「
酪農家 牛に楽させ 乳増やし この世はすべて 生き物相手」、「無視せずに 虫の知らせを 聞く努力 腹が減っての 音で誰しも」、「災害を 避け得ぬと知り 害減らす もしもの時の 備え増やして」、「1階に 濡れてよきもの 置かぬこと 知りつつまさか 浸水なきと」
昨日の投稿の3枚目の写真の左端の電柱に、津波避難場所として湊川公園に走ることを促す注意書きが巻かれている。標高が高い場所に走れということだ。阪神淡路大震災以降、災害に対して市民に視覚で訴える注意が増え、同じことは他府県でも実施されているようだ。今日の写真は去年9月下旬に見かけて撮った。わが家から直線で100メートルほど、駅前ホテル「花伝抄」の少し西のマンションの前の電柱に当時巻かれた。もちろん地震の津波ではなく、豪雨ですぐ近くの桂川の右岸堤防が決壊した場合の洪水の高さだ。10年もっと前からハザードマップで同様のことは告知されているが、それをまともに見る人は少ない。もっと東の桂川の堤防付近ではこの1.3メートルの数値は倍ほどになっている。わが家はだいたい2メートル浸かるので、なるべく大切なものは2,3階に上げているが、部屋数が少ないので限度がある。生きている間に運よくそのような豪雨がない可能性が大と漠然と信じてはいるが、10日前のトルコ、シリアでの巨大地震のニュース映像を見て戦慄を覚え、いつどのような災害や事故に遭うかわからないことを思う。ただしその地震では耐震設計を疎かにしたために建物が一瞬で崩れた可能性が大きい。つまり人災でもある。何となくよくないと市民が思っていることはそのとおりの結果になりやすい。それで君子は危うきに近寄らずとの名言があるが、街を歩いても家にいても災害や事件に巻き込まれ、なるようにしかならないと思いながら生きるしかない。南海トラフの大地震は京都に住んでいるとぴんと来ないが、震度5強にはなる。それがどの程度の被害をもたらすか想像がつかない。それにたまには大阪に出る筆者は、たとえば地下街を歩いている時に南海トラフ地震が生じる可能性もある。人間は無事に生きて行くだけで奇跡と思うべきで、有名になるとか大金持ちになるとか、贅沢なことは考えないことだ。長く生きても何が真理であるかは相変わらず漠然としている。それで何となく生きてそのことに満足しているが、その思いも後期高齢者になればどうなるかわかったものではない。高齢者が運動して元気でいるのはいいが、認知症になれば徘徊することになる。そして80歳を過ぎて近くの山で3か月後に死体で発見される。本人にすれば大津波が来ても安全なようにと山登りをしたかもしれない。筆者が住む地域は桂川に近ければ2メートル以上の洪水に見舞われ、山手では土砂崩れに巻き込まれる。筆者は洪水がましと思うが、2メートルの浸水ではTVもステレオも、台所やそれに大切に集めた伏見人形もみな駄目になる。
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