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●「大輪田の 橋の柱の オベリスク ひいふうみいの かたつむり這い」
むほどに 聴きし音楽 忘れ去り 楽しき思い かすかに残り」、「夢中とは なるほど忘我 身に覚え 夢から覚めて 首をひねりて」、「こつこつと 作り上げたる 人生を 瞬時に壊す 老いの緩み」、「ゆるキャラの ブームもたらす 弛緩の世 可愛さの奧 エログロ透けし」
●「大輪田の 橋の柱の オベリスク ひいふうみいの かたつむり這い」_d0053294_23400418.jpg
昨日の続き。住吉神社の大鳥居前の東に大輪田橋がある。今日の写真はその東側の欄干の親柱で、注目した点がふたつある。まず筆者が撮った左の写真からわずかにわかるが、地面に邪魔にならないように親柱の根元に同様の破損した石材が2個横たえられている。帰宅後にグーグルのストリートヴューで確認すると、橋の東西上流下流の計4か所あるはずのこのオベリスク風の柱がこの写真の上流の東側にしかない。横たえられているのは阪神大震災で倒壊したものではないか。元の場所に戻すにも、破損が甚だしければ現実的ではない。倒れれば運河か道路に落ちるが、運河では探すのは難しく、道路側に落ちたものを上流東側の欄干沿いに置いたのだろう。砕石にするのは忍びないが、苦心して復旧しても無様になるだろう。もうひとつ注目したのはブロンズ製のかたつむりが三匹側面に埋め込まれ、上に向かって這っていることだ。右の写真はストリートヴューから取った。「大正十三年六月竣工」の文字が彫られていて、当時のデザイナーの着想が面白い。他の3本にも同様のデザインが施されていたはずだが、地面に横たわるものにはそれはなさそうだ。大輪田橋は竣工時はもっと幅が狭かったであろう。欄干はそのままで幅のみ広げることは京都の岡崎にも例がある。写真奧に新川運河にある水門が小さく見える。橋の上からは何を意味するのかわからない漫画キャラクターがかなり大きく見えて圧倒される。無地では味気ないが、こういう漫画もふざけ過ぎだ。今日の2枚目の画像はネットから取った。左が明治43年の測量によるもの、右が現在で、大輪田橋付近の海岸線が大きく変わり、角張った陸地は埋め立てによる。明治43年以降も掘られ、開削で出た土砂を埋め立てに使い、それで海岸線が変わった。右の地図の南東角の赤で塗った苅藻島はそうして出来たもので、戦後の高度成長期に盛んに六甲の山を削って海に運んで人工の島を造ったことの先駆けだ。新川と兵庫のふたつの運河によって住吉神社のすぐ東にある大輪田橋を東にわたった陸地すなわち現在の中央卸売市場のある地域は島となった。その島と結ぶのが大輪田橋だ。運河を利用すれば漁船は和田岬をぐるりと回る必要がなくなり、海運が盛んになった。運河は戦後貯木場として使われ、現在はそれもなくなってさして使い道がない。埋め立てた土地は物流の倉庫などに使うのは最適で、平地の少ない神戸が埋め立てに熱心であることは理解出来るが、土地があまっているように思う。大阪も同じで、それで埋め立て地で万博を開き、後にカジノだ。埋め立てはギャンブルということだ。
●「大輪田の 橋の柱の オベリスク ひいふうみいの かたつむり這い」_d0053294_23402237.jpg

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by uuuzen | 2023-02-09 23:59 | ●新・嵐山だより
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