「
黴臭き 古着干したる 窓の外 今年の冬も 着た切り雀」、「何年の 作か気にしつ 咀嚼する 頭の中に 年表があり」、「ワインより ビールがいいと 言う彼の お腹ぽっこり ポルカみたいに」、「音を抱く アコーディオンの 吐息には 我が子をあやす 慈しみあり」

遅ればせながらジェスロ・タルの最新アルバム『THE ZEALOT GENE』(狂信者の遺伝子)を入手した。ジャケットのイアン・アンダーソンの正面顔が悪魔に見えるのがわざとそうしたのか、タル・ファンはこの久々の新作をどう思うのだろう。ファンは狂信者になるからだ。昔このカテゴリーでパット・メセニーの曲を取り上げた時、彼の音楽は退屈なものが多いといった意味のことを書いたところ、コメントにただ一言「アホ!」と書き込まれた。やっぱりパットのファンはその程度、つまり言葉を知らない狂信者が多いと思ったが、同じ土俵に上る必要はないので無視した。だがそういう狂信的ファンが大手を振るのがネット世界で、顔が見えないだけに怖い。というのは、筆者は名前も顔もネットに晒しているからで、たとえば前述のコメントにアホと言い返すと、いつか刃物で刺されるかもしれない。そして刺した者は精神が疲弊していたと診断されるとすぐに娑婆に出て以前と同じ暮らしをする。つまり、アホにアホと言い返すと大損する可能性がある。アホが万全に守られているのが現代日本のアホさ加減で、確実に社会は退化している。『狂信者の遺伝子』に話を戻すと、イアン・アンダーソンのキリスト教批判は73年の『アクアラング』から顕著になったが、『狂信者の遺伝子』はザッパ流に言えば同作から「概念継続」していて、目新しいことはない。気になるのはイアンが撮ったブックレットの教会写真だ。スペインに旅行したようで、ガウディの聖家族教会の写真も載る。ブックレット裏面は磔のキリストと悲しむマリアの像で、これがどこの教会にあるのか気になる。それはともかく、この新作アルバムにはアコーディオンが使われていて、高齢のイアンにふさわしいと言うべきか、全体にソフトな音になっている。ところで筆者がタルの曲を最初に聴いたのは68か69年で、「ブーレ」だ。バッハの曲をジャズ・ロックに編曲したもので、今でも筆者は同曲をよく思い出して口ずさむ。そう言えば当時10代後半の筆者はクラシック・ギターをNHK講座を視聴せずにテキストだけ買い、バッハの「ブーレ」を練習した。本物の曲を聴かなかったので速度もわからないままだが、音符をひとつずつしかるべき箇所を指で押さえながら奏でると、あたりまえのことだが、随所でよく知るコードの部分であることに気づき、そうなると指運びがよりわかりやすくなった。学校でも弾いていると、1年先輩の大柄でやや太った青山さんが近づいて来てバンドを組もうと言った。ロックンロールではなく、ジェスロ・タルのようなクラシカルな要素も持つバンドだ。
青山さんはやる気満々であったが、結局夢に終わった。設計会社に勤務し始めると、梅田のJR高架下に会社の事務所があって、そこで数歳年配の数人の社員が軽音楽クラブを作ってバンドの練習をしていることを知った。ある日、1年先輩のHから誘われ、その練習場所を覗きに行くと、話をしたこともなかった家内がキーボードを演奏していた。みんな下手くそで、ほとんど当日に筆者と先輩はそのバンドに加わり、やがて先輩はドラム、筆者はエレキ・ギターとヴォーカルを担当するようになった。そうして1年ほど練習しかかもしれない。心斎橋筋のとある店でダンス・パーティを開くことになり、たぶん100人は来たと思うが、そういうライヴを二、三度行なった。ダンス・パーティはゴーゴーだ。ビートルズを演奏したからには当然であった。話が長くなった。タルの「ブーレ」は舞曲で、バッハ以前からヨーロッパ各地には多くの舞曲があった。ロックンロールも舞曲で、音楽はほとんど踊るための伴奏として一般に流布して来た。ショパンのマズルカは鑑賞音楽としてコンサート会場で演奏されるが、元は舞曲であるから、それに合わせて踊るのが正しい。マズルカのもの悲しさは舞曲らしくないが、ポーランドの国柄を思えばそういう舞曲も納得が行く気がする。イアン・アンダーソンは「ブーレ」の二匹目のどじょうを狙わず、自国スコットランドの民謡をロックに用いる方向に進んだが、筆者はそうした曲をこよなく愛している。それはイアンにしか出来ないことで、自国への誇りが感じられるからでもある。最新作の『狂信者の遺伝子』にアコーディオンを使うのは、舞曲の要素を忘れていないからではないか。その舞曲性は実際に曲に合わせて踊ることに限らず、心が浮き立つことも含む。さて、昨日と一昨日は先月寝屋川市で行なわれたアコーディオンのコンサートについて書いたが、南米の舞曲が多く奏でられ、ある曲では演奏者が各席を演奏しながら練り歩き、一緒の踊ることを促した。民衆の間で育まれた舞曲は踊ってなんぼで、そのことはどの国の人でも知っているが、日本では恥ずかしい思いが先に立ち、率先して踊る人は少ない。もったいない話だが、酒でも入れば別だ。しかしコンサート会場ではそれは無理だ。そう言えばピアソラはタンゴが場末のカフェなどで演奏されるものからコンサート会場で演奏される芸術性を求め、そういうタンゴの変遷の歴史を組曲にした。そのことをたぶん中村とうようは批判したと思うが、ピアソラの思いはわからないでもない。カフェだけで演奏する状態ではいつまでも格は上がらないのも事実だ。それは西洋音楽の大作曲家の作品を思えばよい。天才の作品はカフェのみで演奏する人の音楽とは違う。ショパンのバラード第1番をフランスのカフェで下手に演奏する高齢のミュージシャンを目撃した話を昔読んだことがあるが、立派に演奏出来ればコンサートを開く。

それを階級社会の最たる部分と批判することも自由だが、それくらいでは西洋のクラシック音楽はびくともしないし、たとえばバッハがブーレやサラバンドなどの舞曲を元に新たな曲を書いたのは、より不朽性を求めたからでもあろう。中村とうようはクラシック音楽嫌いであったようだが、クラシック音楽もごく普通の人が楽しむほどに民衆に浸透して来た。さて、クラシック音楽に採用されている民謡や舞曲はたくさんあって、誰しも何となく知っているが、たとえばブーレであればその最も古い形式の音楽、つまりオリジナルを聴く機会はほとんどないだろう。YouTubeでそういうものも紹介されているかもしれないが、簡単に言えばバッハなどの作曲家が個性の表現として書いたオリジナル曲が残り、その同じリズムを持つ原曲はわからなくなっている、あるいは元とそっくり同じ形では伝わりようがなかったのではないか。そこにピアソラの思いもあったかもしれない。つまり芸術性が豊かなものでない限り、すぐに消えて行く。ようやく本題。今日はフランスのダイアトニック・アコーディオン弾きのレミ・ジェフロイ(R é m i G e f f r o y)のトリオの曲を紹介する。彼の演奏をYouTubeで見ると一瞬で忘れられない感動を引き起こす。1983年、フランスのトゥールーズ生まれで、音楽学の学位を得て、アコーディオンで作曲を始め、最初のアルバムを2012年に発表し、現在6枚目が最新作となっている。CDはアマゾンで買えず、ebayでも売られていない。最新作のみが本人のサイトから通販で入手可で、また同作は7人による演奏だ。CDを全部ほしいが、買えないのであれば仕方がない。レミの曲はどれもヨーロッパの舞曲を元にしたオリジナル曲で、YouTubeのライヴ映像では観客がみな演奏に合わせて踊っている。その様子が実に楽しい。レミは音楽あるいは舞曲本来の意味を問い、踊っている人を見ながら演奏することがとても楽しそうだ。そこにはピアソラとは別の思いがあるのかもしれない。民衆の舞曲を芸術音楽の域に引き上げることは必要だが、一方で舞曲はやはり踊るためのもので、古い舞曲でも演奏、編曲の仕方によっては充分今でも踊れる。「水辺にて」と題する曲は副題に「マズルカ」とあって、とても悲し気なメロディだが、それでも会場では女性たちはくるくる回って踊っている。その映像で筆者は初めてマズルカで踊る人々を見る。悲しい曲でも踊ればそれを少しは忘れるだろうし、マズルカを悲しいとだけ感じることは間違いであろう。レミは一時ケルティックのロック・バンドに在籍したというが、レミのギターとドラムスとのトリオによる力強いリズムはロックと言ってよく、ジェスロ・タルそっくりな曲もある。高齢のイアンの次世代としてレミがアコーディオンを引っ提げ、タルが着眼しなかった西洋の伝統的舞曲のリズムでロック風の曲を書き、観客を踊らせる。
話は変わる。このブログの映画のカテゴリーに最初に投稿したのは京都ドイツ文化センターで見たドイツ映画
『シュルツェ、ブルースへの旅立ち』で、17年前のことだ。一度しか見ていないのにあちこち場面をよく覚えている。機会があればまた見たいと思いつつ、DVDを探していない。同映画では鉱山に勤務するドイツの太った中年男がアコーディオンを弾く趣味を持っていて、鉱山が閉鎖になって仕事がなくなったことを機に、それまでよく演奏していたポルカではなく、ブルースに魅せられ、その源流をたどるためにアメリカにわたるという筋立てだ。彼がドイツ人相手にブルースを演奏すると、「賤しい黒人の音楽なんて」と蔑まれる。そこにはポルカこそがヨーロッパを代表する舞曲との一般的な思いが表現されているが、それはシュルツェの住む東ドイツの地域が田舎であることも意味している。以前書いたように百年前のベルリンでは黒人のジャズは演奏されていたし、南米のミュージシャンもクラブで演奏し、今と同じように麻薬まみれになっていた。ところが一般的な人々は酒でも入るともっぱらポルカで踊っていたのだろう。筆者が知るポルカは「ビヤ樽ポルカ」くらいだが、その曲が代表するように酒と踊りは相性がよい。それはともかく、レミ・ジェフロイは「アイリッシュ・コーヒー」という曲に「ポルカ」の副題を添える。コーヒーで踊れるのかと思うが、「コーヒー・ルンバ」と言う曲があった。ともかく、この曲「アイリッシュ・コーヒー」はポルカでありながら、ロック調で、踊らなくても鑑賞曲として充分に通用する。ダイアトニック・アコーディオンは丸尾丸子さんが奏でるものと違い、小型で音も限られるが、それでもレミの演奏の迫力は尋常ではない。単純な音、旋律であるだけに却って印象深く、感動的になっている。話を映画に戻すと、主人公のシュルツェがアメリカでどうなったかは描かれない。アメリカにブルースの有名なアコーディオン弾きがいるかどうか知らないが、ブルースはロックンロールになって踊りやすくなった。そして筆者がビートルズの曲を歌って演奏してゴーゴーのダンス・パーティを開くに至った。レミはいつかブルーズを取り上げるかもしれないが、それにはジェスロ・タルの先例があるし、研究の徒としてのヨーロッパ人として、強い矜持があるかもしれない。それにブルース弾きは無数にいる。レミが西洋音楽にふんだんにある舞曲を取り上げつつ、それらを現代に新たに蘇らせることに関心があるとして、筆者は大いに期待したい。レミの作曲は音楽学の学位を持っていることの強みないし必然で、そのような才能が日本で生まれるとして、どういう音楽の方向性になるのか。まあ、そんなことを丸尾さんの演奏を見ながら思いもした。技術力のある人はそれを最大限に生かし、独創性を発揮すべきで、オリジナル曲を筆者は聴きたい。
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