「
兆候は 喧伝されつ 手を打たず 場当たり対処 罰当たるとも」、「羽目外し 礼儀なくして 怒鳴られて 夫婦であれど 一線超えず」、「馬鹿嫁と 夫嘆くは 調子者 無知が可愛の 言葉忘れて」、「傍の目に 映る自分を 意識して 心磨きを 知らずに目立ち」
一昨日の午後、家内と嵯峨のスーパーに出かけると、日陰には雪がまだ残っていた。わが家の裏庭もそうだ。毎年節分頃が最も寒く、雪が消えないのはあたりまえだ。これでこそ京都の底冷えという気がして半ば気持ちはよい。というのは裏庭にはもう紅白梅の花が咲き、時々覗く日差しは春を感じさせるからだ。嵯峨のスーパーはいつも最低3軒は梯子するが、多い場合は5軒、それに遠方の常盤にある大型店2軒に足を延ばすこともある。一昨日は嵐電の帷子ノ辻の駅近くにあるスーパーにたぶん3年ぶりに訪れた。三条通りから店内に入るには、地下に潜る急な階段を降りる必要がある。その昭和時代の雰囲気が濃厚な階段を降り切ると、眼前に6,7人の撮影隊がカメラを筆者に向けていた。20代前半らしき黒のコート姿の女優がその階段を上る場面を撮影中で、筆者が降り切る前に彼女が上り始めた。つまり場違いな筆者が写り込み、撮影は中止され、筆者と家内が撮影隊の後方に移動し始めた時に若い男性監督は撮影再開の指示を出した。振り返りながら女性が階段を上る様子を見たが、近年の日本映画や俳優をさっぱり知らず、その撮影がどういう作品で使われるかの興味もない。それに全員若く、商業用の映画ではないかもしれない。スーパーでは最近の値上げを実感し、ほとんど買わずに丸太町通り沿いのいつものスーパーに行くことにした。その途中の路上で見かけたのが今日の写真だ。最初の上は歩道の側溝の蓋の穴で、どれも同じようにそこだけ雪が融けていた。下に流れる水が空気より温かいからだ。ところで「風風の湯」に向かう際、ホテル花伝抄の横を歩くと、ホテルの下水の雲古臭が側溝の穴から臭う。それで反対側の歩道を歩くのだが、下水管が道路を横切ってその歩道下を通っていて、幾分ましだがその側溝からも雲古の臭気が発散されている。それはさておき、最初の写真下はたばこのフィルターが雪を吸い取ってそこだけ路面が見えている。2枚目の写真は路面のタオルだ。たまに同じような場面を目撃するが、今回はカラフルな縞模様が面白く、またタオルはこれ以上はないほどにぺしゃんこで現代アートのようだ。そう言えば思い出した。1か月ほど前、午後遅くスーパーに行く途中、渡月橋下流左岸の大きな土産店の前で、何か柔らかいものを踏んだ。家内は雀が死んでいたと言う。確かに踏んだ感触はそうであった。かわいそうに雀は筆者にまともに踏まれてスルメのようになったはずだが、その場所は常に観光客で溢れ、筆者以前に誰かが踏んだ可能性が大きい。雀は長く生きて2年半という。今年の寒さでは生存の確率は例年よりも少ないだろう。
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