「
蕾々の 沈丁花待つ 春の暖 冬にため込む 飛躍の力」、「雪降りの 予報どおりの 空模様 多肉植物 みな部屋に入れ」、「寒かろう 蘇鉄の葉にも 雪が降り 葉を閉じ結び 傘を被せし」、「大雪で 足元悪し 引きこもり 初天神の 露店も出ずに」
10年ぶりの寒波到来で京都市内も積雪の予報があった。京都盆地は東西が8キロという狭さでも、南北は高低差がかなりあって、北は南より雪が降りやすい。また嵐山で雨が降っても下鴨では降らないといったことはよくあり、京都府南部に雪が降る予報があっても、TV画面上のその境界線は嵐山に関してはかなり微妙だ。今朝の明け方は雨音が聞こえたが、午前中は天気が比較的よかった。雪は降らないと思っていたのに、昼下がりから嵐山上空に暗雲がたちこめ、やがて霰が降り始めた。それが雪に変わったので10数鉢の多肉植物を部屋に入れ、蘇鉄は葉を上方で閉じて紐で縛り、中央にビニール傘を立てた。雪の中、その作業をすると筆者は雪だるまになって家内に悲鳴を上げさせた。びしょ濡れのセーターを脱がされ、寒さを感じつつストーヴのない気温5度の3階に戻って読書を始めた。先日隣家で見つけた会田雄次の『よみがえれ、バサラの精神』を先ほど全部読み終えた。昭和の最後に出た本で、現在の日本を正確に言い当てているが、同じことは当時のまともな知識人ならみな思っていた。そのまともな人がますます世間に埋没し、そして政治家から評論家、自称学者まで小粒連中が跋扈し、日本の没落を早めているが、そのこともいつの時代のどの国にもあることと思って筆者は諦めている。知識人が世論を率いることはきわめて珍しい。つまり知識人は何の役にも立たないが、その無益さはまだ喜ぶべきことだ。前述のTVやネットの魑魅魍魎的有名人は害毒を撒き散らすにふさわしい顔つきをしている。会田が同書で言いたいことのひとつに、数百年以上後に世界から日本の代表的建築物と言われるものを一般人の批判があっても建てるべきというのがある。筆者もそれにはある程度賛成だが、宗教が力も美意識も持たないではどういう建築物が可能か。64年の東京オリンピックの競技場を壊すような日本は、建物に莫大な金を投入し、それを世界に誇る思いはもう持っていない。それで会田が書くように、50年で建て替えるビルばかりが増殖するが、その現実は今が楽しければそれで充分という、まあ強いて言えば蟻や雀並みの人間性ゆえで、それは言い換えればそれだけ自然という屁理屈もまかり通る。会田は同書で「考えることは楽しい」と言い、筆者はその点は大いに賛同するが、考えても仕方ないと主張する人間が大多数を占めている。考えが行為に結びつき、世の中をいい方向に変化させればいいが、何が将来の国の顔となる歴史的遺産になるかは予想がつかない。とはいえ会田の同書は天気予報以上に精確で、筆者はTVに出ていた彼を思い出しながら学びの重要性を思う。
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