「
捗らぬ 理由になるか 気力なし 気の養いに 気がかり減らせ」、「知らぬまま 過ぎて困らぬ こと多し 知れば切りなし 謎の広がり」、「極楽に 娯楽なくても 楽あると 言いし落語家 落ちなき語り」、「玉垣に 墨書されたる 名前知る 人もいずれは みな忘れられ」
最近「風風の湯」で家内が85Mさんの奧さんからパソコンの調子がおかしいことを何度か聞かされた。大きな音が鳴って警告画面がよく出るとのことで、そのたびに奧さんはどうすればいいかわからずにスマホで遠方の身内に訊くそうだ。そのデスクトップのパソコンは50万円ほどするそうで、そんなに高いものを使う割に操作について詳しくない。筆者はこれまで一度もそのような警告画面に驚かされたことはなく、筆者でよければ駆けつけると家内を通じて伝えておいた。だが想像するに株の取引や買い物など、身内以外に見られては困ることがあるようだ。それはさておき、筆者はパソコンを新品で買ったことがない。中古ばかりで5000円ほどのものを買う。今使っているデスクトップはたとえばツイッター画面を表示させるのに最低10分、たいていは20分ほど要し、場合によってはいつまでも表示されない。ツイッターの使い勝手がよくわからないこともあってほとんど関心がないが、そのためによりハードルの高そうなフェイスブックやインスタグラムを使ってみたい気が生じたことがない。ついで書いておく。このブログはワードで書いているが、そのワード・ソフトが以前何かのプログラムを消したために、毎回使えるまでにあれこれ操作して最低5分ほど要する。また書いている途中でワード画面全体が消えてしまう場合もよくあり、さらに5分要して立ち上げ、記憶をたどって新たに書き直す。読者には見えない苦労がいろいろとあるのだが、安価なパソコンではまあ仕方がない。快適なパソコンに百万円出してもいいと思ったことがあるが、たぶん使えば快適に思えないことが多々あるだろう。それで不自由を感じながら使うことに納得し、浮いた百万は別のものに使う。今年1年間の筆者の資料代がだいたいそれくらいで、筆者はハードよりも圧倒的にソフトに出費する。話をツイッターに戻す。ツイッターのダイレクトメールをごくたまに使うが、先月末に久しぶりに何気なくその画面を開くと、見知らぬ3人から届いていることを知った。ひとりは若い女性の劇団員で2021年12月の送信、もうひとりは新聞記者で去年8月、残るひとりはアメリカのミュージシャンで2020年9月に届いている。このアメリカ人は不審な点はなさそうだが、フォロワー獲得を目当てにしているようなので承認ボタンを押していない。前二者には即座に返事を出し、長い間待たせたことを詫びた。それほどに筆者はツイッターの使い方に長けていない。そういう老人は85Mさんの奧さんがパソコン操作に疎いことを笑えない。
今日の本題は前述の劇団員の女性から届いたダイレクトメールとその後の何度かのやり取りについてだ。彼女のツイッターは鍵つきでフォロワーしか見られない。最初に届いた内容は、筆者がブログに嵐山劇場について書いたことに対する感謝だ。彼女の祖母の父親が同劇場を経営していたとのことで、その血筋で彼女は劇団員になったのかもしれない。筆者が家内と散歩がてらによく行く嵯峨のスーパーは6軒あって、たいてい4軒梯子する。2時間のその散歩は家内の肺の調子をよくし、運動不足の筆者にもよい。週に一度は訪れる車折神社の北すぐのスーパーに行くたびに筆者は嵐山劇場がその付近のどこにあったかを想像していた。今日の最初の写真右の昭和6年の25000分の1の地図によれば、同駅の線路北側の田畑の中、西に大きな建物が記され、そこだろうと思って来た。地図には駅の東口の北にも建物が記され、それが嵐山劇場であることを彼女のダイレクトメールで教えられた。今日の最初の写真の左は、彼女がある本から撮った嵐山劇場の正面画像を見やすいように筆者が加工したものだ。2枚目の画像の地図もそうで、これは昭和6年頃のものだろう。嵐山劇場は25000分の1の地図と違って南北に細長い。ということは、正面玄関が北か南にあったことになる。南は線路ぎりぎりで、たぶん玄関は北側にあった。ファサード両脇に前庭の柵のようなものが写っている。建物の北は田畑を貫いて東西に一直線の道路が昭和一桁時代に造られ、「昭和通り」と呼ばれる。その道の北端か、さらに北の畑から撮った写真だろう。2枚目の画像の地図では最下段の太い赤線が三条通りで、昭和初期にはその両脇にしかほとんど建物がなかった。昭和通りが出来て嵐山劇場が建てられ、今はどこにも田畑はない。ついでに書いておくと、最初の地図の下方の水色を塗った場所は現在の嵯峨美大で、昔は大きな池であった。2枚目の地図の上方の緑色の丸が筆者と家内がよく行くスーパーで、Aが嵐山劇場、Bは車折神社の南の鳥居、Cは北の鳥居で、細い赤線は筆者がスーパー通いでよく利用する道だが、神社の境内を南から北に抜ける場合と、境内西側の南北の道を利用する頻度はだいたい同じだ。これもついでに記しておいたが、嵐山劇場の場所から嵐電の線路を挟んで南東角に一軒家がある。「風風の湯」の常連のFさんによれば、そこが女優の嵯峨美智子の家であったらしい。彼女は昭和10年の生まれであるので、嵐山劇場の存在は知っていたことになる。芸能の神様の車折神社のすぐ北に劇場があって映画や演劇が行なわれていたことは理にかなっていた。しかし現在とは比較にならないほどに人口は少なく、経営は難しかったろう。一方、車折神社は毎日若者が大いに訪れ、嵯峨の人気スポットになっている。2万円ほどで名前を書いてもらえる赤い玉垣は確か7000本あるそうで、大繁盛の神社だ。
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