「
篠の山 地震起きれば 逃げ込めと 根深きことは 自信揺るがぬ」、「恒例の 化粧と思えば よき工事 舗装を剥がし 河石を積み」、「仕上げても 一日持たぬ 化粧でも きれいに見せる 思い美し」、「きれいさに 人は気づきて 気持ちよし その反対も 言うまでもなし」
今日の写真は昨日の投稿と同じく去年12月27日の撮影。桂川右岸の中ノ島公園から渡月橋下流に向けて重機が上り下り出来る道が造られ、右岸側の半分の堰の崩れを築造する工事が始まった。ユンボで掘り返しているのは、堰の蛇籠が水の流れで破壊されて移動した石を集めているようだ。自然相手で、崩れては積むを繰り返すことは仕方がない。冒頭の短歌のようにそれを女性の化粧と似たものと思えばよい。朝に完璧に化粧しても夕方にはわずかな剥がれが出て来る。生とはそのように破壊と修復の繰り返しで、修復を怠ると破壊が一気に進む。男は化粧せずに済むから楽という考えもあるが、毎日歯磨きをして顔や手足を洗わねば臭さが漂うし、自分でも気持ち悪い。それをそう感じなくなるのは精神のどこかに異常を来している。だが、公共土木工事はみんなの税金を使うから、最も効率よく工事を行なう義務がある。毎年のように渡月橋のすぐ下流の堰の幾分かが壊れるとして、その度合いを最少に出来ないか。当然そのことを淀川工事事務所は考えている。以前はもっと下流に堰があって、この堰のある場所にはよく土砂が堆積した。川幅の中央に中州を形成し、そこに葦などの雑草が生い茂った。渡月橋はTVドラマでよくロケに使われるので、昔のドラマの再放送でその中州に緑が生い茂る様子を見ることがある。当時の人はそのことをさほど醜いと思わなかったのであろう。ところが10年前の大型台風に伴う川の氾濫によってその中州も含めて桂川がひどい状態になった。その後に堰を現在のように渡月橋のすぐ下流に移動する工事がなされ、淀川工事事務所の考えのとおりに中州は形成されなくなった。ところが欠点と言っていいのかどうか、堰を流れ落ちる水の音がとても大きく聞こえるようになった。水量がわずかな時でもそうで、また水嵩が増すと前述のように積み上げた大きな石が流される。その流される度合いを少しでも減らすにはどうすべきか。それを毎年データを取るなどして試行錯誤しているだろう。女性が化粧品の使い勝手が思いどおりにならなければ別のメーカーのものを試すのと同じで、そのようにして最も使い勝手のいいものを見つけて行く。河川に関わる物事は年単位で見る必要がある。そして数十年に一度単位の大雨が降ればその微調整は徹底的に破壊されるだろうが、それはそれで仕方がない。地図を見ればわかるが、渡月橋はすぐ上流が川幅が大きいのに、渡月橋付近で急にしぼんでいる。豪雨で厄介なことが起こりやすいのだ。これが有名な景勝地でなければとっくに渡月橋は長さが延長され、中ノ島全体は取り除かれ、川幅が一定にされている。
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