「
冊子には なき利便さの 巻子でも 分けてまとめる ことは変わらぬ」、「切り枝を 節目目安に 切り揃え 束ねも均し ゴミ処分待つ」、「ひとりごと 短歌に込めて 啖呵切る 言わずにおれぬ いきり生きれば」、「古きもの 切れ切れにされ 街道も 今が大事と 赤子見て知る」

昨日の続き。2日に分けて書くつもりでいたが、今日1日でまとめる。また12月2日に見た別の展覧会については後日書く。昨日掲げた地図のJ地点は大きな交差点で、その南東角に七宮神社があることを「ひょうごはじまり館」の展示で知った。ブログのネタのためにはその神社に立ち寄るべきで、地図のI地点に立った時、眼前の阪神高速によって西国街道が切断され、信号がないので直進出来ないことを知った時もさほど落胆しなかった。Jの少し手前に交番があり、その奧が七宮神社で、交差点に面して石の玉垣が大きな曲線を描いている。これは阪神高速と大通りの交差点に面するようになったことの改築だろう。その玉垣の半分ほどの上に巨大な広告看板が時に階建てでびっしりと並び、野球場の外野を思わせた。これらの看板に混じって「七宮神社」と記す同じサイズの1枚の看板もあったが、どこかの企業が寄付したものだ。看板の下で家内を交差点に待たせ、筆者は小走りで神社の境内に入り、今日の最初の上下の写真を撮った。せせこましい境内は半分ほどが駐車場で、鳥居や鉄筋コンクリートの社務所は新しく、目ぼしいものがない。参拝客によるお金だけでは経営は苦しく、看板設置の費用や駐車場代を中心に経費を賄っているのだろう。これらの看板は阪神高速を走る車からは見えないはずで、交差点を往来する人や車に見せるためのもので、地域の大きな目印にはなっている。ネットで調べると、戦災で寺宝を初め、何もかも失い、その後に再建された。「七宮」と聞くと神戸の「三宮」を連想し、三宮神社と関係があるかと思うと、生田神社を囲むように点在する八つの神社のうちのひとつで、「七宮」は主祭神の大己貴命は大国主命を初め全部で七つの名前を持っていることによる。写真を撮った後、筆者は交差点の向こうにわたるのに目の前の横断歩道橋しかないと思い、家内と一緒にそれを上がった。ところが筆者が目指す方向に延びておらず、すぐにまた反対側の階段を下りた。するとそこは交差点の信号待ち地点で、歩道橋の上り下りは全くの無駄骨であることに気づき、家内にいつものごとく呆れられた。歩道橋に上らず、そのままその下の神社の玉垣沿いを少し進めば信号待ちの場所に着いたからだ。まあそれでもせっかくの大がかりな歩道橋の一部を利用したからにはそれもいい経験と思うことにする。何事も無駄と考えればそうなるしかない。したがって行為を無駄と考えないことだ。それが人生を楽しむ秘訣と大げさに言うと、家内はまた呆れ果て、さっさと次の目的地に行こうと急かす。

次に昨日の地図のJからKまでに経験したことについて書く。地図にはアルファベットを記さなかったが、海老茶色の線と黄色の西国街道の交点の南角で撮ったのが今日の2,3枚目の写真だ。そこは西国街道の「湊口惣門跡」で、「湊八幡神社」があった。境内には入らなかった。3枚目の写真に家内が同神社の説明書きの看板を読んでいる姿を写し込んだが、筆者は帰宅してからネットで調べればいいと思って写真を撮ってすぐに家内を新開地駅を目指した。同神社からの北方の西国街道は駅前から延びる大きな道路を斜めに横切る必要がある。信号はあったが、青になるのを待って北側に向かうつもりはなく、次の機会に回すことにした。西国街道はその大通りを越えた後、今度はJRの高架下をくぐる。ネットで印刷した地図の範囲から外れていたからでもあるが、一方でだいたいその先がどこに続くかは想像がついた。湊川神社に行ったことがあることと、元町商店街の西端まで一度だけ歩いたことがあるからだ。つまりそれらの点を結ぶ形で西国街道の三宮以西の残りは踏破出来る。話を戻して、写真を撮り終わって駅に向かうにも地図も土地勘もない。筆者らの20メートルほど前方に60歳くらいの男性がわずかに足を不自由にして歩いていた。JRの高架下をくぐっての信号待ちでその人に追い着き、そして新開地駅はどこかと訊ねた。すると三つ先の信号で300メートルほどとのこと。よかった。方向は合っていた。七宮神社の交差点から続く大通りで、中央に緑地公園がずっと続く。ちょうど昼時で、4,5人の作業服の男性がその芝生で弁当を広げていた。昔から目撃するたびに撮影している球状の置石を見つけ、その写真を撮っている間に男性は先に歩き去った。信号をふたつ過ぎた頃、背後から自転車に乗った小学生ふたりが追い越した。貧しい身なりで、パキスタンかバングラデシュ人だろう。すぐ後に姉か若い母親らしき女性が小走りでやって来た。筆者らと目が遭い、子どもたちの後を追った。その女性は近くに住んでいるのだろう。日差しは暖かいものの、12月の真冬に彼女だけが素足で安物のサンダルを履いていた。彼らが新開地駅のすぐ近くの交差点で信号待ちをしている時に筆者らは追い着いた。彼らははしゃぎながら左手に去り、筆者はそれを後目に地下の駅に降りた。彼らの姿から多国籍国家になりつつある日本を実感したが、暮らしぶりを想像すると暗い気分になる。『一遍上人絵伝』に描かれる乞食たちは今では形を変えて目立たない。食べることにはどうにか困らずとも、それが満足というには遠い人々が増えている。信仰が形骸化した日本で慈悲の心をどのように子どもたちに育むか。食べられないのであれば、人間は何でもする。それどころか、むしろ今は充分に食べられる者が贅沢に憧れて悪事を働く。何のために有名大学を出たのやら、地獄に直行するろくでなしがメディアで顔を売る。

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