「
薫りなき 枯れた切り花 取り換えて 高き墳墓に たんぽぽすみれ」、「雛罌粟の あった一画 買い取られ 介護施設の 枯山水に」、「皺は増え 忍びてわしは 不幸せ 伸びしろあると 皺を引っ張り」、「朽ち果てた 靴は履いても 口開けて 轡嵌めらる 苦痛避けたし」

今日の2枚の写真は同じ薔薇だ。最初の写真は今月6日、2枚目は11日で、当初は6日の写真を使おうと思っていた。4日にも撮影したが、もっと小さかった。ところが2日経って写真のように花弁の周囲に虫食いが見られ、これ以上無残な様子を見るのは忍びないと思ってともかく撮っておいた。その状態がもっとひどくなって枯れるとばかり思っていると、11日になって見事に大きく咲き、虫食い箇所が周辺に移動してほとんどわからなくなった。このことを人間にたとえると、若い頃の見苦しい行為が壮年になって消え去り、立派な精神性を持つことを示すだろう。そういう人は少なくないし、またそういう人ほど華々しい輝きを持っている。子どもの頃から品行方正で育つことは理想だが、生涯そうであり続け、しかも大勢の人から褒められる例は珍しいのではないか。ともかく危ぶまれた生育が予想外に順調に開花したことは嬉しい驚きで、命を長い目で見ることの大切さを改めて思う。さて今日はキャプテン・ビーフハートのアルバム『トラウト・マスク・レプリカ』の最後に収録される「退役軍人日の雛罌粟」を取り上げる。アメリカでは今月11日が退役軍人の日で、少し遅れたが、取り上げるのにちょうどよい。歌詞はビーフハートの父親か祖父が軍人であったからか。この祝日にはポピーの花を墓に捧げる。造花が多いと思うが、そうでなければ当然切り花だ。この曲を長年筆者は聴き続けながら、ビーフハートの花に寄せる思いに同調する。短い歌詞の中に野に咲く花を愛する彼の思想が見える。同アルバムにある「わたしが意味する一本の赤い薔薇」というギター曲は言葉で表現出来ない薔薇の美しさを表わす。ポピーの花は赤で、昔筆者は近所のごく狭い土地に咲いていたその花の群れを大いに写生し、キモノの訪問着を赤と白の二色で染めたことがあるが、切って持ち帰って描くことは絶対にしなかった。筆者は切り花を描かない。そのポピーの咲く場所は数年前に人手にわたり、やがて高齢者用の介護施設が建って、現在はその玄関脇の小さな枯山水を模した味気ない庭に変わった。それはいいとして、ビーフハートは退役軍人の日は亡き肉親の戦死を偲んで泣きはするが、象徴とされる雛罌粟の花を買わないと歌う。造花や切り花は死を思わせるからだ。野にあればまだ風に揺られて咲き続け、種子を落として次世代の花を残す。そういう自然の中の花をこの曲の歌詞は息子や彼女のように慈しむ。こういう眼差しはザッパにはなかった。ザッパは自然と触れ合うことをあまり好まなかったというより、人間について歌うほうがより意義があると思っていたのだろう。
I cry but I can’t buy わたしは泣くが買わない
Your Veteran’s Day poppy あなたの退役軍人日の雛罌粟を
It don’t get me high それはわたしを元気づけず
It can only make me cry 悲しくさせるばかり
It can never grow another それは絶対に育たない
Son like the one who warmed me my days 日々を慰めてくれたような息子
After rain and warmed my breath 雨の後、わたしの息を温めた
My life’s blood わたしの人生の血
Screamin’ empty she cries 彼女の泣き叫ぶ虚しさ
It don’t get me high それはわたしを元気づけず
It can only make me cry 悲しくさせるばかり
Your Veteran’s Day poppy あなたの退役軍人日の雛罌粟は

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