「
邸庭の 芝生に目立つ 騎馬像は 金持ち語る 人生賭博」、「熟考し 決めて作るは 神の意思 ただしピンキリ 常に混ざりて」、「熟考の 跡をたどるや 研究家 面白さ知り 伝えてアート」、「髭マーク ひとつ大きな マグカップ コーヒー飲んで 口紅つきし」
本作のディスク3の後半とディスク4は『ワカ』と『ワズー』の録音後に行なったツアーのライヴ音源を収録する。ザッパは最初に「グランド・ワズー」として20人編成で行ない、次に10人編成の「プチ・ワズー」を組織した。前者については2007年にCD2枚組の『ZAPPA/WAZOO』が発売され、後者については2006年の『イマジナリー・ディジージズ』、2016年の『リトル・ドッツ』、それに2017年のレコードストアズ・デイに限定発売されたアナログ盤『ロロ』がある。いずれもザッパ没後の遺族による在庫放出と言ってよい。筆者は正直なところ、『ワカ』と『ワズー』以外の上記のアルバムは何度聴いても印象にほとんど残っていない。それは『ワカ』と『ワズー』に比べて完成度が低いからだ。言い換えれば寄せ集め、流動的だ。ザッパはそれを知ってか、ツアーで得られた録音のごく一部を後にアルバムで発表する曲の一部に使った。『オーヴァーナイト・センセイション』や『アポストロフィ』がそうで、後者は各曲の演奏者が記されず、アルバム全体としてジャケット裏面にまとめて列挙されている。これはどの曲のどのわずかな箇所が誰の演奏になるかを記すとあまりに煩雑になることと、おそらくザッパもわからなくなるほどにさまざまな録音をつなぎ合わせたからだろう。つまり加工の度合いが著しい。これはザッパのアルバムの大きな特徴で、『ワカ』の「ビッグ・スウィフティ」の完成度の異常な高さはそうして得られたもので、筆者は50年聴き続けながら、0.1秒単位でその完璧性にいつも唸っている。それはザッパでも生演奏では再現不能で、そこにすでに後年のシンクラヴィアへの愛好が芽生えている。だが「ビッグ・スウィフティ」や「ワカ/ジャワカ」は基本はスタジオでの生演奏で、その録音を可能な限り、冗漫な箇所を省き、別の音を後で加え、さらに別のテイクのある部分をある個所に挿入するといった移植手術、整形手術を行なった。そういう曲がたとえばザッパ以前のジャズがそうであったようにメンバー全員の一斉演奏の録音とどう違うかとなれば、当然人工的で不自然さが付与されるが、それは別の面白みと捉えることは出来る。それに基本はザッパもスタジオでのライヴを収録するのであるから、人工的な部分は付け足しであって、たとえば現在のようにパソコンで全部音作りをするような音楽とは本質が全く異なる。ここでザッパが60年代末期のジャズを「変な臭いがする」と揶揄したことを思い出すとよい。それはいつの時代にもある新世代の旧世代に対する批判と捉えるとよい。
新世代のザッパがジャズ・ミュージシャンとブッキングされてツアーに出た時、観客の反応を見ながら、時代は確実にロックが圧倒的に売れることを実感したはずだ。それで1969年にはキーボードとサックスの両刀使いのイアン・アンダーウッドを片腕にしてザッパ名義で『ホット・ラッツ』を発売した。これは当時日本盤が出なかったが、ジャンル分けすれば「ジャズ・ロック」ないし「ニュー・ロック」で、どちらかと言えばジャズよりロックに近いと思われた。一方同じ時期にジャズでは「第3の流れ」から「フュージョン」が生まれて来た頃で、ぎくしゃくとしたたとえばオーネット・コールマンの初期の音楽からもっと聴きやすい、女性の人気も得やすい、悪く言えばイージー・リスニング的なジャズが人気を博すようになって来た。その延長にジョージ・デュークが乗ったと言える部分もある。ジョージは69年のアルバムでは当時のビートルズなどのヒット・ポップスをカヴァーし、ロックへの強い関心を示した。それがザッパと一緒に演奏するようになって一気にこつをつかみ、またいつの時代もアメリカの大衆音楽は黒人が新しい要素を発見して来たことに自信を持ち、「今売れなければいつ売れるのか」との思いから、時代の流行への便乗にためらいを持たなかった。どんなブームでもそれにいち早く乗らなければすぐに廃れる。そういう嗅覚をジョージは持っていたが、ザッパはそこが違った。『ワズー』のジャケットは管楽器軍隊対弦楽器軍隊の戦いで、前者が後者を圧倒しているイラストになっている。これをカル・シェンケルはザッパの意向を汲んで描いたはずで、どこまでザッパが細部を指示したかはわからないが、管楽器軍はエジプト人で背後にローマの競技場が見えているのに対し、弦楽器軍は遠くに燃えるイスラムの大聖堂が描かれ、十字軍の遠征を思わせる。カトリックで育ったザッパは成人後はカトリックを批判したので、この『ワズー』のジャケットがカトリック賛美のためとは一概に言えないが、エジプトやローマすなわち地中海文明に誇りを抱いていたことは言える。そのことは『自伝』からも明らかだ。またヨーロッパのカトリックが管楽器で、イスラムが弦楽器というのは根拠のないことで、このイラストをさほど真剣に受け取る必要はないが、ザッパがイスラムあるいはユダヤの音楽をどの程度意識していたかは興味深い問題だ。特にニューヨークの前衛シーンで活躍するジョン・ゾーンがオーネットなどの黒人ジャズを基盤にまともにユダヤ音楽賛美を実践し続けていることと照らし合わせるべきとは考えている。そのことは別にしてやはりザッパは地中海人であったヴァレーズの精神的後継者で、その背骨をジョージは共有できない、またしたいとも思わないものであったろう。つまりふたりは本質に大きな差があった。
ザッパがジャズが腐臭を放っていると考えたとして、ではどういうジャズであるべきかを考え続けたのだろう。あるいはジャズという言葉にこだわりはなかったと考えるべきではないか。ロックでもジャズでもとにかく自分が面白いと思える音楽をやる。それだけのことで、常に次のやりたいことが待ち受けていて、それを具現化することの連続の人生であった。『ホット・ラッツ』では自身のギターが前面に出たが、『ワカ』と『ワズー』では管楽器奏者を大幅に増やして10人から20人編成のビッグ・バンド・スタイルを採ったのは、前年の『200モーテルズ』で大管弦楽団との共演を果たし、次の段階として未経験のジャズ・オーケストラを考えたためであろう。その原因として改めてジョージを迎えたのかどうかだが、結果的にジョージが去った75年のザッパはブルース曲をたくさん書くので、『ワカ』と『ワズー』はジョージの在籍に負う面が大きい。ただし「グランド」と「プチ」のツアーにジョージは参加せず、ザッパは楽譜に書いた曲をビッグ・バンドに演奏させ、その録音がほしかったという側面が大きかった気がする。それは「グレッガリー・ペッカリーの冒険」のように、またスタジオでさまざまなテープを切りつなぎ、音楽を加工するための素材を得るためで、各メンバーのソロは会場に来た客が楽しめばそれで充分と考えたのではないか。それで『イマジナリー・ディジージズ』や『リトル・ドッツ』はアルバムとしての特色が希薄で、完成度の高い曲もない気がする。要はザッパが生きていればそうしたアルバムを出さなかったと考えたいのだが、それほどにザッパは72年の仕事は『ワカ』と『ワズー』で代表し、次々と新たな企画に手を染め続けた。『ザッパ/ワズー』には「グレッガリー・ペッカリーの冒険」が5楽章形式で収録されるが、ヴォーカルがなく、また後年アルバムに収録するヴァージョンとはかなり異なり、多くの主題を組み合わせながら、まだいわゆるレコード化するヴァージョンへの完成に至っていない。つまり過渡期の楽曲であるのだが、ザッパはその5楽章としての「グレッガリー」の楽譜を遺しているはずで、同曲は他にもいくつかのヴァージョンがあるともみなせる。レコードで最初に収めたヴァージョンをその後のライヴでしばしば編曲して演奏したからだ。ザッパにとって曲の完成はあくまでもある時点での認めた形に過ぎないと言ってよく、となれば5楽章の「グレッガリー」を収録する『ザッパ/ワズー』は唯一の重要な価値を持つことにもなる。ただし、なぜザッパはそのステージの録音を生前にアルバム化しなかったのかを考えると、あまり重視していなかったとの見方を否定することは出来ない。それはともかく、72年のザッパが書いた主題を全部集め、それらがどの演奏にどのように組み合わせられたかを整理する必要は大いにある。そこには歌詞の問題が絡む。
本作の箱の表紙は真正面向きのザッパの笑顔で、これは『ワズー』の見開き内部に使われた。半世紀前、筆者はその小さな写真を見ながら、なぜそれをアルバムの裏面にでも大きく使わないのかと思ったが、裏面はややこしいことに「アンクル・ミート」のイラストになっている。アンプの横に描かれる植木の缶は『ワカ』の裏面のザッパ家の写真の左端に写るものの引用で、そうした細部の整合性、不整合性がザッパの音楽世界をさらに謎の多いものとしている。話を戻して、『ワズー』のジャケット見開き内部に使われたザッパの顔写真が今回は晴れて箱の表紙になり、本作が『ワズー』の中心曲「ザ・グランド・ワズー」で代表されると見てよい面がある。この曲は最初「シンク・イット・オーヴァー」(考え尽くせ)と題され、歌詞があった。省かれた歌詞はその後別の曲に使われることはなかった。ただしこの歌詞を覚えるとこの曲の主題がその歌詞があってこそ成立したものであるとの考えが去らなくなる。歌詞を省いたのは表ジャケットの管楽器軍隊と弦楽器軍隊との闘いの物語を書いたからで、72年のザッパは病床にあっていくつかの物語を考える時間があった。ただしそれらのうち大曲として実現したのは「グレッガリー」のみで、また同曲は前述のように72年の段階では大幅に異なっていたし、おそらく物語はまだ固まっていなかったのだろう。ともかく「シンク・イット・オーヴァー」の題名と歌詞をザッパが捨てたことは、憶測にしろ、考えてみる必要はある。この歌詞の前半は「やりかけていることに何か思いつきがあれば熟考しろ、そうすれば実がもたらされる」というもので、後半は「思い浮かべることはすべて現実ではないが、それがどうしたというのだ、考えていることはいずれ全部実現する」と歌う。前半の終わりに「Take it from me!」とあって、これはザッパは自分の考えが正しく、それにしたがえと主張していると捉えてよい。ここで重要なことは題名にあるように「熟考する」だ。そうすればかすかな希望もいずれ実現するとの自信表明だが、そのことは『200モーテルズ』を経たザッパならではで、その勢いの延長に『ワカ』と『ワズー』、そしてそのツアーがあった。であれば「シンク・イット・オーヴァー」は歌詞つきの曲として、その別ヴァージョンが72年に限らず、もう少し後で発表されてもよかったのに、ザッパはそうしなかった。この曲は71年末の大けがをする事故以降に書かれたもので、世の中の理不尽を知ってなお、物事は考え尽くせば実現するとの前向きの思いに満ちるが、「グレッガリー」の歌詞では連続して災難に遭う人物が主人公になり、2年のうちにザッパの考えは微妙に変化し、楽観主義から遠のいたかのようだ。ただし、『ワズー』は明るさに満ち、「シンク・イット・オーヴァー」の歌詞が底流に流れている気がする。
「シンク・イット・オーヴァー」の歌詞で思い出す曲がある。75年発表の「アンディ」だ。どちらにも「something」の言葉が重要な意味を持って登場する。この曲の歌詞をイギリスのサイモン・プレンティスさんと92年に話した時、彼が諳んじていることに感心した。ザッパ・ファンとすればそれだけ分析すべき価値のある重要曲なのだが、この歌詞について日本ではまともに議論されたことはない。またザッパ自身が説明しておらず、ファンは自分で勝手な解釈をするしかない。それも含めて楽しみと捉えるべきだが、完全にはわからないまでもおおよそのザッパの考えは把握したいし、またすべきではないか。「シンク・イット・オーヴァー」では「自分が取りかかっていることにおいて「何か重要なこと」を思いつくならば」という文脈であるのに対し、「アンディ」では「心に何か重要なことがあるのか、あれば言ってほしい」と問う。歌詞の後半は「神聖なアンディは皮紐を持っていた。それは荘厳だったが、間違った類のものだった。オレはぶっ飛んだ思いで並んだ。げっそりして目がくらんで時間を浪費した。」というもので、わかりにくいながら、神聖、荘厳な対象を批判している。これに「心の中にある重要なこと」を照らせば、宗教の信仰心を揶揄していることが想像出来る。「シンク・イット・オーヴァー」ではザッパは「オレの考えを取って行け!」と主張しているから、ザッパも教祖的自信を持っていた。そうでなければとても『200モーテルズ』やワズーのオーケストラは実践出来ない。「アンディ」がザッパの経験を歌ったものとすれば、ザッパは一時期ある宗教者ないし有名な発言者に夢中になりながら、それを時間の無駄であったと否定したことになる。あるいはキリスト教を初め、宗教にのめり込んでいる人に対するからかい、つまり信仰を信じない思いの表明だ。しかし統一教会のように金集めの新興宗教もあれば、そうでない宗教もあって、「アンディ」の歌詞後半は他者の心にある「何か重要なもの」を否定することは物事を表層的に見過ぎているのではないか。「アンディ」の歌詞にしたがえば、たとえばザッパの曲の世界に没入していたファンがある日、憑きがとれたように面白くないと全否定することにつながる。ザッパはそのことを知っていたはずだ。実際そういうファンがいる。筆者がドイツで知り合った男性はある日、ザッパの全アルバム、全資料を処分した。ともかく、「シンク・イット・オーヴァー」の歌詞が没になり、誰しも思いの中にある「something」が、今度は「アンディ」では疑われるべきもの、あるいは無価値とされることは、ザッパの心中にどういう変化があったのか。今日で本作の感想は終わりにするつもりであったが、ディスク3の後半とディスク4について書くつもりが大きく話が外れてここまで来た。それで明日もう一回投稿する。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→