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●『ベルリンの画家とその世界(THE BERLIN PAINTER AND HIS WORLD)』続き
を足し 足るを知るとは 鍋事と 事を荒げず なるほどと聴け」、「入れて出す 人と器の アナロジー 空っぽ虚し 役目果たさず」、「中学の 美術の授業 思い出し 吾古稀過ぎて 心変わらず」、「俗人の 聖知らずは 世の常と 俗な思いの はびこる世間」●『ベルリンの画家とその世界(THE BERLIN PAINTER AND HIS WORLD)』続き_d0053294_23543944.jpg 昨日投稿した最後の画像のアンフォラは女神のアテナで、本書の背表紙の上部にはその顔の部分が印刷されている。カタログ番号は5で、スイスのバーゼルにある古代美術館が所蔵し、高さは蓋込みで79センチ、裏面にはアテナが手に持つ壺から平鉢で水を受け取るヘラクレスが描かれる。発見時は150の欠片で、それらをつなぎ合わせて修復された。「ベルリンの画家」と命名されることになったカタログ番号4が今日の最初の写真のアンフォラで、ベルリン美術館にある。表はサテュロスと女神のヘルメス、裏面には同じく弦楽器のバルビトス(barbitos)を持つサテュロスが描かれる。ヘルメスは羽根が生えた靴を履き、鹿に水を与えようとし、前面のサテュロスは振り返って裏面のサテュロスを見つめていることを思わせる。裏面は単身像を特徴とする「ベルリンの画家」らしいが、表側は鹿を挟んでヘルメスとサテュロスが前後に重なり、複雑な構図を作っている。ヘルメスの衣服の襞が裸のサテュロスの胴体を覆うかのようにリズミカルに下方へ垂れ、また鹿が上を向くので、全体として円環構図を形成する。やはり多くの欠片の状態で発見され、組み立てられたが、第二次世界大戦で破壊され、再度つなぎ合わされた。それが2016年というから、本書はそれを待ってその翌年に刊行されたと考えてよい。大阪の東洋陶磁美術館には志賀直哉が所蔵した李朝の白磁壺が展示される。それもかつて鑑賞者が粉々に破壊し、後に修復された。ほとんど接着箇所がわからないほどの姿になり、筆者はその壺を前にするたびに、修復家の根気、努力に驚嘆し、また感謝の念に胸が熱くなる。絵画では燃えてしまえばもう駄目で、写真でしかかつての姿を偲ぶしかない。村上華岳の『画論』には関東大震災で燃えてしまった華岳の涅槃図の図版が紹介されているが、華岳は残念に思いつつも形あるものはいずれこの世から消え去ると書いている。戦争でなくても火山の大噴火など、地球の現状を大きく変える出来事は今後何度もあるはずだ。そうであるからたとえば芸術品などどうでもいいと考える人は、前述の修復された白磁壺を見るがいい。先日筆者は自分が死ねばこの世もなくなると考える人を了見が狭いと書いたが、そのように唯我独尊を考える人が死んだところでこの世は何ら変化はないと言うべきで、立派な芸術作品のほうが個人よりもはるかに長生きする。長寿の樹木もそうで、愚かな人間を見ながら、同じ場所でゆっくりと生き続ける。ともかく、壺絵画家、今でいう工芸家であった「ベルリンの画家」の作品は破壊されてもまたつなぎ合わされる。
 カタログ番号5のアテナ像は「ベルリンの画家」の代表作の風格がある。よくぞ発見されたものだ。堂々たるアテナで、「ベルリンの画家」が描く他の女性像とは違って鋭い眼差しで描かれているのがよい。細くて長い棒の角度やゴルゴンを描く円形の盾、完璧な構図にやや過剰気味のアテナ衣服の装飾文様はアテナの最高度の神聖さを表現する。しかもそのアテナ像全体が黒地のアンフォラの胴体に最適の大きさで描かれる。これはアテナ像のみ平らな面に描くのとは違い、壺の黒い胴体にどのような大きさで絵を描けばいいかと熟知してのことだが、絵の線描を描いた後、黒で背景を塗り潰すと、絵はわずかに小さく見えるから、その小さく見える分を大きめに像を描くことを経験上知っていた。つまりこのアテナ像のみ取り出して平面に描いてもこの壺を見る時の感動は得られないはずで、壺の形や大きさと描く像の均衡の具合に「ベルリンの画家」の個性がある。また絵は筆ではなく、注射器のようなもので黒の釉薬を陶器の表面上に垂らしながら描いたと何かで読んだことがあるが、そうなればますます職人芸であって、しかも驚嘆すべき技術だ。紙や鉛筆がなかった時代、どのようにして陶器上に描いたのかと思えばなおさらだが、カタログ番号1が今日の2枚目の写真で、これは両端に短い脚のついた円形の盤の裏面に描かれた「馬に乗るアマゾン」で、しかも描きかけの状態だ。細い線描で描いた後、幅5ミリ程度か、太い線で隈取りし、そして後はべた塗りを施すのだが、そのべた塗りの黒がやや淡く仕上がった作からも絵を描く順序がわかる。それはともかく、「馬に乗るアマゾン」からはいきなり墨色を発色させる釉薬で描いていることがわかり、鉛筆のようなものによる下絵がない。これはよほど完成図が頭の中に鮮明にあり、わずかな線の間違いもなく描き進められたことを意味する。先のアテナ像もそうして描かれたとして、また同じ絵のアンフォラが他に発見されていないことから、後世の有名な油彩画家と同じように一点ごとに全力を投入したと言ってよい。本書には「ベルリンの画家」の作として80点ほどの作品図版が掲載されるが、同じ図柄のものはない。若冲は同じ絵を量産し、同一絵が10点ほどある場合もある。これは「型」を一旦完成させれば、それを踏襲したからで、そのように同じ絵を量産しても当時はほとんど誰にもわからず、また半切の墨絵の量産は現在のカレンダーのように必需品でありながら消耗品扱いされたためだ。「ベルリンの画家」が下絵の使い回しをしなかったとすれば、その陶器はかなり高価であったろう。実用ではなく、飾り物で、もっぱら死者を弔うための副葬品とされた。「ベルリンの画家」の作はギリシア本土のほか、エトルリアで発見される場合が多く、そのほか南イタリア、シチリア、イタリアのポー川流域、イタリア南部のカンパニアなどとされる。
●『ベルリンの画家とその世界(THE BERLIN PAINTER AND HIS WORLD)』続き_d0053294_23550604.jpg
 エトルリアはD.H.ロレンスの『エトルリア紀行』に書かれるように発見された地下墳墓に壁画や彫像、古代ギリシアの陶器などが発見された。ローマ時代以前のエトルリア人がギリシア文化を好み、「ベルリンの画家」が描く壺を輸入していたのは、それだけ当時は「ベルリンの画家」の作は国際的に人気があったと言えそうで、失われた数は現存数の何百倍もあったはずで、絵のある陶器はギリシアの外貨獲得の大きな手立てになっていたのではないか。ギリシア神話はローマ神話につながったから、「ベルリンの画家」が描く神々は他国で受け入れられ、かつてのエトルリアで発見されることは不思議ではない。ロレンスは同地域の地下墳墓を見学して回り、ヨーロッパにキリスト教がまだ芽生えない古代の人々の生活に憧れを抱く。『チャタレイ夫人の恋人』が書かれたのはそういう背景があるし、彼が人妻と駆け落ちしたこともそうだ。古代ギリシアの性を明るいものとして捉えた考えがキリスト教によって覆されたことに死のにおいを感じたと言ってもよい。だがたとえば春画を描く古代ギリシアの赤絵陶器に描かれる男女は「ベルリンの画家」が描く像のように冷静さが際立ち、日本の浮世絵の春画のような淫靡さがない。それほどに性の営みは隠したり、恥ずかしがったりするものではなく、自然なものとみなしていたとも考えられる。ロレンスはそう思ったのだろう。浮世絵の話ついでに脱線しておく。村上華岳は浮世絵を多いに学んで自作に活かしたが、『画論』では線が命であると書いた。浮世絵の線描は「ベルリンの画家」のそれと同じように細くて緊張感を持っている。仏画でもそうで、日本画の本質は線にある。20代の終わり頃、筆者は京都市が市民を対象に開催する3か月の講座で銅版画を2年ほど学んだ。そこに筆者より4,5歳年長の男性がいて、東洋絵画のことをいろいろと教えてもらった。彼が好んだのは宋の絵画で、ごく小さな画面に細密に描かれた花鳥画であった。それを真似た彼の銅版画は才能に乏しいものであった。そういうことはよくある。それどころかほとんどがそうで、才能に自惚れているが、プロとしては全く通用しない。彼と絵画論のような話を何度か交わし、当時「ベルリンの画家」を知っていた筆者は線の重要性を言った。それに京都に出て来た筆者は友禅の世界に入り、そこでも線は表現の根本であった。線一本で作者の個性がわかると筆者は信じているが、華岳も同じように思っていたことを先日『画論』で知った。だがこの線とは何かを的確に言うことは、華岳も言うように簡単ではない。話を戻して、銅版画の先の彼は筆者の意見に賛同せず、事物に輪郭はないと言った。だが、絵画は事物とは違う。それに事物に輪郭がないとは断言出来ない。人間の視力が捉え得る、事物が空間に接しているぎりぎりの縁が絵画の輪郭となる。
●『ベルリンの画家とその世界(THE BERLIN PAINTER AND HIS WORLD)』続き_d0053294_23553208.jpg 人間は霞を描く際、大きな刷毛でさっとやり、その輪郭はないに等しい。だが人や動物、建物と霞は違う。それで山水画でも筆で線を描き、事物を表現する。その際、線の太細はあるが、その線全体として作者の個性があり、巧拙もある。「ベルリンの画家」の線描は肥痩がなく、その意味で無機質で感情がこもっていないが、過不足のない線が合わせられてひとつの絵画となった時に清廉な印象を与える。それは仏画になぞらえてよい。つまり聖なる絵画だが、華岳が求めたのはそういう絵画であった。浮世絵が案外「ベルリンの画家」の絵に近いのは、役者絵や美人画では特に言える。役者絵や美人画は人物がポーズを取っている。描かれる本人が最も美しく見える姿を知っていて、それを画家が描く。「ベルリンの画家」の人物像も同じで、どれも舞台上の一場面のように見事な「型」として決まっている。ただし、聖なる雰囲気についてはどうか。浮世絵は庶民相手の安価なものであった。その伝統上に漫画が登場し、現在の若者は「ベルリンの画家」の絵を見て漫画家なら同じものを即座に描けると思うだろう。それはごく表面上のことで、精神性まではとうてい無理だ。そこに俗人が享受する漫画と、ごく一部の裕福な者が副葬品ないし立派な調度品として珍重したはずのたとえば「ベルリンの画家」の手になる陶器の差がある。これは作者がどこまで聖なる形を追求しているかの制作態度の問題でもあるが、その聖性は個人がどう頑張ったところで時代の趨勢がものを言い、現在の日本では俗物ばかりが幅を利かし、たとえ聖性に優れた作があっても懐疑的にみられるか、ほとんど誰の目にも留まらない。そして注目されればすぐに世間の垢にまみれるだろう。そのことを華岳はよく知っていたようだ。大金を華岳に送りつけ、描かせようとした者が少なからずいたそうで、病弱でもあった華岳は決してそういう人物には描かず、むしろ価値をわかってくれる人には無料で描いた。「ベルリンの画家」は自作を壊れやすい消耗品であることを自覚していたはずだが、運よく地下に埋まり、後世の人が発掘して破片をつなぎ合わせ、ビーズリー卿のようにその画風に心酔した人が研究を進めた。破片をつなぎ合わせて次第に浮かび上がる図像にどきどきしながら、一方で足りない破片に心を痛め、残念に思ったその心境は容易に想像出来る。今日の3枚目の写真は本書の裏カヴァーに印刷される断片だが、運よくほぼ女性の全身像が含まれた。この破片からでも「ベルリンの画家」の作であることがわかる。着衣の襞は相変わらず優美で、着衣から透けているのではないが、女性の尻から足首に至る二本の線が描かれ、それが女性らしさを強調する。そのことを昨日は艶めかしいと書いたが、欲情するほどのものではない。それどころかこの女性はきっぱりとして猥雑さからはあまりに遠い。そしてそれゆえに限りなく美しい。
 古代の陶器や土器は比較的容易に贋造され得るが、「ベルリンの画家」の作はまず無理だ。それほどに絵画として個性的で完成度が高い。そのことは華岳の絵にも言えるかもしれない。一見稚拙に見える華岳の作は線一本引くのに苦労したことが『画論』に書かれる。それゆえ華岳の贋作は即座にわかるが、そうでない人が絵画好きの百人に99人はいる。彼らは「ベルリンの画家」の絵の神々しさを理解しない。それでも「ベルリンの画家」は痛くも痒くもない。ビーズリー卿のような人々が確実にいるからだ。「ベルリンの画家」を知った頃、筆者はその陶器絵を聖なるものの文脈で考えなかった。ただその線が構成する造形美に心底惚れた。数年後の70年代半ばに筆者はロジェ・カイヨワの『蛸』を読み、その後カイヨワが聖なるものに大いに関心を寄せ、何冊かの本を書いていることを知り、それらも繙いた。カイヨワが「ベルリンの画家」を知らなかったことはあり得ないが、ことさら関心を寄せた形跡はない。それがいささか残念だが、「ベルリンの画家」の画風がその後の絵画世界でどのように受け継がれた、あるいは知識なしに同じような作を生んだかの研究をする意義は日本では大きい。前述のように浮世絵や漫画との類似点があるからだが、キリスト教がなかった古代ギリシアでは日本のように神は多く存在し、またきわめて彼らは人間くさい。しかし「ベルリンの画家」が描く神や人間は人間的でありながらみな神のように神々しく、強い意思を持っているように見える。それは自己の技術の高さを確信していたことから来る自信の反映だが、それだけでは自惚れになって嫌味が顔を覗かせる。作品はそれほどに作者の心を映し出す。それで大多数の作は凡庸ないし卑しいものとなってすぐにこの世から忘れられるが、そう思う筆者は古典主義者で、価値の揺るがない作を盲信しているだけと謗られるかもしれないが、晩年のカイヨワがもう芸術に飽きて自然が造り出した宝石、貴石に関心を寄せたことを思い出しながら、名のある人の作よりも無名でも名作と断言出来る「ベルリンの画家」のような作こそ、宝石や貴石に値するものと思う心境に至っていると自己分析する。つまり筆者は20代前半で「ベルリンの画家」を知り、今もその時の感動を忘れずにいるのだが、友禅に携わり、曲りなりとも作家を自称するようになって、やはり線の重要性、完璧な構図、そして「ベルリンの画家」の絵に顕著な意匠性すなわち「型」が友禅染でも言い得ると考えたことを思い出す。さて、昨日の最後から2番目の作はアテナ像とは違って女性が牛の角先を持って一緒に走る図で、そのどこかコミカルな様子を筆者は大いに好む。そこに描かれる女性はほとんど筆者の理想の女性像と言ってもいいが、実は筆者は中学3年生でそういう女性像をペンで描き、それを手帳に挟んで携えていた時期がある。
 それは当時模写したことがあるさいとうたかおの劇画タッチながら漫画を模倣したものではなく、目鼻口、顔の輪郭を何度も描き直して自分で作り上げたものだ。着色はせず、線はわずかに肥痩はあったが、今にして思えば「ベルリンの画家」の絵との遭遇を期待ないし予期していたのかもしれない。もちろんその女性像は理想で、言うなれば神のような存在だが、少年にありがちな穢れを知らない初心な憧れが描かせたものだ。その絵をおぼろげに覚えているが、現在ならばもう同じようには描けない。それは穢れをたっぷりと知ったから、あるいは筆者が穢れたためと言っておこう。村上華岳は『画論』の中で女性についても書いている。真に美しい女性は顔もそうだと言うのだが、一方で毒婦という存在があることから、顔が美しいだけでは本性はわからないかと書きつつ、やはりそうではないと結論づける。このことは筆者もよく考える。祇園の舞妓などを始め、若い女性をよく描いた華岳にとって、女性の美しさと聖性をどう嚙み合わせて描くかは大きな問題であった。それで聖なる容貌を考えると信仰、宗教の問題に行き着くが、「ベルリンの画家」の時代は多くの神が信じられ、その一種のいい加減さのようなものが却って画風に好影響を与えた気がする。描かれる人物や神にキリスト教にがんじがらめになったような堅苦しさがないからだ。それでいて神々しいのは絵画を構成する能力が優れているからで、その能力によって神の域に達することを信じていたように思える。さて、取り止めのないことを書いて来たが、古代ギリシアの陶器絵と友禅の大きな違いは、前者が植物をほとんど描かないことだ。描くにしてもそれは蔦やアカンサスの連続模様の帯で、それがアラビアのアラベスクとどう関係するかの疑問も湧くが、ともかく植物を重視しなかった、あるいは無視したことはイタリア・ルネサンスでもほぼ同じで、そこが東洋ないし日本と大きく違う。またこれは中学校の美術の授業で筆者がよく覚えているF先生の言葉だが、ギリシア時代はアンフォラやクラテルなど、およそ考えられる限りの多用な陶製の壺などの容器があって、「ベルリンの画家」もほとんどそれらに描いているようだ。縦長の今で言う瓶はリキトスと呼ばれるが、そうした狭くて小さな空間でもそれにふさわしい画題を選んでいて、器の形状の物理的な制限にうまく収めたところに職人芸的芸術性が表われている。友禅もキモノであるから平面に染めながら着た時にどうなるかを考え尽くさねばならない。それは純粋画家を標榜する人からすれば不自由であり、とてもそこに芸術性はないと思うかもしれないが、それを言えば「ベルリンの画家」の作も芸術ではなく、無名の職人による小さな線描に過ぎない。それがなぜ貴重なものとされ、多くの研究者を輩出するのか。
●『ベルリンの画家とその世界(THE BERLIN PAINTER AND HIS WORLD)』続き_d0053294_23560103.jpg
 晩年のカイヨワが芸術はもうどうでもよいという考えに至ったのは、芸術に驕りを見たからではないか。カイヨワは自分に著書が多いことさえも後悔していたようで、無名の存在が示す圧倒的な美にこそ真実があると思っていた節がある。それで加工されない宝石の原石はそのままで美しく、完璧と考えるようになったのだろう。筆者は今のところ「ベルリンの画家」の絵に同じような完璧さを思う。さて、昨日後述すると書いた白沙山荘にある梟を一羽のみ描く壺絵についてだ。本書にはカタログ番号75にそれとほとんど同じ梟を描く器が紹介される。「ベルリンの画家」としては唯一のヒドリアで、白沙山荘にあるものもアンフォラではなく、この比較的横幅が大きい壺であったと思う。ただし本書の作は梟は全身が小さな羽毛文様で埋め尽くされるのに対し、白沙山荘の作は顔部分は羽毛が描かれない。また本書の作は梟の両側にオリーヴの切枝が描かれ、梟は帯状の植物文様の上に乗る。白沙山荘の作は梟のみで、また線描は拙いので「ベルリンの画家」の作ではないと筆者は思うが、梟なアテナの使いで、日本でもミネルヴァというその名前は有名で、知の神とされる。そういう梟を描く壺を白沙山荘美術館が展示室の真正面に飾ることは知を重視した橋本関雪にはふさわしい。本書の作は梟が森の鳥であることを示すためにもオリーヴの小枝を両脇に添えたものだろうが、一方では壺の黒地が他の作と違って夜を表現し、梟は格好の画題であったことを示しもする。この梟なら現代の陶芸作家が模倣することはたやすく、そういうものがギリシアやイタリアのお土産店で売られているかもしれない。筆者が見たいのは「ベルリンの画家」の画風を現代に適用した赤絵の陶器だ。そうした作はすでにあると思うが、一番上手なのは日本ではないだろうか。そして今ならアニメのキャラクターを描けば若者は喜んで買う。それも2500年経てば宝としてもてはやされるかもしれない。さて「ベルリンの画家」のみが古代ギリシアの陶器画家ではなかった。『人類の美術』ではギリシア時代は4冊が充てられている。アルカイック期の次はクラシック(古典)期で、その頃ももちろん赤絵の陶器は製造された。そして画風は華麗になり、人物に動きが出て来る。「ベルリンの画家」のように暗闇に主に人物ひとりを硬く冷たい線で描くことはなくなり、手慣れた筆致による群像が目立つようにもなる。それらの作にも瞠目すべきものが多く、ギリシア時代の画家に天才が何人もいたことがわかる。神殿の大きな壁画を描いた画家たちはもっと位が高く、着色画をどのように描いたかと筆者はあれこれ想像するが、それらはほとんどすべて消え去った。床のモザイク画には残ったものがあるが、彫刻も含めてそうした作品を本の図版で見るだけでも、造形が文化を伝える大きな手段のひとつであることを改めて思う。
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by uuuzen | 2022-12-04 23:59 | ●本当の当たり本
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