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●出て来た橋本関雪と岩崎巴人の展覧会図録
庵の 場所を知らぬや 嵯峨広し 人気庵主の 寂しさいかに」、「探しもの 忘れて見つかる 儲けもの 探した焦り たちまち失せて」、「貸した物 戻らず言われ 返したと 返す言葉を なくして泣きて」、「仇よりも 恩の受けしが 多かりき 長き人生 丸と思ひし」
●出て来た橋本関雪と岩崎巴人の展覧会図録_d0053294_01170897.jpg
先日たまたま本棚から意外な展覧会図録が2冊出て来た。5ミリ程度の厚みで、他の分厚い図録に挟まれ、また奧に引っ込んでいたのでわからなかった。それがなぜ出て来たかと言えば、その隣りの図録を引き出した時、一緒にくっついて来たのだ。それほど隙間なくびっしりと図録が詰まっている。もちろん本棚に入り切らず、その倍か3倍の量が隣家に積み上げてある。あたりまえのことだが、種類分けしているのでどこにどの本がだいたいあるかはわかっている。それらの本を一か所に集め、全部本棚に収納出来ればいいのだが、筆者の今の年齢からしてその夢はもう実現しない。それでせめてここ半年から1年くらいの間に購入した本を手の届くところに置くようにしているが、これも思うようにならず、いつの間にかいくつかの場所に分散している。購入するのではなく、処分して行くべき年齢になっているのに、CDと同じく、本は増える一方だ。有名人なら遺族が蔵書をそれなりに管理するだろうが、大多数の人はただ同然の値段で業者に引き取ってもらうことになる。それもリサイクルの観点に立てばゴミになるよりはるかにましだ。筆者が海外から百年近い前の古書を買う時、それをかつて読み、保存していた人のことを思う。そういう人たちが大事にしたお蔭で、また古書店があることによって、注文から2週間ほどで筆者の手元に届く。こんな便利なことは筆者が若い頃には全く考えられなかった。筆者は20代からガリマール社の叢書『形体の宇宙』の原書がほしくてたまらず、梅田の阪急高架下のかっぱ横丁に行くたびにそこにある洋書専門店を何度も覗いたものだが、あっても1冊で、しかも1万円ほどした。それが今ではネットで簡単に探せて送料込みで6000円ほどで買える。さて、本棚から出て来た2冊は橋本関雪と岩崎巴人の展覧会図録だ。前者については今年9月25日に初めて白沙村荘を訪れたこともあって関雪の絵画について少し書いた。その投稿で筆者が最初に見た関雪展は1984年の生誕百年展と書いた。ところが出て来た図録『橋本関雪名作展』の表紙裏の、当時恒例としていたチケットの半券の貼付、そして蔵書印とその下の購入年月日によれば、1977年9月18日に大阪市立美術館で同展を見て図録を買っている。当時26歳になったばかりで、猛烈に各地の美術展を見て回っていた。図録は20年ほど前から厚さ3,4センチの分厚くて重いものが常識化したが、白黒印刷中心の厚さ数ミリのものでも充分役立ち、『橋本関雪名作展』は生誕百年展のよりも図録の内容な充実している気がする。
 もう1冊の岩崎巴人の図録もそうだ。これは昭和62年(1987)6月に百万遍の思文閣美術館で開催され、当時巴人は62歳であった。92まで生きるので壮年期の展覧会であったことになる。確かに同展の図録を会場で買った記憶があるのに、本棚に見つからず、またネットで買おうかと思い、実際それとは別の巴人の図録を購入した。昔買った図録が出て来るかもしれないと考えたからで、それは正しかった。ちなみに巴人のことについて書いたのは去年8月で、1年少々で気になっていた図録が出て来たのは運がよい。それはさておき、筆者が驚いたのはその図録に富士正晴の訃報記事の切り抜きが2枚挟んであったことだ。富士は巴人展が終わった翌月の7月15日に亡くなった。新聞を切り抜いて巴人展の図録に挟んだのは、当時両者の画風が似ていると思ったからだろう。現代の文人画と言ってよく、どちらも棟方志功に通ずる味わいもある。それはともかく、切り抜きをするほどに当時35歳の筆者は富士に関心を持っていた。そう考えると筆者の現在の関心事は数十年前に遡る。それもさておき、切り抜き記事に桑原武夫と瀬戸内寂聴が文章を寄せている。桑原はこう書く。「最後の文人を失ったという気がします。小説や詩だけではなく、文人画に優れ、何よりも文壇一といっていいくらい字が上手だった。……」。この「字が上手」については筆者は賛成しかねるが、江戸時代の文人の達筆を現代に求めることがそもそももう無茶な話で、見てすぐに誰かわかる文字という意味で富士のそれは個性があり、また面白い。次に寂聴はこう話す。「同郷人というだけでなく、尊敬しておりました。小説家というより、飄々とした文人という感じのお人でしたね。今夜、たまたま富士さんが展覧会をやられた祇園の俵屋画廊で、お茶を飲んでいて、なぜか富士さんの話ばかりしていたんです。五年前に、お酒を飲んで友人と夜中に突然、寂庵にこられ、またまたお酒を飲んで帰られたんです。あとで電話がかかってきて「ゆうべ、あんたのとこいったんやな」って―。そんなあとでの訃報、偶然というか、不思議なことってあるもんなんですね。たいへん惜しい人をなくしました。」文中の5年前は富士が70歳くらいだ。富士は酒三昧の日々を送り、電話魔でもあったが、さびしさを紛らわすためだったのだろう。寂聴はTVの力も手伝ってますます大いに人が集まる人気者になり、嵯峨の寂庵の名称とは正反対の賑やかな日々と思うが、晩年になってやることが多いのはよい。本当にやりたいことを犠牲にして忙しく暮らすことは滑稽だが、寂聴は人を周囲に集めるのが好きなようで、また人が寄って来るので90歳を超えても元気そのものに見える。巴人は関西人ではないので晩年の動向を筆者は全然知らないが、亡くなった時にどのように惜しまれ、誰が追悼文を書いたのだろう。交友は金で買えず、人柄がものを言う。
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by uuuzen | 2022-11-03 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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