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●『仏法東帰―大仏開眼へのみち―』
災者に いかに寄り添う 宗教家 飢える虎見て 身与えた釈迦」、「物騒に 無縁の人は なかりけり 他者と関わり 天災もあり」、「芸能も 政治も僧も 家業なり 子なし夫婦の 恨みを知らず」、「国宝を ひとつも知らぬ ゴッホ好き アニメイケメン もっと好きだよ」●『仏法東帰―大仏開眼へのみち―』_d0053294_14190214.jpg 先月16日に見た展覧会の三つめについて書く。大谷大学博物館に行くのは3年ぶりだ。その日は学園祭が開催中で、民族楽器を使ったライヴの演奏があってその感想を書くつもりでいたのに機会がなかった。小さな古書コーナーでは永井荷風の全集が数百円で売られていたがあまりの重さに持ち帰ることが出来ずに買わなかった。この3年、同館で企画展は開催されたのだろうか。展覧会は割合開催され始めているのでコロナ禍の終息の兆しは顕著になって来ていると見てよい。ただし本展では入場の際に検温と住所氏名の記入があった。館内でコロナの発生が確認出来れば追跡調査するためだろう。本展は前後の会期を合わせて国宝、重文が10数点展示されたにもかかわらず、会場は筆者と家内以外には2名で、学生らもあまりに地味な内容と思っただろう。ほとんどが芸術品ではなく史料の展示であったからだ。もちろん史料でも芸術性の高いものはある。本展に行く気になったのはチラシに印刷される絵画がなかなか味わい深く、実際に見たかったからだ。「四聖御影」と題し、東大寺を建立した聖武天皇、婆羅門僧正、行基、良弁の姿を描く。ところが前期の展示で、筆者らが訪れたの後期には、江戸末から明治にかけての模本が展示された。チラシのもの、すなわち今日の写真では左半分の図版は15世紀末の室町時代の作で、香雪美術館が所蔵する。ブログに同図版を掲げるに当たって明度や彩度をかなり修正したが、チラシの色合いと同じにはならない。そもそもチラシの印刷も本物ほどの微妙な味わい深さは望めない。そこに本物を見る価値がある。「四聖御影」は東大寺が13世紀半ばの建長寺本と14世紀後半の永和本を所蔵し、後者は前者の写しとされる。したがって本展で展示された香雪本もそうで、可能であれば本展に建長寺本が展示されればよかったが、東大寺からは前述の江戸末から明治にかけての模本が借り出された。国立博物館での企画展以外では建長寺本を見る機会はないだろう。それはともかく「四聖御影」の模本はどれほどの数が存在するのだろう。失われたものも多いはずで、そのことを思って模写が繰り返されて来た。写真や印刷の技術がある現在、模写は不要かと言えば、人の手で描かれたものは温かみ、ありがたみがあり、画家が技術を学ぶためにも模写は永遠になくならない。また面白いことに、模写した時代の空気を内蔵し、時代が下るほどに絵具の質もあって重みが感じられない。それでも室町時代の作はもう京都の個人の蔵から出て来ないと言われ、さすがの風格がある。
●『仏法東帰―大仏開眼へのみち―』_d0053294_14192524.jpg
 「四聖御影」を見たいと思ったのは全体の半分ほどを占める緑色だ。これが新しい畳の色合いを煮詰めたような自然な味わいで、同じ色は科学的に合成された絵具では無理だろう。この緑色に随所に散らばる朱色が対応し、自然の中に花が咲いたような香りを感じさせる。日本の絵画に限らず、東洋の特に仏画はこういう美しい絵具の味わいを見せるものが多く、一旦それに魅せられると西洋の油彩画はとても異質で肌に合わない気にさせる。「四聖御影」の江戸・明治の模本の色合いはやはり浅かったが、それのみ見つめていればさほどそのことが気にならなくなる。その模本も数百年を経れば深い味わいを醸すはずで、長い年月を経たものはそれにしかない風格を持つに至る。それで国宝や重文は古さを競っているかとなればそうでもない。古いだけが価値ではなく、しかるべき目的で制作され、また保存も由緒正しいことが重視される。「四聖御影」はいわば偉大な4人の肖像を並べ描くもので、そのことによって東大寺の格も保証される。絵画として見た場合、聖武天皇がひときわ大きく描かれ、他の3名はまるで子どもの寸法で、写実絵画を見慣れた者からは奇異に映る。大きく描くことで最も権力を持っていたことを表わすことは宗教画では普通のことで、社会主義国家の権力者を賛美する絵画でもそうだ。それで「四聖御影」は4人がこのように一堂に会したと見るものではなく、崇拝の対象として4人を同じ画面に描き、位づけも行なっている。また各人の容貌が写実かとなればこれは誰にもわからず、天皇は特に理想化されているだろう。ところがたとえばキリストの肖像画と同じで、それでいいのであって、ありがたみのある面貌、表情でなければならない。そのことは写真と描かれた明治天皇のふたつを見比べてもわかる。「写真があればそれでいいではないか」ではなく、写真とは全然違うと言ってよいほどの理想化をしなければ国民は崇拝の対象と思いにくくなる。その考えはスマホの画像加工技術がさまざまに編み出され、普通に撮った自分の写真を著しく漫画的とも言えるほどに誇張加工する気持ちにも見られる。これは現実は醜いというほどではないが、欠点が多いため、それを見ないでおくために隠そうとする思いの反映で、写真は真を写しながらそれでは困る人が多い現実を突きつけている。もっとも、どういう写真を撮っても美しく写る人はいるし、また天皇はそういう人の代表であるとの思いが権力者側にも民衆側にも暗黙の了解としてあって、それで「四聖御影」の聖武天皇は他の天皇と言われてもわからないほどに普通の天皇らしい顔つきとして描かれた。他の3名も同じで、各人が役割にふさわしい顔つきと姿になっている。それは大胆に言えば現代の漫画と同じ思いが画家に働いた結果と言えなくもない。理想化と記号化が行なわれているからだ。
 そのように見るとありがたみが少なくなる気がするが、600年や700年前の絵画となれば現存は稀で、何代にもわたって人々がこの絵を眺め、また模写して来たことの現実を知り、その歴史の末端にいることのありがたさや不思議さを誰しも感じるのではないか。さて絵画はチラシ裏面にもう1点図版が載る。「聖徳太子二王子像」で、これは義務教育の教科書で誰もが知る有名な絵画で、聖徳太子の肖像が紙幣に使われた時はいつもこの絵の上半身が写された。筆者はこの絵の実物を二、三度見たことがある。今回また会えると思ったが、前期に展示されたのは19世紀の江戸時代、冷泉為恭が模したもので大谷大学博物館所蔵、後期は明治30年の和田貫水の模写で、奈良国立博物館が所蔵する。筆者はそのことを知らずに和田の模写を眺めたが、原本と横並びではないので差はわからないものの、作品が訴えるものは変わらないと思った。それほどに忠実な模写なのだろう。またそういう技術を持つ画家がいつの時代にもいる。それで「四聖御影」も同じように描き続けられて来たが、一方で原本は劣化して行くので、早期の模本ほど原本に近いことになる。そこに模本の意義もある。これは以前に書いたが、ある六道絵の分厚い本を筆者は所有し、その原色図版の胡粉が現在の原本のそれよりはるかに濃く、鮮明であることに気づいた。劣化が目立ったので表具し直されたのだが、その際胡粉がかなり洗い落ちてしまった。そのことは写真が残っているのでわかる。表具師の技術が拙かったと諦めるか、あるいはどの一流の表具師でも同じ結果になったのかはわからないが、表具によって状態はきれいになりはするが、絵具が落ちてしまう劣化もあることを知る。それも経年劣化であって、作品は時代とともに確実に劣化して行く。そのためにも写真撮影と模写の双方が必要となる。話を戻すと、「聖徳太子二王子像」の安価と言えばいいか、庶民が家に飾る掛軸を見たことがある。それは高槻のKさん宅を訪れた時で、彼は隣家が転居した際、掛軸類をゴミとして出し、そこに「聖徳太子二王子像」の掛軸があった。Kさんは得意気にそれを広げながら入手経緯を説明してくれたが、おそらく印刷で、筆者は一瞥しただけで興味を抱かなかった。たぶん印刷のはずで、戦前のものだろう。聖武天皇の仏教信仰は聖徳太子への思いがあって、聖徳太子信仰はたとえば京都市内各地の地名にも伝わっていて、「聖徳太子二王子像」の掛軸の需要は多かったに違いない。戦後はそうではなくなったが、相変わらず聖徳太子は人気があり、また誰でも必ず「聖徳太子二王子像」の図像が脳裏に浮かぶので、原本を前にした模写も何度も行なわれて来たに違いない。ちなみに原本は8世紀頃の作とされ、文献には12世紀半ばの法隆寺にあったとされるが、現在は聖徳太子を描いたものではないとの意見もあり、また御物になっている。
 聖徳太子は実在しなかったという意見もあるが、百済との関係から日本の国粋主義者はその問題を避けがちであろう。そのことが本展でどう扱われているかの問題がある。これは古代史に詳しい人が本展を見れば主催者の国粋主義度がどの程度かがわかるという意味だが、本居宣長に関しての展示や説明はなく、現在の嫌中ムードには関係しない立場が採られていたように思う。古代史に関してはさまざまな研究があって、聖徳太子やそれ以前の卑弥呼と中国や朝鮮半島との国際的な交流はまだまだはっきりしていないことが多い。有名な話では聖徳太子が遣隋使の小野妹子に持たせた国書に倭国を「日出る国」と書いたことを隋の王が機嫌を悪くしたというものがあって、その「日出る国」は現在も日本人を鼓舞する有名な言葉になっている。中国は日が沈む国で、日本は永遠に日の出の国であるという無邪気さ、自惚れが強くなると現状を見誤る。その最大の結果がアメリカに参戦を挑み、原爆を落とされたことと言ってよいが、そういうことを考えさせもするのが本展であった。というのは「日本書紀」のその「日出る国」の記述箇所が広げられ、そこに主催者「単に東という方向を示すもの」という注釈の言葉があったからで、中国に対して喧嘩腰にならない一種の配慮があると思えた。「日出る国」が東方の国であるとの意味に表向きは過ぎないとしつつ、本居宣長やその弟子たちによる朝貢関係があったことを否定し、国家としての独立心を自負する国粋主義の流れが現在の政治につながっていて、日本の古代史は古墳の発掘が実施出来ないことも絡んで、曖昧のままでよしとされている面が大きい。だが歴史の長さとその文化の成熟の点で中国は倭国、日本を圧倒し、仏教も中国や朝鮮半島に先にもたらされたのは事実で、しかもその仏教が東大寺の大仏開眼を経て現在も日本の宗教では最大のものとなっていることは中国や朝鮮半島にはないことで、その意味から本展の「仏法東帰」の言葉には含蓄があるし、仏教系の大谷大学が開催する理由もわかる。さて本展は「仏教公伝1470年」、「聖徳太子没後1400年」、「大仏開眼1270年」を記念するもので、大掛かりな祝展と言っていいが、前述のように会場は閑散とし、また展示数は60点弱で、これが前後期に分けられた。第1部「大仏開眼」、第2部「仏教公伝」、第3部「聖徳太子信仰と聖武天皇」で、文献の展示が多く、またその説明書きが視力の弱い筆者にはとても読みにくく、ほとんど素通りした。そのため書くべき感想がほとんどないと思いながら、書き始めると次々に浮かぶことがあり、現在の日本の仏教や宗教、それに仏教に因む芸術などについて際限なく話題が広がる気がしている。現在の京都市の財政困難から仏教寺院から何らかの税収を求めるべきではないかとの意見が出ていることもそのひとつで、仏教は京都を考えるうえで切り離せない。
 チラシ裏面の図版にある国宝「金光明最勝王経」は紫色の紙に金泥で書かれ、その書体は確かに奈良時代を感じさせるが、書道家でなければ一文字ずつをじっくり鑑賞しないだろう。またざっと眺めただけでも何となくありがたみを感じるところがあるのはさすがだが、筆者のその思いの理由は紫色の味わい深さだ。これは化学染料では無理だ。「四聖御影」の絵具と同じで、植物から抽出した自然の色合いを和紙に染めることはいわば素人でも出来るが、「金光明最勝王経」の紫色は現在でも復元は難しいだろう。そういう紙に金泥で文字をていねいに描くことの美意識が現在の芸術ではどういう作品につながっているか。同じく国宝の「日本書紀」の展示は初めて見た。「続日本紀」は第1、2部に展示され、本展の中核を成していたと言ってよい。国宝「日本書紀」は平安時代のもので、京都国立博物館が所蔵する。本展には他に室町時代、安土桃山時代、江戸時代のもの、「続日本紀」は鎌倉時代と江戸時代ものが展示され、「四聖御影」と同じように書き写されて来たことがわかる。書き写すだけでなく、細かな文字で行間や欄外に注が書き込まれていて、それらが研究に役立つので、印刷すればよいというものではない。書き写しながら考え、学ぶということが、手紙をあまり送らなくなった現在、一方では電子本の普及もあって、もう廃れたと言ってよい。そのことはたとえば「日本書紀」の研究も全く新たな段階に入っていると見ていい。チラシ裏面の残る画像として「東大寺西大門勅額」の拓本がある。原品は8世紀の奈良時代のもので、現在拓本を取る許可が出るのかどうかだが、拓本の技術のおかげでこの勇壮な文字が間近で鑑賞出来る。それは同じく第1部に展示された「東大寺大仏蓮弁線刻図」の拓本に言える。どちらも東大寺展には必ず出品されるが、たまに見るとやはり圧倒される。「金光明四天王護国之寺」の筆跡は達筆かどうかの思いを超えて真面目で力強く、堂々としている。この書体から奈良時代がどういう気概を持った人々がいたかがわかると言ってもよい。現在ではもうそれは望めないものだ。現在の同様の揮毫も千年の時を経ればその頃の人々に同じ感慨を抱かせるかもしれないが、国を挙げて大仏を建立するという大事業に匹敵する何かがあってのことで、オリンピック、万博に白けているようでは、また有名病に憑りつかれている人物が任されて揮毫するようでは、つまらぬものしか生まれ得ない。仏法は聖徳太子らによって東の国の日本にもたらされたが、その帰結としての現在に信仰がどう生きているのか、またそこから育まれる芸術が百花繚乱の状態にあるのか、なければどうすべきか、あるいはなくても全くかまわないのか、筆者はこうして書きながら、先日読み終えた村上華岳の『画論』をあれこれと思い返す。
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by uuuzen | 2022-12-16 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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