「
育てれば 恩の返しが ありはなし 育てることに 喜び見つけ」、「なるほどと 気づくことある 眺めかな 見どころ変える 思考は大事」、「後出しの じゃんけんじゃけん 邪見じゃが じゃがいも食って 後で糞出せ」、「研究家 名乗りは立派 中身なし 僭称の恥 自覚せぬ恥」
今日の写真は去年12月14日に撮った。その前日に同じ光景を見た。今日の冒頭の2番目の歌は写真のクレーン車を思い出して詠んだ。写真は「風風の湯」の正面玄関前付近で撮ったが、クレーン車がどこから入って来たかがわかる。中ノ島のこの小さな橋は車は通行出来ない。それで写真の位置にクレーン車が停まるためには、阪急嵐山駅前の道路の坂を上って「風風の湯」の前に至るか、写真のクレーン車のすぐ奧の自転車道路を下流から遡って来るかしかない。方向転換を考えると自転車道路を使うのが合理的で、おそらくそれを使った。アスファルト舗装の自転車道路がこの橋のすぐ横まで延長されたのは
2015年の春から夏にかけてで、車一台が通行可能は幅がある。川沿いにフェンスがあるが、桜の林側には段差を含めて何もなく、重機が下流の松尾方面から入って来られる。たぶんこの橋の工事があることを見越してこの桜の林内まで自転車道路を延長したのだろう。阪急嵐山駅前の道路を使ってもこの小橋に至ることは出来るが、「風風の湯」の玄関前の石畳みを通行せねばならず、歩行者の邪魔になりやすい。どちらの道でもいいのだが、新設の公共工事は将来の利便を見通すのが普通だろう。そういう気配りは個人の行動でも求められるし、そこまで考えて行動するのが知性の高さだ。簡単に言えば段取りのよさで、どこまで広く物事を捉えているかだ。これが凡人には想像がつかない。詐欺の被害に遭う人はその意味で凡人で、「騙されるほうが悪い」という世間の一部の意見が納得もされる。悪賢い人間から逃れるには容易に信用しないことだが、あまりに頑なな表情と態度で生活していると、今度は誰も近寄ろうとはしない。その孤独が平気な人はいいが、そういう人でも巧妙に接近されるとつい魔が差すか、あるいは情にほだされ、結局騙される。したがって騙されてもいいと高をくくって生きるのがよいが、もちろんその騙され具合が諦められる程度でなくてはならない。そのことを前提に世の中は動いている。1000円で外食したとして、それが高いか安いかは人によりけりだ。さしておいしくなくても店員の態度に感心すればまあいいかと思うし、おしくても冷たくあしらわれれば二度と行かない。このブログも無料とはいえ、読む時間は必要だ。読み終えてつまらないと思われれば時間の無駄すなわち騙されたことになって二度と訪問されない。筆者はそう思われてもそのことがわからないので平気だが、ともかく他者と違う視点を持つことが詐欺に遭いにくく、創造的生活を送るためにも必要と言っておく。
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