「
涅槃図に 猫描き足す 明兆の 優しき孤独 自画像どうり」、「欠かせぬは 後ろ姿の だらり帯 舞妓の姿 美の極致なり」、「不景気と 聞き飽きてなお 実感す 手持ち無沙汰の 香具師の列見て」、「鯛を抱き ゑびすの笑みは サービスか 落ち込む人も 無理に笑えと」
昨日は京都ゑびす神社の一之鳥居前に立っての写真が17年経ってもほとんど変化がないことを書いた。だが、この17年の間に同鳥居を入ってすぐの右手すなわち北側に新しい恵比寿の石像が建てられた。その東側にはひとまわり大きな古い恵比寿像がある。これは石材の厚みが足りなかったようでかなり扁平な、おおげさに言えば浮き彫りを思わせる表現になっているが、そのことが古い素朴さを感じさせて微笑ましい。新しい像は写実的で立体性がはるかにあるが、どこにでもある雰囲気で個性に乏しい。だがそれも百年ほどすれば境内にも人の意識の中で古いものとして馴染むだろう。神社も寺も急に新しいものが境内に出現することは珍しくが、社寺は新興宗教とは違って歴史が古いものという認識が一般的にあって、新しい何かが出来てもそれを新しいと感じるのは物としての質感が新しい間だけで、風雨に晒されて味わいを帯びるともう歴史的な古いものに感じる。それが伝統の重み、強さだ。同様のことは百年ほど経た建物でも言い得るが、日本は近代建築物を重視せず、百年経つ前にほとんどすべてが取り壊される。そうであるのでなおさら社寺は、実際はそうでなくても最低でも百年以上は同じ状態で同じ場所にある。神社の移転があれば、過疎化によって寺が廃棄されることもままあるが、人口密集地域の社寺はだいたいそのままで、それを囲む建物が数十年単位で建て替えられる。ところが大阪市内では木造の寺を壊してビルを建て、その一部を寺にすることがあって、長い歴史を感じさせなくなっている。そういう寺も半世紀に一度建て替えられるとなれば、一般家屋と同じように寺も変化し続けるという思いが一般化し、かえって古臭い木造よりもよいという意見が多くなるかもしれない。話を戻して、
8日に京都ゑびす神社を訪れた時、境内のすぐ南にボーリングの重機が立っていて、付近の建物の変化を改めて知った。境内の南はかなり古い小学校であったが、地図で確認すると一之鳥居のすぐ南は「天才アートミュージアム」とある。これは小学校の古い校舎を使用しての施設で、小学校は現在更地にされ、「カペラ京都」というホテルが建つ予定だ。シンガポールの資本のようで、京都に住む庶民にはほとんど無縁の豪華ホテルだろう。そのようなホテルが建ってもゑびす神社境内はそのままで、たぶん「カペラ京都」が将来壊されることになっても相変わらずの雰囲気を残すはずだ。その確証はないが、有名な社寺は民家や商業施設よりは命をはるかに長らえることは京都では常識だ。そう思っているのでありがたみもある。
だが、それは誰しもではない。筆者が学んだ友禅師は神社詣りを「神頼み」として否定していた。賽銭を投げて願ってもそれが実現すると考えるのはおめでたい話で、虫がよすぎると言うのだ。そこには人を寄せつけず、また弱い人に対する見くびりが感じられる。参拝者はわずかな賽銭で願いがかなうとは思っていない。その願いは自分の普段のこころがまえに対してであって、神の前で両手を合わせたからには、ごくわずかでも自分の内面を見つめたこととなり、願いがかなうように自分の意識や行動を少しでも向ける気になる。それは精神が強靭であればいつでもどこででも出来るが、大多数の人は弱く、自分を鼓舞する施設、機会が必要ではないか。とはいえ、つい先日知り合いの寺の住職の奧さんから電話があって、彼女が「神も仏もないわよ」と言ったことに対し、筆者は全く賛同する。現実は神も仏もなく、それこそ拝金主義万歳の殺伐とした世間であることを誰もが知りつつ、また社寺が賽銭や寄付で成り立っていることを一方で思いつつ、神頼みが気分の安らぎに効果があると考える人がいる。神頼みを嘲笑い、何事も無意味と捉え得ることも人生だが、誰しも人生が無意味であると知りながら、またそうであるからこそ、笑って過ごしたいのではないか。今日の最初の写真は境内北西で、上の写真のように男女が拝んでいた。ふたりは知り合いではなく、男性は女性が去った後、数分その場にいた。女性が拝んだのは八幡神社と猿田彦神社で、なかなか堂に入っていたので初めてではなく、何度も訪れているだろう。男性が拝むのは、立ち姿の角度が示すように、北野天満宮遥拝所だ。男性が立ち去るのを待って同じ場所で撮ったのが今日の2枚目の写真で、かなりせせこましいところに鳥居と、そして3枚目の写真上の金属製の撫で牛の像が右手にある。北野天満宮までバスで30分ほどなので、そこまで行けばいいようなものだが、仕事を持っているとそれはままならない。筆者が「吉」と出たおみくじを結んだのは境内北辺中央辺りの小松天満宮で、そこをお詣りすれば北野天満宮遥拝所で拝むことは不要かと言えば、その男性はどちらでも手を合わせたに違いない。その男性の右後方は岩本稲荷大明神で、3枚目下はそこに見える狐の像だ。十日ゑびすの期間中、境内の隅にあるこれらの小さな祠の前で拝む人は稀のようだが、先の男女は近隣住民で普段よく訪れているのだろう。それが無駄な「神頼み」かどうかは当人たちが決めることで、何が無駄かは人によって考えが違う。フィレンツェに行った時、数十年後、数百年後も同じたたずまいで街は待っていると現地の人が自慢した。それを言えば京都の大半の社寺もそうで、その遺産で現在の京都ないし日本は生きている。現代の日本が数百年後に自慢出来る何かを残すにはどうすべきか。「カペラ京都」が建つことを喜んでいる場合ではない。
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