「
塹壕を 土嚢囲みで 立ち上げて 工事の戦 用意整い」、「放置して 傷み癒えるは 若さなり 傷みの痛み 治療の報知」、「免役を 信じて自傷 入院し 免疫なくて 天国に入り」、「早い目に 虫歯直すは よきとして 早過ぎて穴 よけいに広げ」
一昨日投稿した嵐山劇場の写真は他にもあるのだろうか。1枚だけとなると希少価値に加えて想像を働かせる必要がある分、ありがたみが大きい。ところで戦後直後に文化人切手がシリーズで発売され、そこに選ばれた著名人はみな写真をもとに凹版の原版が彫られた。紙幣に印刷される肖像も同じで、写真を忠実に再現しつつ、理想化を加味し、より神々しい顔つきになっている。明治の著名人は誰もが自分の肖像写真を写真館で撮ったかと言えばそうとは限らないだろう。文化人切手の肖像は、たとえば正岡子規のように照明の当たり具合が尋常ではなく、その横顔は生々しさを伝えるが、他の文化人切手の肖像とは違って格式ばった正装ではない分、彼の過酷な生涯が象徴されているように思える。他に子規の正面顔の写真がいくらかあるのかもしれず、そのほうが顔つきはよりわかってファンにはありがたいが、子規と言えば、その死期を悟ったかのような横顔の意思の強そうな写真が必ず紹介される。一方、ネット時代になって顔に自信のある人は自分の写真を頻繁に載せ、より思いどおりにするために厚化粧や画像加工を施し、もはや実態不明を証明している。先の文化人切手の肖像のように、これ1枚という決定的な顔写真の提示が印象的でいいのに、衣服を着替えるような気持ちで多くの写真を見せたがる。さて、今日の写真は1月23日に家内と一緒に嵯峨に買い物に行く途中で撮った。最初の写真は桂川の支流の左岸からで、上は下流側、下は上流側で、下の写真の左下隅に青いトロリーバッグが少し覗いている。4,5年前に家内が友人の母親が使っていた新品同様のものをいただいて帰り、去年から筆者が使っている。家内は握力がきわめて乏しく、買い物はほとんどすべて筆者が両手のバッグで持ち帰っていたが、10キロほどになることが多く、プラスティック製の車輪の着いたバッグが便利と気づいて使い始めた。85Mさんの奧さんは頑なにその老人用の買い物袋車を使わないそうだが、とても便利で10キロの荷物でも苦にならない。買い物はこれ以外に手提げバッグを2個持参し、要冷蔵ものとそうでないものとを入れ分ける。どうでもいいことを書いたが、写真を撮った際、たまたまトロリーバッグが写り込み、それは先の子規の顔写真ではないが、たった1枚のものになるはずで、印象深くなる、あるいはさせるのによいと判断した。2枚目の写真は撮影場所を少しずらし、橋脚に焦点を合わせた。左上の搭状の囲いは橋の上から橋脚に上り下りするための梯子だ。現在は工事が済み、これらの仮の姿の写真は貴重と言えるかもしれない。百年ほど経つともっとそうなるか。
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