「
此岸から 渡るを望む 彼岸とは 死の世界かと 迷い悩みて」、「くるくると 巫女舞うにつれ お札舞い 宝きらきら 笹につけられ」、「お神楽を 今年は聞かぬ ゑべっさん 奏でる人の 不在気になり」、「笹買わず 巫女見て帰る 残り福 お御籤の吉 至極納得」
12日の投稿に書いたように、11日は8日に予定していた美術展を見るためにまた家内と市バスに乗って市中へ出た。漢字ミュージアムが閉まっていたので次の予定をこなすために移動し、まず「残りゑびす」に行くことにした。今日と明日はそのことについて書く。とはいえこの神社の十日ゑびすにお詣りすることはほぼ毎年のこととなっていて、もう取り立てて書くことはほとんどない。それで撮って来た写真を投稿用に加工を済ませたが、はたとパソコンのキーを叩く指が止まる。まず今日の最初の写真だが、
10日に投稿した17年前のフィルム写真と比べると、大和大路通りに面した「一之鳥居」とその奧の眺めがほとんど変化がないことがわかる。境内奧の鳥居両脇の松やその鳥居前の出店のテントの形状が同じで、そう考えるとむっと以前とも変わらず、今後も長年変化しないことを思わせる。となれば一度訪れればその時の記憶で充分という気になる。何事も最初の経験のみ新鮮かつ強烈で、それを何度も繰り返すと感動はなくなる。またそうなった時にはそれはそれなりの安定感をもたらして気分よくもある。夫婦の生活はその代表だ。話を戻して、2枚の写真を比べると、筆者はまず鳥居に提灯に目が行った。17年も同じ提灯を使うことはあまり考えられないからだ。この提灯はおそらく十日ゑびすやその他の特別の行事の時だけ吊るされるはずだが、そのようにたまの使用であっても17年の長さでは劣化は激しい。そこで提灯の文字を比較すると、わずかに太さが違う。17年前の字を忠実に真似しようとしながら、差が出ている。それは参拝者のほぼ全員が気づかない。そのことは神社の造形としての特質であろう。古びたもの、あるいは壊れたものを新調する際、以前の形が踏襲される。あるいは多くの人が気づくほどに形に変更が加えられても、すぐにそれは参拝者には馴染みのもとなる。その最大の理由は同じ場所に同じ規模の境内が存続するからで、筆者が神社に注目するのはそのことを思うからだ。ところが神社は移転することはある。京都の千本通り沿いにあった出世稲荷神社がそうで、10年前に地価の安い北部の大原に移った。秀吉に因む神社であったのに、氏子がおらず、老朽化する社殿の維持が困難になった。そのことはこの神社の名前の「出世」とは反対のことと言えそうだが、そこで「貧すれば鈍する」との言葉を使うのは酷いことだ。廃社ではなく、大原に立派な境内の神社として再出発したからにはそれはそれで喜ぶべきことで、そのことを出世と見ることも出来る。当時TVに出て移転事情を説明していた比較的若い宮司に筆者は好感を抱いた。
さて今日の題名の「おみくじ」を家内が引いた。それを筆者は自分の左手にかざして今日の3枚目の写真を撮った。「吉」が出れば「まあまあ」と思いがちだが、「大吉」や「中吉」が出た後に少しもいいことがなければ失望するので「吉」でちょうどよい。「凶」が出ないだけでも「吉」万歳の気分で、一方こうしたくじ占いを信じていないことを思いもする。「吉」と出た時、筆者は昔死んだ友人Nが毎年大阪の恵比須神社にお詣りし、笹も買って帰っていたことを思い出し、そして死ぬ数年前にNが同神社のくじで「大凶」を初めて引いたと語ったことが目に浮かんだ。その時Nは「全く気にしていない」と言いつつどこかさびし気であった。あえて気丈な言葉を発して「大凶」を忘れようとしていたのだろう。当時Nは歯がひどく悪化し、たぶん半分近くを抜いていた。歯の悪さは遺伝すると言われるが、歯の悪い人は寿命が短いはずで、Nは確か父親と同じ年齢で還暦前に死んだ。それにしても同神社で「大凶」の出る確率は非常に小さいはずだ。それを引くのは高額な宝くじに当たったように思えば済むことだが、そのような豪快な人も非常に少なく、凡人は落ち込むだろう。だが何の心配もないと思っている大金持ちでもいつ何があるかわからない。そうであるので凡人が「大凶」を引けばさらに褌を締め直す気分になればよい。くじはくじに過ぎず、現実の「大凶」ではない。強盗に遭うとか金を盗まれる、あるいは交通事故に遭うなどの凶事に遭遇した時、人はおみくじを引いたことを思い出すだろうか。思い出して信心深くなるかと言えば、そうはならないだろう。それはともかく、筆者はおみくじを今日の2枚目の下の写真のように、くじ結びの指定場所に結んだ。ほとんど隙間がなかったので、家内が他の結びを手で向きを変えるなどして確保した場所に結んだ。そうしながら思ったことは今年の筆者の年賀状の図案だ。そこに去年の暮れに岡崎神社で見かけたくじ結びを背景にしたが、その背景に同化する思いもあってくじを結んだ。2枚目の上の写真は舞妓が社務所の前面で笹を参拝者に手渡す様子で、背後で巫女が横たえた笹の束を前に舞っている。その部屋の左手奧に神楽が奏でられていたのに、今年は笛の音色がなかった。たまたまそういう時間帯であったかもしれないが、後継者がいないのかもしれない。写真を小さく加工したのでわかりにくいが、写真右下隅に縦長のスマホ画面が見える。笹を買った70代半ばらしき男性が舞妓のいる様子を撮影中であった。彼が来年も同じように写真を撮るとして、見比べて前述の「一之鳥居」写真の変化のなさと同じことに気づくだろう。舞妓のマスクが外されればまた話は違うかもしれないが、舞妓はどれも同じように見える舞妓で、神社の造形と同じように変化があっても遅々としていて、ほとんど誰も気づかない。それが伝統で、それに異を唱えてもそういう人はすぐに消える。
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