「
審議して 疑心暗鬼か 安心か みなで決めても 肝はキモくも」、「胸騒ぎ 焦りて競れば 虚しけれ 心鎮めて 沈めよロココ」、「先進の 国に目立つか 真の美女 シンガポールの 進歩ガールは」、「流されて 元に戻して また流れ 積んで崩され 詰んで腐れて」
今日は3月に撮った写真を全部紹介する。昨日と同様、同じ日に撮った写真は縦長のひとまとめにした。最初の4枚連続は3月5日で、その一番上のみが「……河床工事」の投稿用に撮った。他は全部「渡月橋上流左岸河道整備」のためのものだが、3枚連続の2枚目は12日の撮影、4枚連続の3枚目の写真は31日で、どちらも「……河床工事」だ。3枚目一番上の写真では桂川沿いの枝垂れ桜が満開になっている。本来はこうした土木工事は年度末までが工事予定だが、今年は3月末までに終わらなかった。それで明日は4月に撮った写真を載せる。今日の最初の写真の一番下は渡月橋北詰めから上流を向いて撮った。目前が道路の敷石敷設工事中で、またその上の渡月橋から撮った写真では、観光客がぽつぽつと眺めている様子や人を乗せた赤い座席の人力車がわかる。コロナであっても桜が開花すれば観光客は必ず押し寄せる。そういう中での大がかりな工事は無粋だが、観光客にとっての見物は対岸の嵐山で、写真からわかるように右岸側の川べりに桜はない。昔は渡月橋北詰め付近に45度くらいに傾いた大きな松があったのに、10年ほど前に消えた。それがなくなった当初はえらく殺風景に思ったのに、なくなればなくなったですぐにその景色に慣れる。その松は明治大正の絵はがきの写真にもあったほどの名物であった。それが今はほとんど誰も知らないとすれば、嵐山地区がさらに変貌しても誰も何とも思わないことになりそうだ。そう言えば天龍寺前のJR嵯峨嵐山駅に向かう商店街沿いにあったお好み焼き店は、筆者が知る限り、30年は営業を続けたのに、先日暖簾や提灯が撤去された。現在そのままだが、来年には別の店が入るか、建て替えられるだろう。コロナのせいと想像するが、経営難や後継者がいないことで店舗が消えることは仕方がない。その伝で言えば前述の斜めに立っていた大きな一本松がついに消えたこともそうだ。これは後日紹介するが、同じように斜めに立って道路に覆いかぶさっていた大きな松が、先週だったか、切り株になった。もったいないことだ。その原因を作ったのは筆者の想像によると大型車だ。今日の写真の「河床工事」では重機以外に10トン・トラックが頻繁に土嚢や土砂を運び、渡月橋を南下して中の島公園に入る。バスが通るのであるからダンプカーが走ってもいいのだろうが、渡月橋でも松尾橋でもそれが通ると橋は揺れ、歩行者は時に地震かと勘違いする。仕方ないで済ましているが、バスやダンプカーの大型車の走行は松尾橋だけにしてほしい。ただしそうなれば市バスの利用者は困る。
2枚目の写真からは渡月橋のすぐ下流の河床が昨日の写真とは違ってきれいに修復されているのがわかる。残るは土嚢で囲った部分で、3枚目の写真からわかるように、3月12日から31日まで工事があまりはかどらなかった様子がうかがえる。雨が多かったからだろう。渡月橋の中央に立ってこの工事の様子を眺めるのは案外楽しい。寒さが我慢出来る幼稚園の男児なら喜ぶだろう。広々とした川の中を2,3台の黄色い重機があちこち走り回り、それにつれて2,30羽の白鷺が舞い上がったり、群がったりする。毎年のように堰を形成する蛇篭の列の崩れ箇所を補修する工事は不経済のようだが、見栄えを考慮すれば蛇篭以外によい方法はないだろう。それに蛇篭は鮎などの魚のためでもある。渡月橋下流から松尾橋にかけては漁業組合の組織があり、釣るための許可料金を支払わねば勝手に川に入って釣りをすることは許されない。だがそのことを知らないのか、たまに渡月橋南詰めのすぐ下流の岩に乗って釣りをする人を見かける。中の島の太鼓橋付近でもよくそうした人がいて、小1時間で数十匹を釣ってバケツに入れて持ち帰るのに、そうした違反者が見つかって罰金を払ったニュースを聞いたことがない。そういう釣り人からすれば、自分が釣らないでも白鷺が毎日大量に食べているとの理屈だろう。今年筆者は甘く煮た子持ち鮎をある人から数匹いただいて食べたが、無断釣り人は自分で食べるか売るかして、誰も困っていないと思っているのではないか。話を戻して、毎年のように蛇篭を補修するとして、その蛇篭の構成や配置を改善すれば同じ大量の川の流れに対して少しは破壊が免れるのではないか。たぶん国交省はそのことを考えているだろう。少しずつ改良を加えて少しでも長持ちする方法がないものかと工夫するのは当然のことで、その実験と言ってよいデータがここ数年の工事で蓄積されていると思う。そういう地道な改良、工夫があってもいわゆる想定外の豪雨があるとひとたまりもないが、それはそれとしてひとまずは見栄えが悪くなった箇所は修繕しなければならない。それは人間にたとえると虫歯を治療するとか、具合が悪い部位にしかるべき治療を施すことだ。ただし短い寿命の人間と違って渡月橋付近の川の流れは永遠に続くので、補修工事も同じように続ける必要はある。そのごくごく一部を筆者は目の当たりにしているが、筆者が知るこの40年ほどでも渡月橋を含めてその付近はかなり眺めが変わった。同じように見える嵐山自体もそうであるはずで、植生は変化している。嵐山から上流にかけての山は国有林以外、筆者の地元の自治連合会が所有し、関係者は毎年山に入って雑木林の管理と清掃をしているが、高齢化でそれがままならず、荒れるに任せるしかないと聞く。そうなればいずれ渡月橋から眺める嵐山は無残なことになりかねない。
さてこれは書こうかどうか迷っていたことだが、本ブログの日記的側面を考慮して簡単に書いておく。人間の体は老化すると川の流れの蛇篭のように破壊されがちになる。筆者は割合頑健であると自分で思っているが、10月に背中の両下部がどんよりと重くなり、立ち座りがやや困難になった。何が原因かわからぬまま、医者に診てもらわず、薬を探すのでもなく、さらにはネットで調べもせずに1か月ほど過ごした。そうしてある日、その重い鈍さを過去に経験したことを思い出した。30年ほど前か、医者に診てもらうと尿管に小さな結石が溜まっていると言う。そしてそれを軟化させる薬を飲み続けると2,3週間で尿に混じって黒い砂が出始めた。それから1、2週間後に背中下部の重みが消えたが、医者からプリン体の多い食べ物は控えるようにと言われ、ビールや数の子、たらこなどはなるべく避けることにした。ところが先月の背中の違和感は食べ物からは思い当たる原因がない。そこで筆者は普段以上に水分を多く摂り、尿をたっぷり勢いよく流すことにした。すると予想どおり、数日で背中下部のどんより感はすっかり収まった。だが油断は出来ない。次に家内のこと。家内は春からリウマチの痛みを抑えるために1本6万円の注射を月二回自分で打つことになった。ところが先月中旬、病院での検査の結果、医者は即座にその注射を止めさせた。好酸球の数値が異常に高くなったからだ。そしてコロナワクチンも打つなと言われた。その数値の上昇の原因を調べると、7,8年前か、肺の手術をしたのにまた同じ菌が増殖していることがわかった。現在は肺の様子を観察中で、手術はたぶん無理であろうから、その特殊な菌を殺すための薬を飲むことになるだろう。その薬もまた非常に高額で、しかも飲むことに嫌悪を催す味らしい。肺の状態がほとんどよくなったというのに、リウマチ治療の注射によって治癒したはずの肺がCTスキャンでは真っ黒な影で覆われている。ある病に劇的に効果のある薬が、ある病を復活させる。それは不思議なことではない。自然も人の体も各部分が密接につながっている。ある部分だけ修理すれば、別の部分に影響を及ぼして当然だろう。渡月橋のすぐ下流の蛇篭を並べた堰は、いっそのことコンクリートで固めてしまえば毎年の修復は不要になるだろう。しかし思いも寄らない変化がどこでどう生じるかわからない。景観や生態も含めて渡月橋付近の工事はせねばならず、徹底的な改造ではなく、毎年補修することに留めるのが無難かつ理想ということだ。それで冬場になると川に入り込んで動き回る重機を嵐山の新たな観光資源として逆手に取って大いに宣伝するのはどうか。渡月橋の上からならパノラマの工事の様子が楽しめるが、中の島公園のベンチからでも充分面白い。親子連れで一度訪れるのがよい。嵯峨の竹林ばかりが人気スポットではさびしい。
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