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●『ローランド・ハーゲンバーグ写真展  ニューヨーク フレンズ』
々と するは若さと 限らねど 気づけば歌う あきらめワルツ」、「友だちは 一度話せば 仕上がるも 壊れやすさが 本質なりぞ」、「はかなさを 知る手立てかな 写真とは 光と影の 戯れ遠き」、「亡き父母の 面影宿し ゆらゆらり 時にとびきり 目立つも消えて」●『ローランド・ハーゲンバーグ写真展  ニューヨーク フレンズ』_d0053294_02265892.jpg 先月16日に見た4つめの催しについて書く。どの会場であったか忘れたが、本展のチラシを入手した。同じ日かどうか、『原榮三郎が撮った京都 WARHOL IN KYOTO 1974』と題する写真展のチラシも1枚もらって帰ったが、9月中旬からアンディ・ウォーホル展が京都市京セラ美術館にて開催中で、どちらのチラシもそれに合わせてのものだ。『原榮三郎……』はウォーホル展の最終日と同じ来年2月12日までの開催で、会場は和菓子のくずきりで有名な祇園の鍵善が所有する美術館のZENBIとある。大和大路通りを少し東に入ったところにあって、筆者は知らない。入場料は1200円で、行くことはない。最近何でも値上げされ、京都京セラ美のウォーホル展は2200円だったか、カップルで出かけて図録を買い、交通費と食事代を含むと1万円では足りない。1か月に一度ほど展覧会に行くならまだしも、筆者のように片っ端から行こうとする者は経済的にきつい。それに時間も取られる。作品を見て「ああ、楽しかった」で普通はおしまいだが、筆者はブログに感想を書きたいので、その時間も必要だ。それはともかく、半世紀以上展覧会に足を運び続けて来たので、もういいかげん新鮮な内容のものは乏しく、ウォーホル展もまたかという気がしている。筆者は彼の最初の日本展を1974年に神戸で見た。その折りにウォーホルが来日した。その時に京都で撮影した写真を展示するのが先の『原榮三郎……』だ。白川沿いの有名な祇園新橋の石畳を歩くウォーホルの写真がチラシの表に大きく印刷されるが、白黒であるのでなおさら昭和時代の懐かしさがある。当時カラー・フィルムは全盛であったのに、なぜカラーで撮らなかったのか不思議だが、そのことは『原榮三郎……』を見ればわかるかもしれない。さて本展は丸太町川端東の「ⅰmura art gallery」で無料で開催され、京都京セラ美のウォーホル展に合わせてのことだろう。画廊の近くで料亭菊乃井の村田さんが若い女性と歩いているのに擦れ違ったのは余談として、チラシ上左に男優のような若きハーゲンバーグ、下半分にウォーホルの白黒写真が使われる。ハーゲンバーグはドイツ系の名前だが、チラシの右下隅に「オーストリア文化フォーラム」のロゴがあり、55年生まれのオーストリア人だ。現在東京と京都に拠点を置き、東京に25年住んでいるという。「写真家、ライターなどアーティストとして様々な顔を持つマルチメディアクリエイター」とチラシ裏面にある。近影は60代後半らしく、チラシ表のおそらく30歳前後の容貌とは違ってスキンヘッドに白い顎髭、それに眼鏡をかけている。
 話は変わる。10月に高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式に参列した映画監督のヴェンダースの姿をTVで見たが、なかなかいい具合に年齢を重ねたなと思った。そして先月はネットでヴェンダースの記事を読んだ。アメリカに馴染めずに現在は日本を第二の故郷と思って東京に住み、パチンコ三昧の日々を送っているという。しかもパチンコを禅と捉えているとのことで、日本独特のものは何でも禅になってしまいそうだ。ハーゲンバーグが四半世紀も日本に住むのも居心地がいいからだろう。日本は西洋人が大好きで、しかも芸術家となると近寄りたい人が多くいる。ヴェンダースのように大金つきの賞をもらうと、それに「安い国」の日本であるからには、老後を過ごすには最適と思っても無理はない。もっとも、日本に住んで新たな着想が湧き、新作映画が生まれるのであれば映画ファンは大歓迎で、ヴェンダースの次作に期待する人は多いだろう。それほどに西洋人には日本が現在も不思議で魅力があるというのは今に始まったことではなく、明治以降、あるいは近いところでは戦後すぐくらいから関心が高まった。ウォーホルもその例に漏れずだが、日本を贔屓にしてくれる芸術家にはことさらサーヴィスをするのが日本の伝統になっている。話を戻して、ハーゲンバーグの名前を筆者は今回のチラシで初めて知った。80年代のニューヨークに滞在し、チラシ裏面の言葉を引用すれば、「ウォーホルをインタヴューしている時、ファインダー越しでしか見ることのできない、彼の刹那の表情に心を動かされたのをきっかけに、アーティストたちを撮り始めた」とあって、チラシ表にウォーホルの写真が載ることの意味がわかる。ではウォーホルにとってハーゲンバーグがどういう存在であったかだが、ウォーホルは多くの取り巻きがいたはずで、またその中で孤独を感じていたので、先に引いたハーゲンバーグの言葉になったのだろう。「刹那の表情」は一瞬の表情で、これは写真ではあたりまえのことだが、「刹那」には「切ない」の意味合いを感じる。ハーゲンバーグが「刹那」にどういう英語を使ったか知らないが、言いたいことはウォーホルがハーゲンバーグのシャッター・チャンスに虚を突かれ、普段あまり見せない表情となったのだろう。それはモデルの構えた表情とは正反対のスナップ・ショットと思ってよく、またそういう写真を撮らせるには撮影者に心をある程度許している必要がある。そのことをハーゲンバーグは本展の副題の「フレンズ」に込めたのだろう。これは「友だち」と訳すしかないが、「フレンド」と「友」とではニュアンスが違って前者は後者より軽い。その軽さがアメリカ的の本質と言っていいと思うが、誰とでも親しくなる性質はやはり軽いのであって、それが「親友」に発展することは稀だ。そのことは世界中共通だが、軽い人は「親友」を軽く捉え、10人や20人はいると言う。
 ここで話は少し逸れるが、晩年のザッパは友だちがいないと語った。それを驚く人がいるが、筆者はザッパの思いがわかる。友だちがいないことをザッパは孤独と思って来なかったのだ。それほどに創作の日々の連続であった。多くのミュージシャンを雇い、一緒に演奏するからには彼らは「フレンズ」と呼んでいいような存在だが、そこにはしかるべき仕事に対して賃金を払うという雇用主の立場があり、対等な「フレンズ」にはなり難い。一線があるということだ。ザッパはツアー中もメンバーと飲んで騒ぐことはなく、ひとりでギターの練習をするか、次のコンサートのためのレパートリーを考えた。したがってザッパの友だちがいないという発言に驚く人は典型的な凡人で、まあ簡単に言えばザッパのことは理解出来ない。ジョン・レノンは、「バンドのギタリストはメンバーと群れるのが好む」とやんわり皮肉ったが、ザッパは表向きはメンバーと群れているように見えながら、徹底的に主人公であってすべてを自分の思いどおりに運ぶことを最優先した。そのことはウォーホルも同じで、頭角を現わす芸術家はみなそうだと言ってよい。言い換えれば友人はいない。いても長らく続かない。それは当然だ。なぜなら真の芸術家は留まることを拒否し、明日はもう違ったことを考え、違った作品を生んで自己を新たに蘇らせたいからだ。彼らは平凡な表現者を見て、「いつまで同じことやっているのか」と考える。そういう者はハーゲンバーグの先の言葉の「刹那の表情」をふと見せることがあるだろう。ザッパの写真はほとんどすべて撮られることを意識したもので、相手を睨みつけるような表情が若い頃には目立つが、それほどに「フレンズ」の存在を信じていなかったということだ。フレンズには隙を見せるし、そうであればアメリカのビジネス界ではたちまち付け入れられる。ヴェンダースがアメリカを息苦しく感じたのはそういう点だろう。それに引き換え、日本は温和な人が多く、ファンは喜んで笑顔で接してくれる。そしてたぶん「フレンズ」と呼べる人も得られるだろう。ウォーホルとハーゲンバーグとの間に「フレンズ」とお互い呼びたい感情があったかどうかだが、少なくても表現者である点で同業者であって、純粋な商売人には決して吐露しない隙をわずかには垣間見せたであろう。それはハーゲンバーグも同じで、そういう表現者同士の孤独の共有が「フレンズ」であって、それが軽いか重いかとなれば、みんな芸術家であるから、軽くもあり重くもある。凡人同士では軽くしかあり得ないと言えば少々具合が悪いが、べたべたしたもたれかかり合いではない点で芸術家は軽い交際をし、またお互い自己の目指す表現、つまり個性が明確化している点で、「フレンズ」の思いは同士という重さとして個々が孤独に背負っている。簡単に言えば、芸術家が芸術家を撮影すると一味違うということだ。
●『ローランド・ハーゲンバーグ写真展  ニューヨーク フレンズ』_d0053294_02275218.jpg ただし、ハーゲンバーグのような写真家がたとえば80年代のニューヨークにたくさんいたかどうかの問題がある。わかりやすく言えば、ハーゲンバーグはウォーホル並みに写真家として有名かどうかだ。本展のチラシ表の彼の写真は手元がよく見えないが、背後の壁の刷毛で描いた抽象画からして、たぶん自作のドローイングを広げているのではないか。マルチアーティストであるからには当時ウォーホルのように画家を目指していたことはあり得る。それが売れないので写真に転向したとしてもそこには天命があったと言うしかないし、ドローイングの技術は本展に展示されたキャンバス地に焼いた大きな写真に刷毛でわずかに加えられた金泥の一掃きに見られ、写真家と画家を兼ねた作品となっている。これは写真に写る芸術家とハーゲンバーグの双方を見てほしいという彼の思いで、彼にすれば当時同じ地域にいた他の同じような肖像写真家とは違うという主張だ。またどの被写体となった芸術家とも「刹那」を共有した自負を持っているのだろうが、筆者はまず思ったのは大半の被写体の人物が死んだことだ。そのために写真の価値が増しているが、ハーゲンバーグは生き残っている点で「フレンズ」は片思いの印象を強くする。アウラを大きく持つにはたとえば夭逝という不幸があったほうがよい。死因がエイズであればなおさらだ。チラシ裏面には右上のクレメンテ以外、つまりキース・へリング、バスキア、メイプルソープ、そしてウォーホルもこの世にいない。バスキアはどうであったか知らないが、へリングもメイプルソープもウォーホルも同性愛者で、そこでハーゲンバーグもそうかと思ってしまうが、そうであれば「刹那の表情」を写し取る能力に気づいたことに合点が行く。写真家のメイプルソープがハーゲンバーグに撮られることは面白いが、メイプルソープもハーゲンバーグを撮影したかもしれない。ともかく先端の現代美術の渦の中にいてハーゲンバーグは名を遺す芸術家の肖像や制作風景を撮ることが出来た。その彼が東京に四半世紀滞在することは当然日本の有名人を大量に撮っているはずだ。それはニューヨークの次は東京が現代の先端の芸術の都になるという直感が手伝ったと思うが、バブル崩壊後の日本が今後世界に名を長く留める表現者をたくさん輩出した、あるいはそれが続行中かどうかは、日本に住んでいてはよくは見えない。会場の画廊に筆者は10分ほどいて、係の若い女性に話し続けた。それは80年代のニューヨークは過去で、現在は中国や韓国、東南アジアが経済的に勃興中であって、新たな芸術もすでに生まれているという考えだ。そして現代美術を扱う画廊は欧米に先を越されない今のうちに中国その他の経済発展のアジアから作家を見出すべきではないかとも言った。ヴェンダースももう残りの監督人生は短い。老人は日本でゆったり過ごし、若い世代は外国に目を向けるのがよい。
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by uuuzen | 2022-12-17 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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