その撮影された一瞬が永遠として記憶される。あるいは想像力の豊かな人は1枚の写真から多くの場面を思い浮かべることが出来るが、それは個人の脳裏に浮かぶ幻影であって、他者にそのまま伝えられることはない。何が言いたいかと言えば、1枚の写真はそこに写るものがすべてでありつつ、見る人によって空想が広がるということだ。ではある場面での多くの写真が存在するとして、その空想は累乗で増えるかと言えば、空想はより現実的なものに近づくが、写真や映像は現実を捉えていながら空想の領域に属する。自分の写真を撮って、「ああこれが今の自分だ」と思っても、すぐにそれは過去になって、空想の中でしか生きない。たとえば嵐山劇場のファサード写真は白黒なので実際の色合いはわからないが、仔細に見ると名部の様子までわかる気がして来る。それは戦後の昭和の映画館を筆者が小さな頃から何軒も見て来たここと、現在も同様の建物として八坂の祇園会館があり、それら舞台のある施設とさほど変わらないと思うからだ。もちろん細部に凝った装飾があれば話は別だが、そういう細部も当時の建物のそれと共通性があるはずで、想像を絶するというものはないだろう。あれば証言者が必ずいて、言葉や写真などの記録に残っている。それで筆者は嵐山劇場の写真が1枚しかないとしても、それで充分で、またゼロとは比べものにならないほど貴重と思う。細部に美の神は宿ると言われるが、細部は変更可能な場合が多く、決定的な美の条件にはなり難いことも確かだ。世の中は無限の細部で出来ているので、人間はある対象の細部よりもまずおおまかな性質を捉えようとする。嵐山劇場のファサードの壁面が肌色に塗られていたとして、それがやがて風雨で汚れ、別の色に塗り替えられたこともあるかもしれない。内部の座席の色も同様で、実際の色がどうであったかは重要でない。細部に執着しないことは精神を正常に保つにはよい。考えてもわからない細部は多い。それらはどうであってもかまわないと思うことだし、たいていの人はそうしている。細部にこだわるあまり、本質を見逃すことを懸念するからだ。何かの拍子で細部に目が行き、その細部が全体を表わしていると思い至ることはあるが、細部から受け取る印象は絶対的な真実とは限らず、そうでないと疑っておく気持ちの保持は必要だ。人間の細部はだいたい醜いもので、筆者は若い女性の太腿の筋肉が飛び跳ねている時に無様に歪み、音を立て、場合によっては臭みを発散していることを想像することがある。
●渡月橋間近の下流堰工事、その2_d0053294_01300739.jpg
 それで若い女性がおじさんを臭いと非難する時、同じほどあんたも臭いことを知っておいたほうがいいよと内心思う。たまたまある人物に初対面で会った際、その人の鼻から一本の毛が覗いていたとする。そこで「ああ、この人は身だしなみに気を遣わず、他人に対してもそうだろう」と思うことはあろうが、その鼻毛はその人の人生一度の迂闊か、あるいは会う直前に洟をかんだことが原因かもしれない。そういうたまたまの幻滅が人との出会いでは生じやすく、それで有名人は一般人となるべく会わないようにする。わずかな何かが致命的な瑕疵に受け止められる可能性が大きいからだ。それは一般人同士でもある。かすかに恋心を抱いていた異性と親しく話をする機会に恵まれたのに、一瞬で幻想が吹き飛ぶ経験は男女ともにあるだろう。その場合、食べ方が気に食わない、しゃべり方が想像とは全然違ったなど、いわばちょっとしたことで全体を知ったと思い込む。それが正しい場合もあるが、そうでない場合もある。気に食わない点があれば、交際する間にお互い矯正して行けばいいのに、そういう悠長あるいは鷹揚な考えを持たない。だが、若者の場合と違って高齢者の矯正は無理で、自分が第一と思っている場合がほとんどだ。そうであっても無視して言葉を交わさないでは時間も気分も無駄にする。たまたま嫌な人物に出会っても、挨拶くらいして嫌な気分を消し去ることだ。話を戻す。いくら鮮明な写真でも、それは現実そのものではない。そのことを知れば不鮮明な白黒写真1枚でも充分で、それを凝視しているとその写真にはない場面、細部が想像出来る。こう書きながら筆者は戦前に冨田渓仙が中ノ島公園から太鼓橋を南に越えて現在の「風風の湯」のある辺りで撮った数枚の写真を思い出している。橋は現在のものとデザインが違い、また桜の木は見えずに雑草が生い茂る。そうであってもそこがどこであるかはわかり、その場所から対岸の自宅を眺めた渓仙の姿も目に浮かぶ。渓仙の話になったついでに書くと、車折神社の社務所の近くに「渓仙桜」がある。幹の太さから初代のそれとは思えないが、その名札があるので渓仙がそこに枝垂れ桜を一本寄進したことは確かだ。渓仙と桜の関係をその絵画から知る人はよほどの美術好きで、同神社を訪れる芸能人ファンはおそらくほとんど知らず、知っても無視してよい細部と思うだろう。世の中のあらゆる物事は細部の集積で、見る人によって全然違った様相を呈する。そこで美の神は細部に宿ることを持ち出すと、逆に醜も細部に宿ることになって、美醜の基準は決定的ではないことになる。それを承知で筆者はなるべく美をモットーにしたいが、平気で屁はするし、今は体のあちこちを醜い吹き出物に悩まされ、美を唱える資格はない気分だ。アンディ・ウォーホルは恋人同士が一夜を過ごした後、朝になってお互い口臭がひどいことを書いた。美に幻滅はつきものということか。
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by uuuzen | 2023-03-12 23:59 | ●駅前の変化
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