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●アクセル・ムンテ著『記憶と頓狂』第2章「パリの地平からの玩具」の中間部
え立つ 山になぞらえ ピラミッド 円錐削り 人知を示し」、「猿と人 違いは作る 技術かと 科学知らずも 気づき手を見る」、「小枝見て 指動くさま 気味悪し 百閒も言い 生は奇怪」、「人形を 愛でること知る 中年の 男さびしき 埃の部屋に」
●アクセル・ムンテ著『記憶と頓狂』第2章「パリの地平からの玩具」の中間部_d0053294_14074488.jpg
10月27日の投稿に、末永氏が翻訳した『純情の記録』、『人生診断記』では原書第2章の中間部が省かれたことを書いた。また昨日予想したが、末永氏は本章の長い段落を二分割し、それが二か所ある。省かれた箇所はその前後で文章の辻褄は一見合っているが、それは元の言葉をいじくっているからでもある。彼女が省いた理由は当時の日本の政治と絡むかと想像したが、そうでもない気がする。本書は普仏戦争後に書かれ、その戦争後のドイツに対する感情が盛られている。末永氏が訳さなかった第10章『カプリの政治的扇動』は特にドイツ人が徹底して皮肉られ、本書がドイツでは売れなかったことを想像させる。ムンテはパリで医学を学び、イギリス人女性と結婚した。ムンテの著作はみなイギリスから英語で出版されたが、母国のスウェーデン語で書かれたものを英語に訳した本もある。ムンテはパリの女性を軽薄とみなして尊重していなかったことが著作からわかるが、本書第2章ではパリの娘にはドイツ女性にはない洗練された美と品のよさがあることを書く。そしてそのことが人形に反映されているとの見方だが、一方で最も安価な人形こそがルーヴルにあるどの美人画よりも美しいとし、筆者はその箇所を読むたびに涙が滲む。ともかくムンテの人形への開眼は最高級のフランス人形からで、その後下層階級向きの廉価な人形へと関心を移し、ついには最低級の1個13スーのパルプ製の手足のない人形の美を見出す。フランスのビスクドールは日本でも多くの愛好家がいて高値で取り引きされているが、150年ほど前のわずか13スーの人形はおそらく現在はひとつも残っておらず、あっても非常に高価ではないだろうか。幸いなことに末永氏はその最も安価な人形についての箇所は訳している。筆者は中年になって伏見人形に関心を抱き、現在は大小新旧合わせて100個は持っているが、人形への関心は突然湧き起り、たちまち夢中になる。ムンテもそうであったと思う。それは芸術鑑賞の心があってのことで、また一歩進んでその造形の背後に、伏見ならその土地柄、あるいは大きく見て日本の国柄が見え、興味の範囲はどんどん広がる。ムンテもそうで、本書第2章では普仏戦争後のフランスとドイツの玩具事情を書く。その点が末永氏には日本の読者には不要と思えたのかもしれない。以前に書いたが、昭和30年代前半の日本の週刊漫画雑誌には戦闘機や船のプラモデルの広告が必ずと言ってよいほどに裏表紙にあったし、戦争を主題にする漫画も目立った。つまり戦争に参加した国は、戦争後の玩具に愛国心が刻まれる。本書第2章からそのことを思い出す。
 本書の『序に代えて』は、貴族の女性が貧しい子どもたちが人形ひとつ満足に得られないことをムンテから指摘され、彼女が手作りの人形をたくさん作ることの喜びを知ることが書かれる。そのことが本書第2章と呼応し、本書はムンテの人形への関心とそれを貧しい子どもたちに届ける優しい思いが大きな柱になっている。前述のように筆者は伏見人形が好きで、またキティやディック・ブルーナの兎のイラストが日本の紹介された時、いち早く関心を抱いたが、そうしたかわいい形の造形物にムンテも魅せられていたことを本書で知り、なお筆者は末永氏と同様、ムンテを身近に感じる。『サン・ミケーレ物語』ではわからないムンテの別の人柄が伝わるところに本書の価値がある。同書を愛読する人は一読すべきと思う。筆者が全訳し、また筆者の思いも併せて載せる本を今は夢想しているが、1871年にフランクフルトで講和条約が締結された普仏戦争やそれにまつわるフランス人のガンベッタの行為、また戦争後のヨーロッパ事情へのある程度の知識がなければ楽しめない部分を含み、筆者としても知識不足で、以下に載せる訳文もすべてが自信あるものではない。一か所書いておく。「Competition has led the Article de Paris to a commercial Sedan,」は「Article de Paris」がイタリック体で表記され、当時のパリの雑誌や新聞がこぞって「Sedan」を有名にする記事を書いたことを意味するだろう。ヘルマン・ヘッセの1906年の小説『車輪の下』に「セダンの祝日」を祝うことがわずかに書かれるように、「Sedan」は自動車のセダンのことではなく、普仏戦争で1870年から翌年にかけてフランス軍がプロイセン軍に大敗したフランス北東部のアルデンヌ県にある街のセダンのことだ。また後にドイツはその勝利した9月2日を「セダンの祝日」として1919年まで記念日とした。ところで、筆者が訳して先月10回に分けて投稿した3章分の原書の頁数と筆者の訳文の字数を比較し、それを末永氏の翻訳の字数と対照させると、末永氏は筆者の倍ほどの言葉を費やしている。つまり『純情の記録』の全200頁は筆者が全文を訳しても120頁ほどに収まる。次に末永氏が第2章から省いた箇所の全訳を載せるが、彼女はその冒頭の一行を「どうも陰鬱な気分である。―フランスは全戦線で退却せねばならぬらしい。」と訳している。これでは原文を理解していないと思われても仕方がない。ムンテは普仏戦争で敗れたフランスは形勢が悪いと見ているのであって、その雰囲気がフランス人の表情に出ているともほのめかしている。その他原文の言葉を無視している箇所も目立ち、やはり筆者が全部を訳し直したい気がするが、手に取る本の形にしたいので、ブログでは今回が最後の紹介とする。

 見込みは暗い―フランス人は全く退いている。
 しかしフランスは絶対に絶滅させられないだろう! そしてフランスのブリキの兵士の魂の深さを測るならば、規律にしたがった備えの下に隠れている、ガンベッタにより地球の外から集まる志願者を鼓舞する復讐の同じ輝かしい夢を見出すだろう。フランスのブリキの兵士は東を向いている。彼は異邦人の侵略を確認するには依然として無力であることを知っている―彼はフランクフルト講和条約第4条に縛られているが、好機を待っている。(*1)
(原注*1)ドイツの玩具は1871年以降、百キロ当たり60フランのみの税金を支払う。
 そして復讐は近い。この度も蜂起の合図は、玩具世界のガンベッタによってベルヴィルから与えられて来ている。何年か前、ベルヴィルの貧しい労働者は突然閃いた。その霊感はその時以来、恒久的な平和の夢を実現させる軍隊を生み出し、そして数字のみ問うことで全ヨーロッパの組織された軍隊を管理している。彼は年に五百万の兵士を立たせる。これらの兵士の起源は謙虚だが、それはナポレオンの兵士も同じであった。彼らは古い鰯の箱から跳び出て来る。鰯の箱はゴミの山に投げられ、ゴミ拾い人によって消滅から救われる。彼はそれをベルヴィルやビュット・ショーモンのボロを扱う商人に売り、次は彼が工場のために用意する専門家にそれを売却する番となる。戦士は箱の底から切り取られる。蓋と側面は銃や鉄道車両、救急車などの製造に使われる。これらすべては一見全く重要でないと思われるが、ベルヴィルでは大きな工場が古い鰯の箱の活用のこの着想を根拠とし続けて来ていて、200人を下らない作業員が従事して毎年20億以上のブリキ玩具を製造する。先日そこに行くと、誰も私が政治的特派員であるとの疑念を持たず、容易に巨大な武器庫と500万の戦士を眺めることを認められた。考えずに鰯の箱から完全武装したブリキの兵士を跳び出させた貧しき作業員は、今や金持ちで、それ以上のものだ。彼は自己の本分において彼の国家に充分値する熱心で慧眼の愛国者だ。長年の退却を経てフランスのブリキの兵士たちはもう一度前進する。ドイツの角兜はクリスマスごとにフランスの子ども部屋での支配地から撤退する。そしておそらく三色旗が、大きな復讐を待ちながらの小さなそれとして、ベルリンの玩具店にはためく時はそう遠くないだろう。
 陥落したフランスの首に敵が踵を置いて以来長年が経過したが、今日もなおパリは文化の大都市だ。「パリの記事」は競ってセダンの街を有名にした。そして財政の観点から「パリの玩具」はもはや玩具の世界に強大な力を持っていない。しかしパリの人形は決して彼女のドイツの競争相手の優位を認めないだろう。彼女は額に高貴の刻印を有し、そして議論の余地のない階級の正統性と芸術的洗練により、依然として人形界の規範の意味を持っている。ニュルンベルクかハンブルクの鈍い美人のひとりから、色っぽい笑みを持つ優雅なパリ娘を直ちに識別するのに、人知はごくわずかしか必要でない。ためらうべきであるならば彼女の両脚への一瞥で充分であろう―パリ娘の足は小さくて上品で、いつも確かな優雅さで靴を履いている。一方、ドイツ娘は特徴として履物に注意を払わない―それに関しては我々も同じだ。彼女の衣装戸棚の残りについては、ドイツは、彼女の50億の大部屋保障にもかかわらず、趣味のよい人形のトイレを生産する能力がない。パリの女性従業員の繊細な指はこれのために必要とされる。それゆえドイツの衣装人形に適した物は、パリのいくらか価値ある人形からその衣装を輸入することが検討されている。私はあなたに「我々の間では」真に区別されたドイツの人形はその衣装がパリに送られず、頭もそうだと言うことさえ出来る。ドイツの人形の製造は、かわいらしく表情豊かな顔を作る能力がなく、モントルーやセント・モーリスの磁器工場から小売りされる、カリエ‐ベルーズやその他のような第一級の芸術家が造形する人形の頭部を買う。
 今までは私は人形社会の上流階級に自分を閉じ込めて来た。だが1個当たり10から15フランの裕福な中流階級の人形の間でさえ、ドイツとフランスとの間の差は一目で明白だ。さらに社会のより低層へと下ると、人形の中産階級において、国民的な型はより明確ではなくなる。しかし、私のフランスの友人が1個5フランの人形の間でさえ認識することに私は責任を負うつもりだ。1フランの人形の国民性を決定するには、豊富な予備知識と多大な生来の素質を持つ必要がある。これら人類学のまだ曖昧な領域を探索する未来の者を利するために、私はここで必要な物理的検査における重要な項目を指摘してもよい―人形を揺すってみることだ。内部でカタカタと音がすると彼女はたぶんフランス製だ。というのはこれらの人形を作るパリの女性従業員は人形の内部にいくつかの小石を入れる習慣があるからだ。私は生体解剖への嗜好を発展させる傾向があると若い世代の間で言われている。

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by uuuzen | 2022-12-07 23:59 | ●本当の当たり本
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