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●『画工画 明治の画工、世界に挑む』第Ⅰ期「高島屋の画室」
けものに 玉ねぎひとつ あるを知り 興味あれども 買うほどでなし」、「買うほどの 気持ちなきもの 多かりし テレビはどれも 見る気起こらず」、「怒らずに 物は試しと 勧められ なおさら怒り 物を叩きし」、「叩き売る バナナ見つめる 娘にも いずれ焦りの シミ皺目立ち」
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先日投稿した『刺繍絵画の世界展』の会場で本展のチラシを得た。それで先月25日に大阪に出て『テオ・ヤンセン展』を見た後、難波の高島屋史料館に訪れた。同館には昔何度か訪れたことがある。今回受付の親しみのある中年女性によれば、最近展示室が改装され、リニューアル・オープンしたとのことだが、以前とあまり変わっていないように思う。ともかく無料で見られるのがありがたく、この施設はもっと知られてよい。筆者と家内が観覧している間、ひとりの男性客がいたのみで、高島屋としては商売度外視の企画展だ。さすが歴史ある収蔵作品の多さを誇り、今後も大いに企画展を開催してほしい。ところで東京の高島屋史料館で来年2月まで『百貨店展』が開催中であることを筆者は知っていた。それが大阪に巡回しないのかと受付女性に訊くと、しないとのことだ。惜しいが、それほどに東京も大阪も高島屋は展示すべき史料の多さを誇り、百貨店での展覧会が戦後果たして来た大きな役割ととともに、いずれ日本の百貨店と展覧会との関係が専門書に詳しく書かれるべきだろう。それはさておき、本展『画工画』は「がこうえ」と読み、明治の京都の絵師がいかに当時の染織品に力を発揮したかを実物の作品やその下絵すなわち画工画から紹介するものだ。その点で『刺繍絵画の世界展』と対になる内容で、同展を見た人は見るべき内容と言える。チラシによれば本展は筆者が見たのは第Ⅰ部の「高島屋と画室」で、第Ⅱ部の「下画と染織品」は11月5日から12月19日までの開催で、展示作品はすべて入れ替えられる。第Ⅱ部は染色家である筆者は必見と言ってよく、時間のつごうをつけて出かけたい。しかし第Ⅰ部の本展でも染織品は展示され、写真撮影が可能な作品もあった。少々筆者の仕事に関することを書いておけば、筆者が友禅界に入った時、高島屋が毎年開催する「上品会(じょうぼんかい)」の存在を知り、またその図録が工房に何冊かあった。価格表を見ると1970年代後半の頃に留袖が二百万円以上していた。その価格は当時の賃金の乏しい筆者からすれば天文学的な価格で、作品がそれに見合うほど素晴らしいことはカラー図版からもわかった。最高級の職人に下絵からその後の工程まで発注して作るそうした逸品を、高島屋は現在も続けているはずだ。作家ものではないが、逆に言えばその作家独特の強い、どこか嫌らしい個性はない。そういう無名のしかも高度な作品が正統的な金持ちに喜ばれ、したがって宮家にも買われるのだろう。
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 ただし上品会に出品されるどのキモノや帯もそのようなものとは限らない。そこで筆者のように個人で下絵から染色まで全工程を手がける作家の出番もある。高島屋という大企業の下にいる職人らが作るものだけが時代を率いるというほど、染織業界は小さくはない。個人で活動する筆者はどこともつながらず、世間に知られようのない作家だが、作品はわずかであっても個性を示すものとして残るから、まずは作るべきだ。ところが制作費を要するのに作品が売れないでは生活苦に陥るから、どこかから仕事をもらうのが普通の生き方だ。筆者はほとんどそれをして来なかった。その点でも常識外れだが、まあ欲を出さずに底辺ぎりぎりに甘んじればどうにか生きて行ける。話を戻す。コロナ禍で百貨店での目ぼしい展覧会がほとんど開催されなかったので、『刺繍絵画の世界展』はコロナの下火を見計らっての企画だろう。たまたまかもしれないが、同展は京都市京セラ美術館で先月19日まで開催された『綺羅めく京の明治美術――世界が驚いた帝室技芸員の神業』に合わせた内容にも思える。明治大正期の海外に売られた京都の工芸品を見直す機運が近年高まり、海外から買い戻しの動きも活発化していることに着目し、日本ではあまり知られない作品の紹介は今後増えるかもしれない。そうなれば日本で半ば忘れられている作家の評価が改まることは大いにあり得る。海外から買い戻す動きはネット・オークションが登場したことの理由が大きい。自宅にいながら海外から美術品が購入出来るのは美術ファンにとってはとても便利だ。筆者は本やCDだけでなく、美術品も海外からごくたまに購入する。木版画1枚買うのに送料が1万円近い場合があり、縦横高さがそれぞれ60センチほどの大きな発泡スチロールの箱にその1枚だけ入れて送って来ることに愕然とするが、日本ではまず出て来ない作品であれば送料が高くても充分満足だ。筆者が買う慎ましい作品と違って、1億円ほどする明治の大きな陶磁器の名品を買い戻したことがTVで紹介された。日本が貧乏な国になったと最近喧伝されるが、貧富の差が拡大し、億単位の価格の美術品を平気で海外から買える人はごく一部にいる。それは海外での所有者が死んでその子孫が無関心であることと、現在の欧米は明治の日本美術にあまり関心がなく、思ったより高値であれば日本に売ってもいいと思っていることのふたつの理由が考えられる。日本美術の欧米での価値はさまざまだが、先年ジョー・プライスが収集品の一部を出光美術館に売却したから、買い戻しは明治大正の美術に限らない。出光の購入は、欧米では誰もほしがらなかった、そしてプライスが日本に戻したかったという理由で話がまとまったと思うが、日本美術の評価が欧米では一部の好事家に留まっていることをうかがわせる。
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 ところがたとえば印象派の絵画を日本は目の色を変えてほしがり、また美術ファンも印象派が嫌いな人はいないはずで、美術に関して日本は海外への売り込みが下手で、海外のものをありがたがって来ている。ここで話は脱線する。海外のオークション会社クリスティーズでは日本の古美術と韓国のそれが一緒にされてカタログが作られたことがある。欧米ではアジアの中でも日本と朝鮮はあまり区別せず、そこに中国も含む考えがあるのではないか。そのことは映画などで日本を象徴させる際の音楽からもわかる。アメリカの映画やドラマでは日本人が登場する場面では必ずお決まりの銅鑼の音色を伴なう中国風のメロディが流れる。ザッパでもそうで、73年の「チープニス」は安っぽい怪獣映画に言及し、その意識下に日本の怪獣映画があって、同曲ではやはり中国風のメロディが挿入された。そのことから思うに、アジアは中国が代表し、日本はその臍の尾程度の認識され具合であって、中国風のメロディの使用で日本を充分イメージさせ得ると思われていることだ。ではその有名な中国風のメロディに置き換えられる日本的メロディがあるかとなれば、「君が代」ではコミカルな雰囲気は出ない。プッチーニは『マダム・バタフライ』を作曲するに当たって日本の曲の楽譜を種々取り寄せ、そこから日本を代表する旋律を引用した。それでもその後は先述の中国風のメロディに収斂して行き、日本のたとえば江戸や明治を象徴する日本の音楽はないとみなされている。話を戻すと、音楽がそうであれば美術はという話になる。たとえばキモノは中国にはない衣裳で欧米での認知度は高いが、その伝統を日本はほとんど捨て去って来ている。近年、あるイギリス女性が日本のキモノに関心を抱き、しばしばTVに出てキモノが現代に通用することを意見している。その立場は洋服から見たキモノで、キモノに施す文様はかなり無視されている。文様の伝統は現代にほとんど生かされていないのでひとまず無視し、いかに現代の街にふさわしい着こなしをするかという考えだ。それは京都の街を闊歩する若い女性のレンタル・キモノにも言える。レースの生地や帯、そして足袋をまともに履かない格好はあたりまえになっていて、彼女らがそういうキモノからいずれは日本の古典としてのキモノに開眼するだろうという甘い期待は持てない。京都らしい町並みが消滅した今、それは仕方のない話で、安物のレンタル・キモノが繁盛しているだけでもましだ。ところが伝統的なキモノも怪しいものだ。江戸時代の細い帯を使用し、男物と同じく対丈で着用していた小袖と現代の訪問着とは全然着方も文様のつけかたも違う。帯が太くなったのは西陣を繁栄させるためで、「用の美」は人間的な経済の理由で激変する。そうであれば現代のキモノの代表は文様のないきわめて安価なレース製のレンタル・キモノということになるかもしれない。
●『画工画 明治の画工、世界に挑む』第Ⅰ期「高島屋の画室」_d0053294_16024044.jpg そういう時代では先のイギリスの女性は百年後に教科書に載るほどの偉人としてもてはやされているかもしれない。だが、キモノの文様やあるいは日本の染織品全般の文様の歴史を知っている者からは、もっと美しい決まり事になぜ注目しないのかと残念な気になる。今年は3年ぶりに祇園祭りがあった。鶏鉾は四方取り巻く横長の水引が新調され、木瓜文と大鶏頭文のふたつの紋が交互に金駒刺繍で表現されていた。同様に藍染で染め抜かれたものもTVで見たが、それも鶏鉾かどうかは定かでない。八坂神社の祭礼ゆえ、同神社の木瓜紋の使用はいいとして、大鶏頭文は鶏鉾に因むだろう。この文様は西陣の帯にもよく使われ、名物裂として中国から入って来た。鶏頭は夏の花で花期が長く、力強い印象がある。祇園祭りは真夏の疫病に負けないことを祈るものであるから、疫病に対抗する植物として鶏頭は筆頭格にある。その鶏頭をほかの花に換えることは出来ず、またその必要はない。伝統的に何百年も使われて来ていることを知っている人には、すぐにその文様がなぜ鉾の装飾に使われているかがわかる。そうした伝統に無関心な者が権力を持つと一蹴するかもしれないが、それは恥ずかしく、残念なことだ。先のイギリス人のキモノ愛好家の女性はそうした文様の意味を知っているだろうか。色合いが洋服的でいいという理由だけで文様の取り合わせは出鱈目というのは、無知ということだ。植物は毒を持っていても使い方では薬になり、人間は植物がなくては生きられない。それで植物、花に象徴的な意味を持たせる文化がどの国でもそれなりに発展して来た。筆者が蘇鉄や鶏頭に注目し、その写真をよく撮り、また写生し、自分でも育てるのは、その植物が好きという理由によるが、その植物独特の生命力にあやかりたい思いもあってのことだ。それで筆者は自作には好きな花しか画題として用いない。それは大げさに言えば祈りであるからだ。ただし筆者は日本の古典的な花はみな好きだ。一方では珍しいラン科も大いに写生したことがあって、植物をいかに独自に文様化することに長年過ごして来ている。話題転換。明治時代に日本は欧米に工芸品を輸出して外貨を稼ごうとし、それまでの日本的なものをそのまま輸出するのではなく、外国人が好みそうなものを作った。生活様式が違うので純日本的では具合が悪かったからでもある。ここが難しいところで、欧米人でも純日本的なものがよいと考える人はある。それをそのままで使うために欧米の生活様式を変えるというほどに日本に惚れ込んだ外国人もいる。だが大多数の人はわずかな滞在で知った日本を想起させるもので充分で、美術史的に価値があるとかどうかは考えない。これは現在の人が海外に旅行しても言えるし、現地の本格的な美術品的価値のあるものは、価格からしてお土産品の範疇を越える。
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 それで昔ならば外国旅行してメイド・イン・ジャパンのお土産を買って帰ったが、その手先の器用さが明治大正の輸出工芸品に遺憾なく発揮され、染織品では刺繍による絵画であった。これは最初に外国人のお土産品として小画面のものが作られた。本展ではその代表として、写真を元に肉体労働者の胸像を刺繍で表現した作が展示された。それは見事なもので、筆者は全展示作品中唯一芸術的価値を認めた。見る角度によって絹糸の艶が変わり、美しい蝶の翅を見るような趣があった。その作品は無名の職人が日本の無名の中年男の何気ない胸像を写実的に縫ったもので、たぶんきわめて安価で、大量に作られたと思う。そうであればほとんど消耗品扱いで、百年後の今に残らないはずだが、たまたま競売か何かで多くの人の目に留まるようになった。ということは、失われたものはもっと多く、『刺繍絵画の世界展』は明治大正に制作されたうちのごくごくわずかな紹介になるが、金持ちは先の労働者の男を表現するものを喜ばないだろう。それよりも万国共通の美しい花鳥、あるいは日本らしい神社や富士山といった画題がよい。あるいは動物であれば百獣の王のライオンといったところがアメリカの成金には歓迎される。そして販売するにはカタログに載せる必要があり、規格品化がなされる。現在で言えば絵画に詳しくない人が部屋を飾るのにちょっとしたリトグラフの版画を百貨店で買うのと同じ感覚で、芸術性は二の次だ。どれほど見栄えがよいか、招いた客が驚嘆する技術とその量があるかだ。その点、刺繍は最適な技法であった。友禅と違って浮彫の立体感があるうえ、見る角度によって糸の照りが違い、そこに見飽きない不思議さがある。受注生産の高額なものもあったろうが、同展で展示されたのはどれも月並みな花鳥図で、四条円山派のちょっとした画家なら誰でも原画が描けそうなものばかりだ。もちろん竹内栖鳳や都路華香のような有名画家も下絵を描いたが、それは例外と言うべきで、大部分は商品としていかに刺繍の手間がかかっているかであった。そこが残念なところで、お土産品の延長の超高額な作と言うにふさわしい。そのことは欧米の心ある人はみな知っていたろう。一方当時の掛軸の絵を買う人は、彼らの審美眼にかなう画家に限り、それはたとえば蕭白や若冲で、応挙や呉春、その一派の作は人気がほとんどなかったのではないか。それよりも華麗で豪華な刺繍による絵画のほうが部屋に飾るにもよい。そしてその原画は応挙や呉春風の空間が広いものでは駄目で、画面全体をほとんど覆うほどの画題の密集性が求められた。欧米化した四条円山派と言えばいいか、そこに絵画として中途半端性が露わになった。もちろん空間を比較的広く取った作品もあるが、腰板つき、しかも蝶番が洋式で、各扇が四方に木製枠を持つ衝立式屏風であるので、絵のつながりが無粋な形となって各扇で断絶している。
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 本展チラシ裏面の説明から少し引く。「明治中期、京都の小さな呉服商であった高島屋は新しく貿易業を始めました。輸出したのは美術染織品。当時、「画工」と呼ばれていた人々が描いた下画をもとに、職人が染・織・刺繍を駆使して額絵や壁掛、屏風などに仕立てました。高島屋の製品は世界各国の博覧会で高い評価を受け、異国の邸宅を彩る室内装飾品として続々輸出されました。世界市場を視野に入れた製品の下画は、伝統的な日本の絵画を基本としつつも、洋風のモチーフや構図を意欲的に取り込んだ斬新な画が多くみられます」。明治の京都の日本画家が友禅の下絵(下画)を描いた話は有名だ。ところが彼らは下絵に署名をしないことがほとんどで、誰がどの作品の下絵を描いたかは必ずしも明らかでない。明治中期、高島屋画室の常勤画工として竹内栖鳳の有名なヴェネツィアに風景を描いた巨大な下絵が本展で紹介されたが、史料の「勤休簿」から竹内が常勤していたことがわかる。その他常勤ではないが、下絵を描いた有名画家として岸竹堂、幸野楳嶺、久保田米僊、森寛斎、今尾景年、山元春挙、都路華香、菊池芳文、西村五雲、榊原紫峰などの名があって、高島屋の飯田貿易店が明治京都の日本画家の生活の一端を裏で支えていたと言ってよい。前述のように本展は刺繍に限らず、染めと織りの技術も駆使した作品とその下絵を展示するもので、たとえば今日の3枚目の右の写真のように、友禅染めで掛軸の表装も含めて全体を染めた作品は現在の職人でも再現はきわめて難しいものと言ってよく、当時の技術力の高さがうかがえる。ただし本展は下絵を中心に展示し、また商品となった染織品が真横に展示されず、どの程度に再現性があったのかがよくわからない。都路華香は当時高島屋がもたらす外国の絵はがきなどから外国の様子を知ったというが、それは明治の一時期のことで、大正になれば大量に情報がもたらされた。それでも飯田貿易店が当時の欧米の情報に飢えていた若い画家に与えた影響は大きかったろう。『刺繍絵画の世界展』では数匹の猟犬が川をわたって逃げる鹿に向かって吠える欧米の絵画を刺繍画の下絵として用いた四曲一双の屏風が展示され、原画と刺繍画の対比からどのように原画を改変したかがよくわかった。写実的な油彩画の写真をもとに屏風を構成すれば省略がなされることは想像がつく。実際そのとおりで、無名の画工が元の絵を改変したことに賛否はあろうが、原画画家が見れば納得すると筆者は思う。著作権のない時代のことで、欧米人が好む画題が選ばれた一方、異国情緒も求められたから、下絵画家は割合自由に描いたのではないか。明治の京都画壇を考察するうえで外国の絵画やその写真をどのように当時の画家が咀嚼したかの研究は高島屋の資料抜きでは語れないが、下絵にしろ絵画を染織品に置き換えたのであるから、問題は染織を理解することにある。
●『画工画 明治の画工、世界に挑む』第Ⅰ期「高島屋の画室」_d0053294_16034458.jpg
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by uuuzen | 2022-10-21 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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