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●「EL POLO」
りの 雀群がる 合歓木の 根元に古米 撒く朝寒し」、「気になりつ 十年二十年 すぐに去り たまに想ふは 最初の出会い」、「他愛なき 自慢話の 可愛げと 思えば和む 人の付き合い」、「体力が なければ湧かぬ 気力なり 気力なければ 眠るに限る」●「EL POLO」_d0053294_01262701.jpg このブログは月末に思い出の曲を取り上げているが、一作曲家当たり一曲、つまり筆者が最も好きな曲と決めているので、そろそろ投稿すべき曲が枯渇しかかっている。それに、ある曲を取り上げるともうその作曲家への関心を失うかと言えば、そうはならず、新たにCDを買って別の側面に気づくことはしばしばある。最近ではYouTubeでジェニー・シャインマンの演奏を見てまた強い関心を抱いている。彼女の曲をブログに取り上げたのは2007年6月のことだ。その頃の筆者のパソコンはYouTubeを見られないほどに性能が悪く、パソコンはワープロ代わりにしていた。その後かどうか、彼女はヴァイオリンだけではなく、ヴォーカルも担当するようになり、またその歌声がとてもよく、シンガー・ソングライターとして見直したが、近年のクァルテットでの演奏ではピアノやドラムスの女性がまたとても才能豊かで、アメリカのジャズ・ミュージシャンの技術力の高さに驚いている。ジェニーはユダヤ系のどこか暗さを含んだ美人で、そのことが音楽性に関係していることは確かだが、音楽の幅は広く、一種捉えどころのなさがあり、それがまた大きな魅力になっている。吉田秀和は音楽の演奏は女性が適すると語った。筆者もそう思うことがよくある。それでジェニーや彼女が一緒に演奏する女性に見惚れてしまう。そう言えば同じユダヤ系アメリカ人のジーナ・パーキンスもYouTubeではCDにはない素晴らしい演奏があって、エレクトリック・ハープをかき鳴らす彼女の姿はとても恰好よく、ライヴを見たいと思っている。さて今日は長年取り上げようと思いながらそのままになっていた曲で、アリシア・デ・ラローチャのピアノによるアルベニスの『イベリア』から第3巻第2曲の「エル・ポーロ」について書く。『イベリア』を初めてNHKのFM放送で聴いたのは30歳頃で、名古屋の中古レコード屋でその2枚組LPを買った。録音は1967年、ジャケットにイベリア半島の古地図が印刷され、定価4000円だ。これでは薄給の筆者には買えなかった。中古でたぶん1500円ほどだったが、それから10数年後に同じアリシアが72年に録音した盤も中古で買った。YouTubeではもっと後年のライヴ演奏も投稿されていて、音楽を楽しむことは限りなく無料に近くなった。だが筆者は中古で買ったLPに思い出があり、結局いろんな演奏を聴きながら、それに戻る。また実際『イベリア』の演奏はアリシアの右に出る者がいないのではないか。彼女はそれにふさわしい顔つき、風格をしている。知的で優しい眼差しは芸術家そのものだ。
 『イベリア』から好きな曲を取り上げるとすればいくつかあるが、最初に聴いた頃から一番圧倒されたのはやはり「エル・ポーロ」だ。第1巻第1曲の「エヴォカシオン」は他の作曲家が管弦楽曲に編曲するほどの名曲で、その『イベリア』の代表曲を今日の投稿の題名にしてもいいが、筆者は『イベリア』を順に聴いて行きながら、「エル・ポーロ」でほとんど落涙する。初めて聴いた時からそうで、数十年経っても同じ感動を味わえることに芸術の不思議さがある。今日の写真では上部に見えるスペインの街並みを捉えたジャケット写真のLPが72年の録音で、67年の演奏に比べると落ち着きがある。67年の録音はエコーがかかり過ぎていて、音が少々うるさく感じることがある。舞曲であればそれもよい、あるいは当然かもしれないが、『イベリア』の全曲を通して聴くとやはり疲れる。YouTubeでいろんな演奏者の「エル・ポーロ」の解釈を聴くと、ここまで違うかと思うほど多様で、楽譜は仮の姿であって、アルベニスがどういう演奏をしたのかと気になるが、アリシアのようにスペイン人でしかも古い世代ほどよいように思える。逆に言えば日本の若者ではまず無理であって、楽譜に表現出来ないごくわずかなリズムの妙味があることを感じる。だがここでひとつ思うのは、アルベニスはスペインの民謡のリズムを元に作曲したとして、『イベリア』の題名からしてイベリア半島が背負って来た歴史すべてを引き受け、そのうえに創作したのであって、特定の地域の特定の舞曲のリズムを忠実に模倣しようとしたのではないことだ。これはショパンのマズルカにも言える。つまり他国の時代の違う人でも演奏出来るのであって、そういう新たな解釈を許容してなお『イベリア』の芸術性と貫禄がある。ところが前述のように、いろいろ聴き比べると、筆者の場合、最初にアリシアの演奏に洗礼を受けたので、他のピアニストのたとえば速度が若干遅い、あるいは舞曲のリズムであるのに、いっこうにその雰囲気が伝わらない演奏を聴くとがっくりする。「エル・ポーロ」は「むせび泣く心で」、「嗚咽するように」とアルベニスは演奏する際の心持を指定している。これはこの曲を聴けば誰でもそう感じることと言いたいところだが、YouTubeにはとてもそうとは思えない演奏もある。そこで筆者はまたアリシアの演奏に戻る。それにしても筆者は『イベリア』の中でこの曲を最も好むのは、女性とは限らないが、この曲のリズムで踊る女性が激情を抱え、スペインの激しい女性の気質を代表しているように感じるからだ。ただし、筆者がそういう女性を好むからではない。女性は誰しもそういう面を抱えているはずだが、この曲のように激しく、切々と訴えられるとたいていの男は尻込みする。その点アルベニスはさすがと言うか、ゴヤが「裸のママハ」を描いたように、スペイン女の特質を表現し切ったと思える。
 実際アルベニス以外にこの曲を書く才能はなかったし、今後もないだろう。ずばり『イベリア』と題した全力投入が伝わり、このピアノ曲集のみでアルベニスの名前は永遠に語り継がれる。これも吉田秀和が確か語ったことだが、『イベリア』はギターに顕著なリズムが多用されているとのことで、YouTubeでは「エル・ポーロ」のギター演奏が投稿されている。3分の2ほどの長さに短縮した演奏で、ピアノの激しさはないが、なるほどギター向きの曲と思え、また演奏する姿はとても恰好よい。スペインはギターの母国で、ギターを学ぶ者は誰しもスペインの曲を演奏すべきと筆者は思っているが、ロックンロールのエレキ・ギターから入った人はスペインのギターの名曲をこなすことは無理だろう。アルベニスはピアノ弾きで、ギターは演奏しなかったと思うが、スペインに根付いているギター音楽からそのメロディや和製を学び、それらを『イベリア』に生かしたのだろう。イベリア半島はポルトガルを含むから、ファドの心をアルベニスはたとえば「エル・ポーロ」に反映させたと見ても間違いではない。筆者はスペインをゴヤやヴェラスケス、あるいはピカソやダリの絵画を通じてもっぱら想像しているだけで、現地に行ったことはないが、『イベリア』を聴くと眼前にスペインの風景が一気に広がる。それほどに芸術は一国を代表する、あるいはその国そのものとなる価値を持つ。『イベリア』を繰り返し聴いてそう思うようになったのではなく、最初に聴いた時からで、その意味で言えば『イベリア』はとてもわかりやすく、それほどに明確にアルベニス、そしてスペインの個性が反映されている。だがイベリア半島の歴史はわかりやすいとは言えない。イスラムの支配下にあった時代があり、また今もそうだがヨーロッパの辺境、つまりローカル色が強い。それゆえ独特の文化が育まれ、その強烈な個性が『イベリア』に表現されている。ここで今日の写真の左下に見える1冊の図録の話をする。数年前に筆者はその本をネット・オークションで見つけた。ふたりの天使が並んでアルプ・ホルンを奏でている。これは最後の審判の一場面で、壁画の断片だ。筆者はその絵の魅力に囚われ、その本の表紙を常に見えるように置いている。この壁画を所蔵する美術館はスペインのカタロニアの僻地にある。バルセロナからかなり遠く、わざわざ足を運ぶ観光客はめったにいないだろう。この絵の制作時期ははっきりとわからず、後期ゴシックないしロマネスクとされている。拙いと言ってよい表現だが、清新さ、愛らしさは第一級で、筆者は同じ画風の壁画を知らない。千年ほど前のカタロニアの僻地にいた無名の画家が信心から描いたもので、筆者はもっと読み解きたい思いにかられる。これほどの「名画」が西洋の美術史のどこに置かれるのか。どこから影響を受けたのか。
 それを知るにはこの壁画を所蔵する美術館を訪れるに越したことはない。それで行きたいのはやまやまだが、日本で考えられることも少なくはない。それはちょうどアリシア・デ・ラローチャの『イベリア』を聴きながらスペインの風土を目の当たりにする錯覚に浸るのと同じことで、むしろそのほうが純粋にスペインを味わえる気もする。さてこの天使を描く壁画からまず思い浮かべるのはカロリング朝の絵画だ。素朴さの点で大いに通じる。だがこの壁画にはイタリア的な明るさがある。カタロニアであるからにはそれも当然だろう。アルプ・ホルンを描くのはアルプスと関係していて、同地の文化が西に進んでカタロニアに影響を与えたと考えてよい。また天使の衣服はギリシア的で、この絵は地中海文化を濃厚に示している。稚拙さを大きな特徴としながらイタリアのチマブーエやジオットにはない明るさを持つのはカタロニアの風土の影響と考えるべきだが、そうなるとカタロニアの文化を筆者はほとんど何も知らないのに、この絵画一点で同地のことをよく知っている気になる。それは『イベリア』から想像するイベリア半島と同じことなのだが、アルベニスの音楽からカトリックをことさら感じることはない。もっと庶民的な生活ぶりが『イベリア』にはあって、それはこの壁画にも言える。ともかくわずか1点の絵画が筆者の知る美術史にはすんなりと収まらず、イベリア半島の複雑な歴史を想像させる。それは回教国であったことが大きく関係しているが、ではアルベニスの音楽にイスラムの要素があるだろうか。それを知るには専門書を繙く必要がある。天使の壁画もそうで、イベリア半島には美術史、音楽史の正統性から外れたローカルな魅力が溢れている。ローカルは中央から無視されやすいが、ローカルが中央に入って正統の流れを補強することはよくある。アルベニスの音楽がそうだとは言わないが、繰り返すとアルベニスの音楽は唯一無二で、他国に似た音楽はない。その点は天使の壁画と同じで、美術史の傍流に過ぎない評価としても、筆者はこの絵を大いに気に入り、現物を見るために現地に行きたいと思っているほどだ。これは誰しも知らないだけで、魅力ある作品は無限に世界に埋もれていることを意味する。あるいは西洋文明はそれほど複雑で奥行きがある。スペインは特にそうと言っていいかもしれない。そのイベリア性ないしスペイン性は現地に住まねばわからないだろうか。堀田善衛の『ゴヤ』を読めば、現地に住んでもわからない気がする。それほどに深みがあって、その深みを全体としておぼろげに感じるしかないのではないか。そしてその文化の清華はゴヤやヴェラスケスの絵画を見、アルベニスやグラナドスの音楽を聴くことだ。そしてイスラム文化がイベリアにどう根付き、その後の文化に影響を及ぼしているかを考える。
 スペインは光と影の対照がヨーロッパ随一と聞く。ゴヤの絵画がそれをよく表わしているが、アルベニスの音楽もそうだ。『イベリア』は冒頭の「エヴォカシオン」から懐かしいような光とそれが即座に翳る対比が印象的だ。そのことは他の曲でも同じで、「エル・ポーロ」でも顕著だ。YouTubeに楽譜つきでこの曲が投稿されている。フラット4個のへ短調で、8分の5拍子、勇ましく、また印象的なリズムが最初から最後まで続くが、この曲の大きな特徴はフラットをナチュラル記号で半音高めている箇所がやたら多いことだ。その半音の変化は光の中に影が差すことにたとえてよい。そのことは楽譜を見ずに聴いても充分にわかる。小学校の運動会の日、自分の順番が回って来ない、あるいはすでに走って運動場の地べたに座っている時、晴天であるのに、また忙しい音楽が流されているのに、一瞬空疎な感覚に陥ることが筆者はよくあった。その時の気分は『イベリア』全編に流れている。それは楽譜で言えば目まぐるしい転調になぞらえてよく、どこか不安定でありながら、それを含めて「ああ、人生とはこういうものかな」という気分だ。それは醒めていつつもそこに詩情を感じることで、筆者は小学生に味わったその気分を今も経験することがよくある。その楽しいばかりではとうていない気分は大人は子どもに抱いてほしくないものだろう。しかしどの子どもも大人が時に躍起になって子どもを楽しませよう、あるいは子どもは楽しくあるべきだと思っていることを醒めた眼差しで見つめている。「エル・ポーロ」はその思いをもっと激しくしたもので、大人が抱く純粋な子ども心と言ってもよい。大人は人前では取り乱さないものとされるが、特に女性はそうではないだろう。激しく踊ることでその鬱屈した思いを忘れ、そしてさらにそれを新たに蓄える。ところが一方ではもちろん醒めた思いも抱いている。そうでなければリズムに乗って踊ることは出来ないだろう。その彼女の踊りの様は光が満面に溢れるかと思えば、次の瞬間に影が差し、その色合いは次々に変わって行く。そこに得も言われぬ美しさがある。そう言えばジャズのスタンダードに「THE SHADOW OF YOUR SMILE」という曲がある。その言葉にぴったりするのが「エル・ポーロ」で、光と影の混在がこれほどわかりやすく描かれる曲は他にない気がする。スペインやポルトガルの民謡は南米のそれに大きな影響を及ぼしたはずだが、ブラジルのヴィラ・ロボスが『ブラジル風のバッハ』という名曲集を書いたことは、イベリア半島の音楽とバッハないしドイツ音楽との邂逅がどこかであったとみなすべきで、そのことを思うあまりカタロニアの天使の壁画をカロリング朝美術と関係しているかと先に書いた。書き忘れたが、「ポーロ」はスペイン最南端のアンダルシアの民俗舞踊で、『イベリア』では他の曲でも用いている。
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by uuuzen | 2022-12-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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