「
給付金 あてに暮らすや 高齢者 体は元気 することなくし」、「天国に 入れてあげたき 弱き者 神は見つめし この世の過酷」、「一羽二羽 兎の跳びは 鳥と見し 肉のうまさも 鳥に劣らず」、「天敵の なきヒトの敵 ヒト作り ウォーと叫んで 銭のサイドに」
初詣に行こうかと家内が誘うが、たぶんどこへも出かけない。10日までだったか、阪急の乗り放題1日チケットが1000円で売られているそうで、それは安いので神戸方面に出かけてもいいかと思わないでもないが、生田神社や長田神社、それに西宮神社など、目ぼしいところはみんな訪れたことがある。そう言えば広田神社はまだだが、駅から少々外れるので家内は嫌がるだろう。そんな話をつい先日「風風の湯」の常連の85Mさんに言うと、清荒神や妙見さんも含めて阪急阪神沿線の有名は社寺はとっくの昔に全部行ったことがあるので、初詣で出かける気がしないとのことで、まあ85歳になれば誰でもそんな気分になるのではないか。嵯峨のFさんももう10数年は初詣していないと言う。初詣は若いカップルのためのものかもしれない。神社の境内にはよく今年は厄年に当たるかどうかを示す立て看板があるが、還暦を過ぎた年齢は表示されていない。還暦以上生きることはおまけ、儲けものであって、それだけでも厄とは無縁という意味合いなのだろう。それは言い変えればいつ死んでも文句を言うなよとのことだ。それはさておき、去年12月30日に岡崎神社にたまたま訪れたのは昨日書いたように年賀状の図案を思ったからだ。今調べると岡崎神社には2016年の8月中旬に家内と訪れている。その時に撮った写真はブログに使わないままになっている。それを言えばたぶん数十の神社を訪れて撮影しながら投稿の機会がない。今日の写真は2016年8月に撮ったのとは違う写真で、これは撮影しながらそのことを知っていた。6年前のことでも案外よく覚えている。それは撮影する時はそれなりに被写体を選び、角度を一瞬で決めるからでの、その自分好みの選択はそう簡単には忘れない。今日の最初の写真はに面した大鳥居をくぐって20メートルほど先、なだらかな階段の両脇にある。見るからに新しく、2016年にはなかった。丸太町通り面した大きな看板の文字はバスの中からもよく見え、手水舎のそばに黒御影石の兎の像があると書いてあったが、その像は2016年に撮影した。去年12月30日はそこまで行かず、今日の最初と2枚目の新たな兎像を撮って満足した。岡崎神社の本殿前には狛獅子の石像があるが、兎で有名な神社なので、まずは一対の兎像をということになったのだろう。もっとも、2016年撮影の写真を見ると、狛獅子の手前にある兎の石造は今日の写真のものと違って筆者の思いを言えばもっと出来がよい。その兎像よりさらに手前つまり南側に新たに建てられたのが今日の写真の一対の兎で、阿吽を示すように右手の兎は口を少し開けている。
それを見た時、年賀状の図案に使えないと思った。左右対称の切り絵では片方の兎が口を開けるようには作れないからだ。それでも図案作りの参考になるので横と後方からも撮影した。3枚目の写真は大鳥居付近の提灯だ。その表側の図は陰陽は逆だが、今日の最初の写真の石造の支柱の中央にも円形の中に彫られている。それよりも目を引いたのは裏面の兎の正面顔だ。ほとんどミッフィーと同じ図案で、どちらが古いのか気になる。兎はいつの時代の誰が描いても耳を長くすることが決まっているようで、「ベルリンの画家」の壺絵にも兎は描かれる。運動競技の勝利者が獲物としての兎を二本の前肢を紐で縛った状態で腕からぶら下げる図で、兎は真上から跳躍する姿で描かれ、長い耳は後方に垂れている。その左右対称の描写は「ベルリンの画家」が描く図像では珍しい。筆者はそれを左右対称の切り絵の図案にしようかと一瞬思いながら、紐で縛られた、たぶん死んでいる状態では年賀状にふさわしくないと考え直した。話は変わるが、筆者が年男の24歳になる年度の年賀状はスケートにマフラー姿のミッフィーを描き、当時交際中の家内に送った。しかも2枚だ。それぞれに異なる絵を描き、2枚セットの意味合いがあった。後年その年賀状を実家に置いたまま家内は家を出て筆者と暮らし始め、そして実家の家内の持ち物は処分されたのでもう存在しないが、筆者はどう描いたかを覚えている。当時はまだミッフィーとは呼ばれておらず、ディック・ブルーナという画家の名前だけが知られ、商品のキャラクターに採用されていた。彼の絵が日本で大きな人気を得るのはもっと後年で、そこには無抵抗な兎をかわいらしいと思う日本の「かわいい」文化の大流行が寄与した。一方、猫のキティがキャラクター化されたのはディック・ブルーナのうさぎや子どのもキャラクターが紹介されて以降で、これは以前書いたことがあるが、筆者は1985年頃に京都高島屋でキティを象った高さ50センチほどの座る姿のキティ内部が灯るランプを買い、妹にプレゼントした。当時はまだキティの認知度は低く、そのランプは初期の商品化であったはずだ。妹は子は男ばかりの3人で、そのかわいらしいランプを理解せず、投げ合ったり、蹴とばしたりしてすぐに壊れてしまった。その頃には筆者はすっかりキティに関心がなくなったが、変わって伏見人形に開眼することになる。今年の年賀状の兎は伏見人形のそれをアレンジし、またあえてかわいらしくない表情にした。波頭に追われる白兎を描こうかとも考えたが、それであれば今日の3枚目の写真の右の振り返りながら走る兎が使えるかもしれない。兎が波に追われる姿は津波からの逃避を連想させ、それで年賀状にふさわしくないと思った。そう言いながら筆者は常にさまざまなことに追われていて、走りながら休んでいる。誰でもそうで、それが人生ということだ。
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