「
撓むほど 重き栄光 支えるに 石か銅にて 像建てるべし」、「惨事過ぎ 三時のおやつ 食べ過ぎて 不幸の中に 幸あるを知る」、「ひどき世と 花も嘆くか 狂い咲き 力出しきり 先を思わず」、「銅像に あいさつするや 幼児の 賢さ笑う 醜さ憎し」

石像や銅像は芸術性の点ではギリシア・ローマ時代に頂点に達した。銅像で思い出すのは1974年に買った新潮社版『人類の美術』の「ローマ」の巻だ。そこにモデルの内面を赤裸々に表わす技術による石像や青銅像の図版があって驚嘆した。今日の2枚目の写真にそのブロンズの頭部の図版を示すが、この2点は二千年前の皇帝や貴族の頭部の断片で、作者不明だ。ローマ美術はギリシアの模倣で二流扱いされているのに、その図抜けた表現力だ。時代が下ると芸術性が高まるとは全く言い難いことを示す。日本でも武将の銅像は各地に建立されるが、どれも想像により、勇ましい顔つきをしてはいるものの、安物のモデル顔を見ている気分になって白ける。TVに頻繁に出る有名人には直視に耐えない顔つきが多く、そのことも影響しているだろう。筆者は歴史に名を遺した目が純粋な人の古い写真を見てほれぼれする。今日の最初の写真の缶バッジは
Tシャツとともにアメリカに注文した。これを先月のザッパロウィンで筆者は左胸につけて1時間ほど語った。バッジの写真はオットー・デックスの油彩画の部分で、モデルはヨハンナ・アイ、通称「ムッター・アイ」(アイおっかあ)と呼ばれたパン屋の経営者で、当時の食えない画家たちを食べさせて援助した。ディックスは28歳から3年ほどをデュッセルドルフで暮らし、アイと親しくなった。アイの肖像画はたくさんあるが、最も優れているのはこのディックスの作だろう。1924年、ディックス33歳、アイは60歳だ。彼女は12人の子を産み、半分はすぐに死んだ。離婚後デュッセルドルフの美大近くにパン屋を開き、若手芸術家との交友が生まれた。つけ払いを認め、絵画をパン代代わりに受け取り、やがて画廊を経営する。儲けより、惚れた若手画家を援助するためだ。今日の最初の写真にデュッセルフドルフ時代のディックスとアイが並んで写る。筆者はこの写真が大好きだ。格好いいとはこういうふたりを言う。ディックスもアイもヒトラーに頽廃芸術の烙印を押され、アイは失意のうちに死んだが、戦後彼女を称えてデュッセルドルフの公園にアイの石像が建てられ、近年は大きな銅像も建った。アイは自分が100年後にそのように顕彰されるとは夢にも思わなかったに違いない。東京オリンピックに関係した元首相の銅像を建てるというニュースもあったが、後世の誰が称えるというのか。河原町の銅像男「Mr. Kids」が本物の銅像になるかどうか。カフカの小説「断食芸人」を筆者は思いつつ、繁華街を忙しく歩く人にせめても元気さを与え続けてほしいと思う。あるいは休憩中の代理役にFRPで等身像を作るのはどうか。

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