「
幇間の 座の盛り上げに 技を見つ わざとらしさの 混じり悲しき」、「賑わいの なき神社にも 人の意思 掃いて清めて 落ち着き保ち」、「街道に 賑わいありて 神社あり 鳥居の前で 無事を自覚し」、「何事も みな過ぎ去ると 言われしが みな思い出す ことも正しき」
今日の最初の写真については昨日触れた。その灌木のすぐ東に大きな交差点があり、それを越えてそのまま東に進むのが西国街道で、そのことは昨日の地図の右端の黄色の線で示した。そこを歩くべきであるのに、筆者はJR兵庫駅構内に入って南の通りに出た。そこが地図のB地点で、Cに至るまでに今日の2枚目の写真を撮った。「上」の写真を撮りながら筆者は地図を確認して西国街道が西国街道が線路の向こう側であることに気づいたが、戻らなかった。殺風景であるようで、それに大差ないと思ったからだ。駅構内をくぐったのは、家内も口にしたように以前同じようにしたことがあるからだ。今調べると
5年前の1月11日、柳原蛭子神社での「残りえびす」に行った時だ。その時は高速長田駅でそのポスターを見かけて急に行くことにした。駅構内の地図を見ると同駅からは遠く、それで一旦新開地駅に行き、大開駅に戻ってその南口からJR兵庫駅の北口に着いた。そして南口に出て柳原蛭子神社を目指したが、たくさんの屋台が出て賑わっていた。その時は知らなかったが、同神社は西国街道沿いにある。5年前に訪れた時、筆者は神社の東へと続く道が気になった。その先がどうなっているのかと思ったのだが、今回そこを歩くことになったのは西国街道歩きを意識したことによる。今回柳原蛭子神社は二度目で、駅からの距離が短いと感じたのは、初めての道は長く感じても二度目はそうではないからだ。この神社を訪れるのが当日の目的ではなく、先を急ぐ必要があった。それでもせっかくの機会で、人気の全くない境内に入って写真を数枚撮った。そうしながら5年前の「残りえびす」で
刀を持った巫女が眼前で舞っていた姿を思い出した。正確に言えば彼女の顔だ。よく似たタイプの女性はよくいる。言葉がふさわしくないが、少々やんちゃなタイプで、そう感じたので彼女が刀を持っていることが印象深かった。5年経った今は同神社にはいないか、いても他の女性にその剣の舞いの役を譲っていると思うが、刀を持って舞う巫女の姿を初めて見ただけに今でもたまに思い出す。模造刀ではなく、たぶん本物の直刀だろう。神社に御神刀は必ずあるとは思わないが、柳原蛭子神社ほどの規模ならないほうがおかしい。それを最大の十日えびす祭に使わなければお披露目の出番がない。そう思いつつ、若い女性が大勢の人の前で舞いに使用することは本人の緊張度は量り知れず、今も筆者は模造刀か真剣かと判断に迷っている。
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