「
桶の水 足りぬと知りつ 汲み置くは 初期の消火を 忘れぬために」、「檜桶 プラに代える温泉は 庶民に合わせ 軽くて安価」、「用心を し過ぎるはよし 火の始末 燃やすは心 身焼かれるまで」、「火伏せ神 遠近法で 並べけり 家事をする者 火事を起こすな」
今日は京都市内の展覧会を三つ見るつもりで出かけた。その最初、市バスを乗り継ぐために円町で下車し、その交差点に向かって丸太町通りを西に歩き始めた時、東方向からサイレンが聞こえ始めた。そして消防車と救急車が合わせて4,5台交差点を折れて北に向かうのが見えた。交差点西北のバス停で北方面のバスを待ち始めると、さらに消防車が南や西から続々とやって来る。火事は近くかと思っていると、その焦げ臭い煙がバス停まで流れて来た。その時に北を向いて撮ったのが今日の最初の写真だ。円町の交差点から北100メートルほどの東で、黒煙がもくもくと上がり続ける。交差点には西洋人の観光客を含めて20人ほどいたのに、誰もその火事に関心を寄せない。写真には男女の後ろ姿が写っているが、彼らは野次馬として火事の現場に歩き去ったのではなく、たまたま北方面に行く用事があったようで、筆者が見渡す限り、火事を眺めている人はいなかった。バスがやって来て筆者は火事の現場が見えやすい東向きの座席に座り、そして煙を上げている家が確認出来る横筋の道を一瞬覗き込んだが、近所の人らしき野次馬は数人であった。その場面を見た頃は最初にサイレンを聞いてから15分ほど経っていたが、煙はほとんど白くなり、鎮火したのがわかった。出火は西大路通りに面した家から一軒奧の古い木造住宅に見えたが、古い建物では漏電あるいは老人が住んで火の始末が悪かったと想像される。TVでニュースにならなかったのは人が死んでいないからと思うが、新年早々の火事は気の毒なことだ。筆者も気をつけねばならない。3階にストーヴがないので、息子がアパート住まいで使用していた扇風機型の電気ストーヴを、たっぷりこびついている埃を取り除くために少々分解掃除をし、試しに使うとスイッチが利かない。コンセントにプラグを差し込むとすぐに1600ワットで温まったのはいいが、同時に焦げ臭く、慌てて電気コードを抜いた。家内は処分しろと言うが、確かにそのほうがよさそうだが、天気のいい日に裏庭に出し、そこで10分ほど使ってみて安全かどうか確認する。20年ほど前、仕事で使っていた電熱器のコードから火が吹いたことがある。その時は不思議に落ち着いていて、スイッチを切り、コンセントから抜いて事なきを得た。今日の2枚目の写真は3階に置いている京都の民間信仰の「火伏せの布袋」像で、上の写真中央の煤で真っ黒になった2体の立像はたぶん明治時代の作で、比較的珍しい。宝珠型の土鈴は蚕をネズミから守るためのもので愛知の美江寺で昔授与されていた。筆者はその造形が大いに気に入っている。
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