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●『山口華楊展』
む腹 樽に似たるや 布袋様 布の袋に 食べ物足らぬ」、「人の顔 見飽きて犬を 飼うわけは 騙されぬこと 飽きることなし」、「動物は 自殺せぬゆえ 低能か 苦を逃れ得ず なおも生きるを」、「意の力 尽きて体も 用なさず 想えば動き 動きつ想え」●『山口華楊展』_d0053294_22502796.jpg 先月16日に堂本印象美術館で本展を見た。筆者が山口華楊の展覧会を最初に見たのは手元の当時購入した図録によれば1980年3月20日で、京都市立美術館が会場であった。図録にはその後の華楊展や華楊の作品が表側全面に印刷されるチラシが6枚挟んである。大丸創業270年の87年、第5回京都画壇日本画秀作展の90年、92年、京都創生1200年の94年、99年、2003年で、それ以降はチラシを図録に挟まなくなったが、数年おきに華楊の作品が展覧されていることが想像出来る。印象と同じ京都生まれで、印象が8歳年長で、子弟関係はない。堂本印象美術館が府立になったために印象とは子弟関係のない画家の作品の展示が可能となり、また館の庭ではさまざまな野外展が開催される。来場者は増えているはずだが、いつ訪れても混雑とはほど遠く、もっと広報に力を入れるべきだろう。それはさておき、筆者は43年ぶりに華楊の作品をたくさん見て、新発見をした気分にはなれなかった。43年前に見た時の記憶がそっくり蘇り、したがって43年が経ったとはとうてい信じられないが、懐かしい思いを抱かなかったことは、華楊の作品が好悪は別にして何か重要なことを突き付けているからとも言える。好悪で言えば43年前にも感じたように、筆者は薔薇や牡丹を無地背景に横並びに描く作品は評価しない。売り絵として手抜きの印象が強いと言いたいのではないが、動物と違って植物に表情を読み取ることが出来ず、植物の置かれる状況が主題で、植物は無機質さを感じさせる。花は画題の中心にはなり難く、動きのある動物を描くほうが画家の技量を誇る意味からも挑戦のし甲斐があると華楊は思っていたのではないか。ただし今回も出品された青蓮院の大きな楠を描く作品はその太い幹にたとえば仁王や逞しい女性の体を見ているかのような表現で、対象に接した時に誰しも真っ先に感じることを描こうとしているように思われる。その意味で華楊の作はまことに平凡で、奇の衒いがない。カレンダーに印刷すれば誰もが納得する安定感に溢れ、いかにも京都らしい。そのそつのない、美しく落ち着いた画面を構成する考えが面白くないと言う人も少なくないだろう。たとえば「へたうま」の代表のような村上華岳の絵を好む人はそうに違いない。これは表現主義を好むかどうかで分かれる問題で、華楊の絵は表現主義とは正反対の位置にある。だが、強固で完璧な構図を華楊は追及したのであって、写生を重ねた写実主義も写真ではなし得ないことを念頭に置いている。それは背景の処理で、ほとんどの作は背景は無地のぼかしだ。
 スタジオでの肖像写真は背景がたいてい無地で人物だけが捉えられる。華楊の絵画はそういうスタジオ写真に似ている。動物を描く場合、たとえば昭和29年に有名な「黒豹」は大阪の天王寺動物園に通って写生したが、そのことを知ると二頭の豹は檻にいて華楊を見上げていることがなおさら実感出来る。そして豹以外の背景は檻の地面ということになって、自然界における地面とは違って、絵画全体の写実性は豹のみに意識が集中されたものであることを鑑賞者は知るが、動物園で飼われている豹という不自然さも同時に味わいつつ、それは仕方なきことであると同時に、その豹にとっても仕方なき生き方の中に豹本来の相手を睨みつける獰猛さがそっくり描かれていることに感嘆する。そして「黒豹」が昭和29年に描かれたことに戦後の新時代の幕開けも感じる。華楊は黒豹とは別に、昭和50年に「仔豹」では斑紋のある二頭の豹の戯れも描いているが、そこでも背景は無地で、豹の絡みのみが画題となっている。「黒豹」は俯瞰的構図と右手に横たわる豹の3分の1ほどの体躯を画面端で切り取ることで印象深い構図を作っているが、遠目に見ると筆者はその二頭が書の文字の構成を意図ないし意識したように思える。前衛書道が戦後は活発になり、京都ではそういう書家が西洋の画家と影響し合うが、そういう新しい造形の潮流に対して華楊は動物を画題に対抗出来ると考えたふしがある気がする。とはいえ、それは「黒豹」のみで、「仔豹」では他の華楊の動物画のように全身を画面に収め、しかも背景はどれも無地か、植物を描いても壁紙のような文様的扱いで、野生性は動物本体の体躯や顔の表情でのみ表現される。また「仔豹」では斑紋が遠近や豹の体躯の凹凸を表現する手段となっている写真的作品だが、実際の豹を使って同じ写真を撮ることはスタジオの中で無地スクリーンを背景にするか、あるいは豹のみを切り取るかをせねばならず、またそのようにして得られる写真はやはり写真であって、「仔豹」のような意匠性は望めないだろう。意匠性と書いたのは、「黒豹」が平仮名か草書の漢字に見えるからで、華楊は京都の伝統的絵画の延長にあって意匠性を強く意識していたことが作品から明らかだ。その華楊の絵画における意匠性は写真を重ねて獲得するもので、頭の中で作り上げた、つまり漫画のようなものとは対極にある。そういう意匠性は単純な記号のようなものと違って写真に近づくため、印象に残りにくいが、記号をそのまま描いて額に入れて鑑賞したい人はアメリカのポップ・アート好き以外ではまあおらず、背負うものが大きかった華楊は伝統の延長上にどういう新しい絵画が可能であるかを追求し続けた。動物画で名を馳せたのも伝統から説明がつく。鶏の若冲や猿の森狙仙のように特定の動物を描いた先人を遠くに見据え、そして栖鳳や五雲に学んだことで画風を確立した。
 明治生まれの華楊は写真時代に生きたこともあって、また江戸時代の画家が実物に対面出来なかった珍しい動物を動物園で観察出来たので、写実性の極致と言ってよい表現になった。それは構図に破綻がなく、また静謐な画面を構成しようとする、いかにも真面目な画家の本質も作用しているが、完成度の高さを意識するのは当然として、その完成度が鑑賞者にとって面白いかどうかは別問題だ。前述のように花のみを描く作品は華楊らしい完成度はあるとしても動物画ほどに成功しておらず、筆者は少しも楽しくない。写真がなかった若冲の時代は筆致の工夫により、却って個性を売りとして意匠性に優れた作品をどの画家も描いたと言ってよい。写真的写実とは言えないが、真に迫っている雰囲気がある作で、またそういう作品のほうが個性的となりやすい。写実的な作は写真をもとに描くことで誰でもある程度はものに出来るし、ネットでもそういう作品を描く半ば素人が紹介されるが、そういう作品の面白くないところはただ細密に描いているという点で、華楊のような意匠性を意図していない。しかも構図も熟考されておらず、絵画の域に達していない。そのこと大多数の写真家の写真が芸術ではないことと通じている。ただし、写真でも絵画でも一度見ればその画面は鑑賞者の内面に押し入って来るし、その踏み込まれ方に言葉では説明出来ない一種の陶酔を感じるのは誰しもで、その陶酔は暴力的ないし説明がつきにくいものであるほどに深く心に刻まれる。たとえはよくないかもしれないが、女性がダメ男に惚れるのと似て、頭ではよくないとわかっていながらその圧倒的な力に参ってしまう。その意味から言えば華楊の絵画は優等生で、すべてが計算され尽くしているかのように澄まし顔でいる、そのたたずまいが面白くないと考える人はいるだろう。芸術はもっと幅が広く、荒々しい表現も当然含むが、華楊は京都の日本画の正統を守ろうとしたのだろう。華楊以降、華楊ほどに動物画で名を成した画家はおらず、それどころか日本画自体がもう終焉を迎えたように思える。若冲のような職人的筆さばきの技術を獲得することはもはや無理で、華楊のような写実は写真が手っ取り早いと今の若者は考えるであろうから、残された絵画の道は、漫画の影響もあってひたすら「下手うま」を手変え品変え追求する時代が今後百年ほどは続く気が筆者はしている。それは品のよさはどうでもよく、いかに鑑賞者の内面に傷をつけられるかという暴力性で、そのことを真っ先に体現しているのはTVやネットの有名人だ。話を戻す。80年展の図録には鶏冠鶏頭を描いた昭和52年、77歳の「鶏頭の庭」があって、背景の大きな石3個が面白い。石は画面下ではなく、画面の上3分の1のところに横並びに置かれる。そのことによって華楊の写生の視点が暗示され、しかも鶏頭のみでは持たない余白の多い画面に庭の詩情がうまくもたらされている。
 本展のチケットに印刷されるのは「黒豹」と題され、昭和35年の作で黒豹一頭のみ描き、縦横6,70センチの大きさだが、最初の所蔵者の奧さんは部屋にこの絵があるのを気味悪がり、京大に寄贈したと説明書きにあった。同じ年にはもう1点黒豹一頭を描いた作があり、29年の作の評判がよかったことによる注文作であろう。35年の作はどちらも29年の作のための写生を元にしたはずだが、黒豹は華楊の動物画の中では異質と言ってよい。たいていは肉食ではない動物を優しく、愛らしく描くのに、黒豹を描こうと決めたのは、動物の多面性を思ってのことだろう。これは動物を愛らしさで描くことを好むという自分の意思を重視するのではなく、相手に素直に反応してその現実ぶりを描くというリアリズムの立場を採るからだろう。そのため自分に強く訴える何かがない限りは描かず、その強く訴えることが美しい絵画になるかどうかはわからない状態で筆を進めたように思う。29年の「黒豹」は構図や意匠性の点で完成度が高く、優れた絵画になっているが、そのことと誰もがこの絵をほしがり、あるいは鑑賞を好むかと言えばそうとは限らない。前述の夫人の怖いという思いは女性なら誰しもであろう。自宅の部屋に常にあってこちらを睨んでいるとなると、泥棒の目に晒されているような気がしても無理もなく、またそういう効果を知りながら華楊が描いたことが面白い。そのことを深読みしていろいろと書くことは出来るが、ひとつには前述した前衛書道や抽象絵画の流行の時代性を感じ取っていたこと、そしてそれを新しい日本画の表現で提示することは、黒豹がそうであるように挑みかかるという積極性がなければならない。戦争に従軍して描いた経験を持つことからは、戦後であっても世の中の暗い面を無視しなかったという読み取りも可能になるであろうし、その意味ではこの作はいつの時代でも新たな意味づけが行なわれ得る。ともかく、害のない花鳥画という範囲を超えて戦後の新時代をいち早く絵画で描き切った作だ。本展のチラシの表側に印刷されるのは昭和12年の「洋犬図」で、二曲屏風に西洋の大型犬3頭を描く。これは橋本関雪の同じ画題の作の影響が強く、筆者はさほど感心しない。黒豹と同じく、珍しい動物ということで描いたのであろう。それは江戸時代の画家が象や鸚哥、駱駝を描いたことに似る。華楊は若い頃は人物も画題にしている。その方向に進まなかったのは、絵が売れないからだろう。人物画をほしがる人は珍しく、たいていは花鳥画のその名前のとおりに花や鳥を描いた作が部屋に飾るにはよいと考える。華楊はさまざまな鳥も描いたが、どれもあまり感心せず、記憶に残りにくい。やはり本領は馬や虎、牛やライオン、猿や鹿、それに犬、猫といった動物を描くことにあったし、またそれはあまり他の画家はやらない仕事で一定の人気を得るにはよかったためと思える。
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by uuuzen | 2022-12-09 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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