「
錐を見ず 半世紀経ち 手にドリル 便利は不便 常に伴ない」、「ぼんやりと 過ごすがよきや 幼児は 促成育児 味なき人に」、「撮りためた 写真使わず 年の暮れ 記憶をたどり どうにか消化」、「約束を 守るは自己に まず最初 それが出来ずに 人にいい顔」

今日の3番目の歌にあるように、今春撮ったままになっている写真を今日から3日連続で投稿する。
5月9日以来の投稿で、本来は5月中に使うべきであった。現在とは季節感が全く違うが、改めて写真を見ると撮った時の心の動きは蘇る。つまり筆者にとっては愛着がある。そのことは他者には伝わらず、全くの自己満足だが、それでいい。他者を喜ばせることは誰しも好きだろうが、筆者は見知らぬ他者には興味がない。先方も知らないのであればあたりまえの話だ。また知っている人からどう思われたところで筆者はそのことがわからない。ごくたまに嫌われていることを知るが、相手を馬鹿と思って相手にしない。それはともかく、10か月ほど前に撮った写真を見ながら、懐かしいというのではないが、過去が何となく愛おしい。それらの写真はほとんどすべて家内と嵯峨のスーパーへ行くついでに撮ったものだ。家内と仲よくと言うほどのものではないが、あれこれ話をしながら往復2時間ほど歩くのはそれなりに楽しい。そのごく平凡な日常が渡月橋を中心とした工事現場写真の背後に存在している。そのことはこうして文章で明かすのでこれを読む人はそのように思いが誘導されるが、一方で筆者の説明抜きで見てもその人はかなり同じような思いを抱く気がする。これは写真に撮影者の思いが反映されるからと言いたいところだが、筆者は他者にはなれず、どのようにそれらの写真が思われるかはわからない。それででもないが、前述のように家内と買い物に行く途上で撮ったとわざわざ書いた。そのことは、10か月前の写真から筆者が最初に思い出すことは家内との嵯峨への買い物で、そのごく普通のありふれたことが最も愛おしい気がするのは、写真を撮り、それを見るからであって、写真にはそういう特別な力があると思う。ロラン・バルトの写真論を昔読んだが、写真の背後にある撮影者の生活に関しては考察がなかったと思う。それは写真そのものから伝わることとは根本的に違うという考えからだろうが、写真撮影も自己表現で、写真には撮影者が撮る瞬間に全く意識しない普段の生活の思いも宿る気がする。ただし繰り返すと、筆者は自分の写真にのみそう思うのであって、他者が撮った写真からその人の人生、生活を推察する趣味はない。結局何が言いたいかと言えば、ただのたまたまの工事現場写真でも、撮った筆者には愛着があるということだ。それでこうしてどうにか年内に投稿してしまおうと考える。それに筆者以外の人にも記録写真としての価値はわずかながらもあると想像する。撮影日を記すので、その日に嵐山を訪れた人が見れば思い出が蘇るだろう。

撮りためた写真はほかにもたくさんある。以前そのことについて触れたように、最も多いのは神社の写真だ。その次にこの「駅前の変化」のカテゴリーに使うべき数年前の写真で、それらはもう投稿の機会が絶無に近い。それらとは別に未完にしている『おにおにっ記』用の写真があり、これは現在も新たに撮っている。さて今日から3日連続で使う写真はすべて500×360ピクセルに加工を済ませてグーグルのマイドライブに保存している。ところがどういう画像があるのか半分ほどは忘れている。先日「風風の湯」のすぐ近くの中の島公園に架かる太鼓橋がまた工事が始まるとのことで、その立て看板が出た。そして自転車道路沿いに小さなプレハブの事務室が置かれ、大きな土嚢が2,30個ほど並べられた。現在工事は始まっていないが、毎年恒例の年度終わりの土木工事のひとつで、観光客が最も少なくなる頃を見込んでのことだ。渡月橋のすぐ下流の蛇篭を組んだ堰も大雨によってあちこち崩れている箇所があって、そのうちまた重機が川に入って作業を始めるだろう。そうなればまた写真を撮るから、今のうちに今春撮ったものを消化してしまおうと考えた。枚数が多く、投稿は10日ほど要しそうで、それでは多過ぎる。またexciteブログの画像容量が満杯の1ギガに年内に達するはずで、少しでも画像容量を減らしたい。それでさきほど画像をマイドライブからダウンロードし、全部縮小し、同じ日の撮影は縦長の1枚にまとめた。最初に500ピクセルを半分の250にしたところ、見栄えが悪く、300にした。そのサイズで3枚続きで本来の1枚と同じほどのバイト数になる。全部で8枚あり、これを3日に分けて投稿する。今日は2枚とも2月25日の撮影で、最初の3枚続きは渡月橋の上から上流左岸の工事を捉えている。上流に黄色い重機が入り、中央写真からわかるように、渡月橋付近では測量のスタッフを立てて地面の高さを測量中だ。2枚目は2枚続きで、いつもは500×360にしているが、今回は500を300にすることに統一した。上が中の島公園から、下が対岸の桂川左岸からの撮影だ。渡月橋のすぐ下流の堰がところどころ大きく崩れていて、中央辺りに黒い土嚢が積まれてて川の流れを堰き止めている。蛇篭の改修は中の島側からで、これは重機が入り込むには右岸がいいからだ。右岸しかあり得ないと言ってもよい。その理由は地図からわかる。右岸から順に蛇篭を新たに組み、それを破損した箇所に据え変える。冬場は渇水期なので、こうした工事をするには最適な季節だ。TVで渡月橋はしばしば映り、その時のこのすぐ下流の堰の状態からいつ頃の撮影かがわかる。つまりTVで写る際は必ず橋からすぐ下流が丸見えで、荒れた様子を電波で伝播させることはまずい。そう考えて毎年のように工事するのは日本の代表的な景観であるからだ。
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