「
焚きつけに 本を破りつ 読みたきは 焚書に遭いつ 伝わりし本」、「蕾つけ 生きる気力の 冬薔薇に 昨日は健気 今日逞しき」、「いくらでも 兵を増やせと 命令し 人を野菜と みなす独裁」、「孤独者 雑踏選び 自爆して 孤毒の既得 奇特な功徳」
今日の写真は4日の朝だ。先月半ばに白薔薇の鉢植えがまた蕾を3つつけた。ほんのりと淡い桃色で、紅色の箇所もわずかにあった。このVIRGOの品種はたいてい蕾の頃はそのように血色がある。寒さが到来し、咲かずに枯れると思っていると、ゆっくりと大きくなり、まず今日の写真の花が咲いた。3つがほぼ同時に咲けば一度の投稿で済むし、またほとんどそのように咲いたが、残りふたつは数日のうちに予想を超える大きな美しい花を咲かせた。それで今日は最初に咲いた花のみ紹介する。葉の枚数がとても少ないのに次々に開花する理由がわからないが、ともかくこの白薔薇の開花は特別に気分がよい。先日からアクセル・ムンテの著作『MEMORIES AND VAGARIES』のうち未邦訳の章を少しずつ訳して投稿しているが、もっと以前から訳したいと思ったのが、キャプテン・ビーフハートの筆者が好きで気になっている曲の歌詞だ。それはさほど多くない。今後投稿予定のムンテの本の翻訳の回数、すなわち全部で10ほどに収まるだろう。訳しながら思うのは、同じ英語でも散文と詩であるので全然違うことと、ムンテの散文はかなり詩を意識して書かれ、また実際詩も含むのに対し、ビーフハートの詩はいかにも画家らしい視覚性に富むことで、言葉尻だけでは何を意味するかがとてもわかりにくい。その点はムンテの文章にもあるが、英語でいわゆる作品を作り上げようとすれば、これほど言葉を選ぶのかという思いを感じるのは、ムンテもビーフハートも共通していて、言葉に芸術性があり、ツイッターなどSNSの言葉とは180度違って香り高い。これは何度も吟味、推敲されたためだ。その点筆者のこのブログは全く失格だが、せめてムンテやビーフハートの邦訳のない散文や詩の魅力を少しでも伝えられればと思っている。今日は
「その28」に続いての歌詞の翻訳の投稿で、『トラウト・マスク・レプリカ』に収録される「SUGAR AND SPIKES」を取り上げる。20代後半の生活を楽しむ活力に溢れ、女性と住むために家を用意し、生活道具をあれこれと繁華街に車で買いに行く様子が歌われる。車窓からの眺め、枢機卿の衣服の深紅色の夕焼け、パイを売る店、箒と塵取りで掃除する人、安価な品物の均一セールで売られる砂糖や大きな釘、月のようなおそらくフライパンなど、これから暮らすこともあって彼女は大喜びだ。ビーフハートは帽子好きで、本曲でも「キャラメル・マスク」という言葉が出て来る。筆者が考えるこの一行の解釈は、ビーフハートが帽子を目深に被り、半ば顔を隠すと、顔(マスク)が帽子のキャラメル色(黄土色)に見えることだ。
その様子は後年のザッパとの共演アルバム『ボンゴ・フューリ』のジャケット写真のビーフハートを思い浮かべればよい。また『トラウト…』のジャケットでも鮭の剥製仮面を被っている。本曲ではビーフハートはキャラメル色の新しい帽子を被って彼女とドライヴに繰り出す。以前書いたようにビーフハートは女への関心は少なく、自動車好きで、いろいろと乗り換えたのだろう。この曲では「トレメロの車」という言葉が出て来る。これはフランス車か。TVの人気シリーズ番組『コロンボ』では刑事がいつもオンボロのフランス車に乗って登場する場面があった。その車は車好きに人気があった。『トラウト…』では「ダリの車」と題する曲があるように、ビーフハートはヨーロッパ車好きであったと見てよい。話を戻して、「砂糖と大釘」は50年代だったか、アメリカのTVで子ども向きの人気アニメ番組があった。「SUGAR」は女児、「SPIKE」が男児で、ふたりはとても仲がよい。「シュガー」が女性的で「スパイク」が男性的であるのは、そのものの用途以外に発音も大いに関与している。これを日本語に訳すとなれば、ムンテの『MEMORIES AND VAGARIES』と同じように工夫が必要だ。意味を読者に伝えるのは当然として、元の言葉の発音性も日本語に置き換えたいからだ。詩とはそういうもので、AIではまずいつまで経っても立派な翻訳は無理だ。しかし「砂糖」と「大釘」以外にふさわしい言葉があるか。「大釘」は本来「犬釘」がいいだろうが、「犬」はこの曲の別のところに登場し、それとは関係がないので、避けたい訳語だ。ともかく、ビーフハートはそのアニメを思い出しつつ、かわいい彼女と所帯道具を買いに車で繁華な街に出かける。その所帯道具として砂糖や大きな釘が必要なのだが、もちろんこの曲での彼女を「砂糖」、自分を「スパイク(ただし複数形)」にたとえてもいるだろう。歌詞は夕暮れから始まり、やがて犬の鳴き声が聞こえる夜になる。この前半の歌詞は夜に向かうので暗さがあるが、一夜明けて彼女とのドライヴで手首のスパイデル製の腕輪を彼女に絡まさせ、仲がよい。「海の紺色の司祭」は曲前半の「枢機卿の空」と対になっていて、「司祭の衣服の紺色のような海」の清々しさと理解したい。最後の行は走る車から遠のく知り合いの男女の姿だろう。そこには一緒に暮らし始めたばかりのこの曲の男すなわちビーフハートのひとつの理想と言うべき将来が投影されている。すなわち同棲であっても彼女とずっと一緒に生活して行きたいという思いだ。歌詞にあるように彼女は快活だが、子どもじみて知識は少ない。それゆえこの詩の味わいも理解したかどうか。ともかくこの歌詞もメロディもザッパは決して書かなかった、また書けなかったもので、筆者はビーフハートの詩の魅力からアメリカの空気や彼の性格を読み取って、大いに同調する。
In sugar ‘n spikes in neon nights 砂糖と大釘に ネオンの夜に
in walk‘n lights in chains 歩みと明かりに ぞろぞろ続き
Coughin' smoke whoopin' hope たばこにむせび 期待に叫び
Cardinal sky rush by 枢機卿の空はすぐに消え
Fall bark in dark, fall back in dark 闇に遠吠え落ち 闇に遠のき
Pies steam stale パイは湯気で蒸れ
Shoes move broom 'n pale 靴は箒と囲いを動かし
Moon in a dime store sale 10セントセールに月
Sugar ‘n spikes ‘n everything nice 砂糖に大釘、全部が素敵
‘n everything nice ‘n crazy 全部が素敵で夢中
That's what little worlds are made of lady それしか頭にない女性の世界
I'm paid up in home in my new Friday's house 新しい金曜日の家を買い込んだ
There's no H on my faucet, there's no bed for my mouse 湯の蛇口はなく、ねずみは棲まない
My punching grow mind in diamond back time 苛立ち気分は過去のダイヤモンド
Now it's king for a day with my lady, who look fine 今や美女と王様気分
Got my peak it up hat in my caramel mask キャラメル帽で顔隠し、気分は最高
Tremelo car I got my Speidel wrist round my honey トレメロ車に乗り、手首のスパイデルを彼女が握る
Goin' to see the navy blue Vicar 紺色の司祭を見に行こう
Paul Peter 'n misses wray flicker ポール・ピーターとミセス・レイがちらつく
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