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●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その35
磨には 限りはなしと 見定めつ 常に尽くすは 最良努力」、「北枕 西向きに見る 大蘇鉄 一遍の意思 映して強し」、「信じたき ことは金のみ 無明人 水も空気も 特別を買い」、「大木を 知る人知らぬ 大人を 形同じも 中身は違い」
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その35_d0053294_19244852.jpg
昨日の最初の写真の真光寺の門から西奧の本殿が見える。今日の最初の写真はその本殿前のやや南側の蘇鉄だ。屋根に届きそうな大きさで、樹齢の見当がつかない。これほど背の高い蘇鉄は初めて見た。一遍上人が真光寺の前身である光明福寺で臨終の病に伏した時、北に頭を向け、西を向いたと言われている。この大蘇鉄は一遍が同寺で死んだ時にはなかったはずだが、一遍が最期に見つめた方向にこれが植えられたことは蘇鉄好きには気持ちがよい。『一遍上人絵伝』には一遍が観音堂で最後の説法を開いた場面の絵があるが、『同絵伝』からは当時の光明福寺には観音堂以外に二、三の建物があったことがわかる。真光寺は一遍の弟子たちが開き、現在の同寺を入ってすぐ北側の観音堂は、一遍時代にそれがあった場所にほとんど同じ形で造り続けられて来たものに思える。そんなことを想像しながらこの寺の境内にいると、筆者らが訪れた時は人の姿を全く見なかったこともあって、800年前も同じ天気の日があり、同じ空気が流れていたと思えば、一遍や当時の人々が生々しく感じられる気がよぎった。昨日書き忘れたが、『同絵伝』には一遍が刀に手をかけた武士と対峙する緊張をはらむ場面がある。その男の母が一遍と出会って剃髪し、入信したことに対する怒りから男は家来を連れて一遍を馬で追ったのだが、備前の藤井にその男の家族は住み、一遍に追いついたのが西に5,6キロの「福岡の市」で、そこに至るまでに一遍の一行が西国街道を歩いたことは確実視してよい。そのことはグーグルのマップで藤井の区域を表示させると、西国街道が東西に走っているからで、一遍は日本各地の街道を歩きながら、岡山や兵庫、大坂では西国街道を歩いたとみなしてよい。さて、12月2日に筆者らが西国街道の続きを歩くために真光寺の門の前の古湊線を北上すると、100メートルほど先に地元の児童による長い壁画があった。「津の道大壁画」と称され、中でもビルの壁面の特大の絵には「高田屋嘉兵衛」の文字と商人の座像が描かれていた。今グーグルのストリートヴューで確認すると、その特大壁画のすぐ南のブロック塀の壁画には、清盛塚の隣りに前述の一遍と武士が対峙する場面が選ばれて描かれている。子どもたちにとってもそれは印象的な場面なのだろう。また伊藤博文は描かれず、地元では重視されていないのかもしれない。高田屋は淡路島出身で、北前船で財を成し、新川運河や兵庫運河の開削工事を手がける人物らを輩出するきっかけを作った。清盛や一遍、博文よりも、兵庫県出身で地元に大きな利益をもたらした高田屋が町中の壁画で最大の賛辞を受ける形で描かれるのは当然だろう。
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その35_d0053294_19275622.jpg 大壁画の100メートルほど北に大きな交差点がある。その東西の道は「会下山線」と呼ばれ、地図を見ると西に行くと阪神高速を越えてすぐのところで柳原蛭子神社のY字路の南側の道路に連なる。グーグルのストリートヴューを見ていて気づいたのが今日の2枚目の写真だ。阪神高速の少し南に「柳原天神社」があり、その境内に隣接して北側に時宗の「満福寺」がある。ビルのようで2階に本堂があるのだろう。そこに至る鉄の階段に名前を記す札が数枚取りつけられ、その階段によって真光寺のものと大差ない蘇鉄は窮屈になっている。形はよく似ていて、同じ時期に植えられたものか、真光寺にあったものを株分けしたかもしれない。西国街道歩きに戻ると、大きな交差点で筆者は会下山線を東に歩き、7日の投稿に載せた地図のDH間の黄色で記した西国街道を歩かなかった。それは公園の東側の南北の道が西国街道で、その公園を地図で目安にしながら先を急いだこともひとつの理由だ。7日の地図のHから上に延びる赤い線の上端辺りにある喫茶店の手前で蘇鉄に遭遇した。その写真を投稿用に加工も済ませておいたのに、誤って消したようだ。それでグーグルのストリートヴューからなるべく同じ角度の写真を得て今日の3枚目とするが、歩道上から蘇鉄をなるべく主役した筆者の写真とではかなり違う。左奧に阪神高速の橋脚が見える。その国道2号線が地上を通っていた頃なら、おそらく信号があったと想像する。今は大きく迂回せねば阪神高速の向こう側に行くことは出来ず、西国街道は分断されている。一遍が現代に生きていれば遊行は車を利用したであろうか。清貧を旨とすればそれはあり得ないが、誰しも自家用車を持ち、効率よく広範囲を動き回る現代では一遍の念仏踊りもいっぺん聞けば充分とばかりにそっぽを向く人が大多数だろう。案外一遍時代も金持ちはそうであったかもしれない。貧乏暇なしと言われるが、金持ちほど多忙に過ごしたいのではないか。『一遍上人絵伝』に頻繁に登場する乞食は、貧しい人が多いゆえに一遍の存在がありがたがれたことを意味するだろう。現代の乞食はホームレスと呼ばれ、餓死しないほどに食料にありつける。となると一遍のような人物は不要とされる。あるいはホームレスの世話をする人々が現代の一遍の一種と言ってもよいが、仏教系の人々とは限らない。それにキリスト教はアメリカでもホームレスの世話をよくするが、日本の仏教の僧侶はその数に比べればごくごくわずかが同じ慈善を実行しているに過ぎないだろう。一遍が寺を持たなかった理由は寺に住んで安逸を貪る僧侶が多かったことへの批判もあるのではないか。時代がずっと下がった江戸時代半ば、売茶翁は僧侶の十中八九は立派な伽藍に住んで仏教本来のことを忘れていると書いた。その頃からさらに三百年ほど経った現在、どの分野でも十にひとりかふたりがまともであればよしと思うしかない。
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その35_d0053294_19283089.jpg

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by uuuzen | 2023-02-13 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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