「
拠りどころ なきと思いつ 命惜し 今を凌げば 明日は来るかと」、「小さくも 命あるもの 愛しけれ 梅の小枝に 餌待つ雀」、「この先に 何があるかと 知らぬ道 よきことあると 信じて歩み」、「脇道に 幼児連れた 母入りて 昔の吾を 重ねて拝み」
去年12月2日の西国街道歩きの続き。3日前に掲げた地図のCすなわち柳原蛭子神社の北側の西国街道を東に進んだ。5年前にその神社の先の道が気になったので、5年ぶりにそこを歩けるとの思いで、おおげさに言えば心が躍った。それに5年前の筆者はまさか同神社を再訪することがあるとは思わず、その先の道を行く機会がないことを何となくさびしく思った。それでなおさら当日の本番は同神社の境内を出てからという気がした。歩いた道筋を記した2枚目の地図は明日にでも投稿するとして、今日の最初の写真「上」は同神社の西端にある「西惣門跡」の石碑だ。同神社のホームページによれば近年発掘が行なわれ、惣門があったことを示すさまざまな物が出土した。もう少し西のJR高架下付近が惣門のあった場所らしいが、西国街道の兵庫の要所にこの神社があった。柳原の地名は大きな柳の木があったためで、また250年ほど前から明治までは家屋は70数軒とされ、柳原の「原」の印象が強かったのだろう。神社のすぐ東、すなわち最初の写真「下」からわかるように現在は家が建て込んでいるが、その先に見える阪神高速の高架を超えるとだだっ広さが一気に増す。茨木市内もだが、このような高架の幹線道路は街の印象を著しく殺風景にする。河川もその両岸で土地のたたずまいを分けるが、眺望はよい。道路や鉄道の高架は両側の地域を分断しながらしかも大いに目障りだ。それに騒音も発する。それでなるべく多くの人の迷惑にならない場所が選ばれるが、筆者はそれらが間近に見える場所に住みたくはない。大型マンションも嫌で、自然から隔絶された監獄暮らしに思える。高級マンションほどそうだ。プライヴァシーが厳重に守られることは独房暮らしに近い。2枚目の写真は最初の写真「下」の高架下の信号をくぐってすぐの東向きで、同じ場所から振り返っての写真も撮ったが、あまりに味気ないので使わない。その意味ではこの写真もさして変わらないものの、まだ人影があって暮らしぶりが感じられる。とはいえJR兵庫駅付近と比べると殺風景さはひとしおで、昔は田畑が広がっていたのだろう。地図を見ると阪神高速のすぐ東は「東柳原町」とあるが、その少し先は「逆瀬川町」や「磯之町」で、名前から海辺であることをうかがわせる。神戸は山から海まではすぐで、どちらにも観光客が喜ぶものは多い。ところが兵庫区の海辺は筆者には無縁で、これまで一度も歩いたことがない。メリケン波止場のある辺りと違って観光によい場所がないからだ。そのことを神戸市や兵庫県はよく自覚しているだろう。それで西国街道を観光の名所として宣伝して行く機運にある。
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