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●「一遍の 念仏踊り 一変し 馬に念仏 鹿もしかりと」
母菌 聞けばどきりの 乞う募金 金貯まりても 腐りはせぬぞ」、「たまさかに 一遍没す 寺を知る 墓に詣でて 絵巻まざまざ」、「一遍の 後追う僧の 入水の図 吾忘れ得ず 生を凝視す」、「目の前に 聖人いても 気づかずに 無邪気に遊ぶ 成人子ども」
●「一遍の 念仏踊り 一変し 馬に念仏 鹿もしかりと」_d0053294_02573222.jpg
今日は7日の投稿に載せた地図のG地点の真光寺に立ち寄ったことを書く。往路では能福寺側の歩道を南下し、途中の信号で東側に移った。そして琵琶塚のある住吉神社のすぐ際を通ることになったが、その少し前に視線を反対側の東にやると、能福寺よりもだだっ広い境内の寺が目に入り、京都で言う寺町通りかと思った。「ひょうごはじまり館」では兵庫区の西国街道についての説明が目立ち、ネットで印刷した地図を持参していた筆者は予想していなかった神社に復路で立ち寄ることを決めた。そのことが7日の地図で言えば西国街道のDH間を歩かないことの原因になったが、そのことは後日書くとして今日は人影が皆無であった真光寺で撮った写真を使いながら書く。「ひょうごはじまり館」で同寺が一遍の終焉の地であることを知った。筆者には思いもよらぬ衝撃的な幸運であった。一遍についてはほとんどの人がそうだと思うが、筆者は国宝『一遍上人絵伝』で生涯を知った。そして彼の行動や人柄に強烈な印象を抱いた。筆者がその絵巻を見たのは二度で、もちろん博物館に展示可能なごく一部であったが、それでもその美しい色合いは人生に何度も出会えないほどの愉悦を覚えさせ、筆者は図書館でその絵巻をカラー印刷した本を手に取ったり、また借りて来てしばらく手元に置いたりしたものだ。今は手元にその本があるが、それとは別に一遍関連の本は2冊ある。筆者が同絵巻で感銘を埋めた場面は多い。特に不思議であったのは最後の場面だ。一遍が死ぬと一遍に付き従っていた僧が数名、和田岬の海に入水自殺する。それを引き留めようとする人も描かれるが、2,3人はすでに海中にあって両手を合わせて念仏を唱えている。その海辺が兵庫津であることを筆者は記憶していなかった。もっと東の明石や加古川辺りかと勝手に思い込んでいたが、それは筆者には明石も加古川も同じようにほとんど縁のない場所であるからで、和田岬もそこに含まれる。ところが今回初めて兵庫区の海辺に行く機会が出来て、筆者は全く予想しなかった一遍が息を引き取った寺の前の道を往復することになった。一遍や『一遍上人絵伝』についてそれなりに関心が強かった昔の記憶が一気に蘇り、その幸運を去年12月2日以降、その日のことを思い出すたびに噛みしめている。幸運とあえて書くのは、筆者がかつて感心を抱いたにもかかわらず、それきりになっている事柄が、にわかに縁があって現実として眼前に繰り広げられることの人生の妙味を思うからだ。筆者は必要な事柄に必ず出会うように導かれていることを信ずる。もちろんその最大は人との出会いだ。
●「一遍の 念仏踊り 一変し 馬に念仏 鹿もしかりと」_d0053294_02574849.jpg 国宝に全く興味のない人はいる。そういう人のほうがはるかに多い。たぶん1000人中998人はそうだ。そうであれば『一遍上人絵伝』を見たことのない人はもっと多く、見てもすぐに忘れる人はさらに多い。となれば筆者のこの文章を興味深く読む人はたぶんひとりかふたりだが、そんなことはどうでもよい。先の話の続きを書くと、一遍が死んだ後、悲しみのあまり後追い自殺した僧がいたことは事実だ。『同絵伝』は一遍没後10年ほどして描かれ、一遍の記憶はまだ生々しかった。そのため絵巻に何度も登場する一遍の容貌は実際のそれをかなり忠実に写していると考えてよい。『同絵伝』の最後の場面は、五輪塔の墓が建てられ、そのそばに等身大の一遍の念仏を唱えて歩み出しそうな、つまり迫真的な彫像が祠の内部に祀られている図だ。その彫像は現在の真光寺にはないと思う。ほとんど同じものが一遍の生まれ故郷の寺にあったが、近年火事で焼失した。惜しいことだが、正面から撮った写真があるのでほとんど同じものは復元出来るだろう。五輪塔の墓は現在も同じ場所にあって、今日の3枚目の写真がそれだ。阪神大震災で倒れ、出て来た骨壺の中に灰があったとのことで、それが一遍のものであることは間違いないとされる。今から800年ほど前の鎌倉時代で、兵庫津界隈では最澄、清盛の次に歴史上の大物として一遍がいる。だが初代知事の伊藤博文よりかは兵庫県にはあまり関係がないと関係者は思っているのかもしれない。京都の例もあって、行政が仏教に絡むのはなるべく避けたいかと穿ったことを考えもするが、一遍を教祖とする時宗というのも今ひとつ捉えどころがない気がし、その辺りのことを調べると何か興味深いことがわかるかもしれない。ともかく一遍は自分一代限りの遊行僧と思い、死ぬ間際に所持物をほとんど燃やしたが、一緒に遊行した弟子の僧侶たちが一遍の思いを伝えるために時宗を創立した。それは理解出来る。時宗はもちろん真光寺のみではなく、京都にもある。不思議なのは、一遍が日本各地で仲間の僧侶と繰り広げた念仏踊りが一遍亡き後、時宗で伝えられて来ているのかどうかだが、そういう話は聞かない。それで『同絵伝』に何度も描かれる一遍を初めとする遊行僧たちが、仮設の小屋のようなところでせせこましく輪になって鉦を鳴らしながら南無阿弥陀仏を唱えて踊ることはよくわかるが、その際のリズムや音色がわからない。800年も経てば伝わらないほうが自然かもしれない。しかし当時行く先々で評判になった念仏踊りであるので、時宗の僧侶や民衆の間に伝わっていないほうがおかしい気もする。筆者はそのことが長年気になっているが、民衆の人気をさらった踊りであれば昭和の半ばに大いに流行した盆踊りやその後のディスコ・ブームを連想することは自然であろう。そして前者よりも後者に近い激しさであったと想像する。
●「一遍の 念仏踊り 一変し 馬に念仏 鹿もしかりと」_d0053294_02581114.jpg
 踊り狂うことの恍惚感は人類普遍のことだ。800年の間に本質的に変わったことがあるかと言えば、一遍が民衆に配布した「南無阿弥陀仏」と書いたお札に象徴されるように、仏教に対する信仰心だ。ディスコにはそれは絶無で、またそうであっても踊り狂うことで得られる快感は同じものだろう。一遍の一行は出家した男女の僧が10人から20人であったとされ、彼らは人が多く集まる場所に行けばしばらく逗留して念仏踊りをする。その様子はロック・バンドのツアーになぞらえられる。その意味から一遍の念仏踊りは興行の始祖とされる。ただし一遍は金儲けが目当てではなく、最低限食べられるだけの喜捨はされても金を握ることはなかった。『同絵伝』では一遍がお札を子どもたちを含めて人々に配る場面が何度か描かれる。その配布枚数は60万の何倍かとされ、それだけたくさん配ったからには1枚くらいは残っているかと思うと、その現物が展覧会に出たことはないはずだ。また『同絵伝』では一遍が筆を持って揮毫する場面もあり、一遍の書が伝わっていてもよさそうなのに、それも聞かない。結局一遍のことは『同絵伝』で知るしかなく、よくぞそれが描かれたと思う。筆者は日本の絵巻では最高傑作と思っているが、それを描かせたのは当時の公卿で、絵巻の言葉の部分はいかにも公卿の書体で4人の合作になっている。絵を担当した絵師は絵巻の詞書の図解に努めつつ、それに終わっていないのは言うまでもなく、鎌倉中期の人々の暮らしがよくわかる。ついでに書いておくと、『同絵伝』をざっと見ながらおそらく誰もが乞食の描写に注目するはずだ。彼らの姿が必ずどの巻にも登場し、時には邪魔者扱いされて追い立てられる。なぜ乞食をそれほど執拗にあらゆる場面の片隅に登場させたのだろう。それほど貧しい人々が多かった現実があるとして、一遍はそうした人々も極楽に往生出来ることを説いたのだろう。選民も賤民も同じ人間で、『同絵伝』を描かせた公卿がそこまで思っていたとすれば、またそうであったに違いないが、そういう思想が一遍の生涯を絵巻に留め、後世に伝えようとし、そして現代において国宝指定させた。一遍は50歳ほどで没するが、『同絵伝』からは桁違いに魅力のあった人物であることが伝わる。ヨーロッパで言えば聖フランチェスコなど、有名なキリスト教の聖人に比肩し、また存命中から有名であった。現在の日本の有名人や著名人はみな死ねばほとんど即座に忘れ去られるが、一遍の墓は今も同じ場所にあり、『同絵伝』を生で見る人はその美に惚れ込み、一遍の魅力を瞬時に悟る。『同絵伝』は日本各地の名所を描き、京都では四条大橋、四条京極、そして桂川の場面がある。どれも筆者には馴染みで、特に桂川は一遍の時代と現代とではさほど変化はなく、一遍らがどこを歩き、どこで踊ったかとあれこれ思うことが楽しい。悪人でさえ惚れた一遍、現代の日本から登場するか。
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by uuuzen | 2023-02-12 23:59 | ●新・嵐山だより
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