「
懲りたこと 凝ったこととは 縁ありき 深追いすれば 痛手も深き」、「教訓を せせら笑って ケセラセラ 好きに生きるが 押しの一手と」、「飛び出した 言葉証拠の デジ世界 SNSに SOSを」、「何となく 難なきままに 何もなし 平穏無事の 横柄自分」
去年12月29日の投稿の続き。去年11月22日、茨木の西国街道沿いにある大型スーパーのフードコートは午後5時頃ではほとんど客がいなかったが、筆者らのすぐ近くに女子高生3人が陣取った。ひとりがラテン系の顔で、大阪弁であった。ブラジル移民の子と思うが、茨木市内に彼女と同じ境遇の子弟が多いとして、移民を雇う企業があるか、もしくは店舗を自前で持っているのだろう。スポーツ界では黒人との混血が目立つようになり、日本はいつの間にか多国籍国家になって来ている。会田雄次は日本は移民をまず受け入れないと書いたが、その考えが当たっているのか今後当たるのか、あるいは外れるのか、誰にもわからない。それはさておき、茨木市内の西国街道沿いには「飛び出しボーヤ」が多い。大阪や兵庫にはたぶんなく、滋賀県から離れるほどに認知度は下がるだろう。今日の最初の写真は「西国街道、その27」の地図のCで撮った。川端康成が育った家の場所を印刷地図で確認しながら道を間違ったのは、プリンターのインクが赤しか出ず、うすピンク色で印刷された道筋は夕暮れでは判別不能であったからだ。それで国道171号線の信号をわたってしばらくして方向感覚を失った。90度ほど錯覚したのは筆者の方向音痴のせいで、今にして思えば国道にネオンが輝く夜に西国街道を歩いても面白くなく、引き返してバスに乗ったのは正しかった。話を戻して、「飛び出しボーヤ」のそばの用水路沿いの脇道を進むと木材工場があって、白熱灯が点って数人の男性が窓越しに見えた。筆者らは見つかれば不審者に思われただろうか。ぐるりと回って南下する細道を見つけ、その突き当りの薄暗がりに「飛び出しボーヤ」があった。「西国街道、その27」のD地点だ。東から来た車のライトに照らされてよく目立ち、その看板を見て西国街道に出られることを知った。つまり、今日の2枚の写真を撮る間に道に迷い、「飛び出しボーヤ」は「出会注意」も兼ねるか。街道に出てその看板と行く手を収めて今日の2枚目を撮った。写真右手の黒い影は家内だ。筆者が道を誤ったことに立腹し、ひとりでさっさと前を歩き去って行くところだ。今日の2枚の写真は加工によって明るくした。実際はもっと暗かった。ただ歩くだけでほかに用のない西国街道歩きだが、こうして思い出していると一瞬ごとを鮮明に思い出す。それが愛おしいと言いたいのではない。見知らぬ土地を迷い歩いたことは睡眠中の夢のようで、人生全体に現実感がなく、全く別の世界があるのではないかと奇妙な感覚が襲う。ただしそれはこうして経験を思い返すからであって、そうでなければ現実も夢もない。
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